かねてより、【心 de 経営】ということを基本に、永年コンサルティングをして参りました。「de」は、フランス語の前置詞で、英語にしますと「of」に近い意味合いであり用法であると認識しています。
「de」を、英語の「of」の意味で用いますと「心 of 経営」、すなわち「経営”の”心」となります。「de」を、そのまま、日本語の「で」に置き換えますと「心で経営」となります。
「心」を大切にしますと、人間関係が良くなるだけではなく、論理的な思考だけでは見えてこないものが見えてきます。
歴史を紐解きますと、「なぜ、主人公は、あのような決断をしたのだろうか」「もし、あのようなことをせずに、このようにしたら歴史はどのように変わったのだろうか」などと「歴史に”もし”は禁物」にも触れたくなります。
それが、ビジネスパーソンに想定外のヒントを与えてくれることがあります。
歴史を理解するには、あるいはグローバル化の時代に海外の人を理解するには、宗教の特質も理解しなければならないことが多々あります。
歴史や宗教、哲学など、私の専門外の分野で感じたことを経営やコンサルティングにも応用できないかと徒然に書いてまいります。
物事や人の心には多面性があります。お届けするブログが正論であるか否かは、皆様のご判断にお任せしますが、参考にして下さいますと幸いです。
(ドアノブ)
■ 呑龍
どんりゅう
群馬県太田市の浄土宗大光院(だいこういん)、正式には「義重山大光院新田寺」という寺院があります。通称「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」もしくは「呑龍様(どんりゅうさま)」と親しまれています。
真偽の程は定かでありませんが、徳川家康は源氏の流れを汲む新田義重の末裔であるといいます。
慶長18年(1613年)、家康は呑龍を招聘して大光院を創建させました。境内裏には、新田義重や呑龍の墓があります。義重は九条兼実に従い法然上人に帰依しました。
大光院は、もともとは建久6年(1195年)に、寺尾城内に建立され、家康は観智国師・土井利勝・成瀬正成に遺跡を探させ、墓石と礎石などをここに移させました。
当時、多くの子どもが間引きといわれ、殺されていいましたが、呑龍は、これを悲しみ、これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から「子育て呑龍」と慕われました。
話は、昭和の第二次大戦前になりますが、中島飛行機で開発された百式重爆撃機という航空機がありましたが、その愛称「呑龍」でした。
(ドアノブ)