石巻の海岸。市立病院の建物を残して周辺は更地状態。 がれきや車の残骸を積み上げたところがあちこちに。 ↓
一度は、東北の被災地を
見ておきたい
と思っておりました。
でも、東北は遠いし、
それならせっかくのことですから、
東北の温泉地も訪ねたい
とも思うのでありました。
思案検討の末、結局
「鳴子温泉と石巻」
という組み合わせに至ったのです。
そんなわけで、鳴子温泉に宿をとり
そこから2時間、東北本線をクロスして
石巻へ出かけたのが
20日、お彼岸の中日でありました。
出発の鳴子の朝は吹雪状態です。 ↓
漁港の様子も見たかったのですが、
石巻観光センターの人に
「あそこはな~んにもありません。
全部持ってかれましたから。」
と、何だか素っ気なく云われてしまって、
(そんなはずもないと思っていたのですが。)
ちょっと気落ちしてしまいましたね。
気を取り直して、
まずは、石巻の海岸を見下ろす
日和山へ。
多くの住宅は流され、海岸線沿いに 車の残骸が積み上げられています。 ↓
北上川河口付近。がれきの山があちこちに。↓
このがれきは、瓦礫処理の 引受先を待っているのでしょう。 ↓
1年後の今も陸に取り残された船。 ↓
最も多くの犠牲者を出したと云う石巻。
見渡せば、海岸近くの平地がかなり広い。
タクシーの運ちゃんが云います。
「山の上のおばちゃんは家の中で、
あの津波の大騒ぎに気が付かなかったんだと。」
「地震の騒ぎでそっちにばかり気がいってて。
そんな人もいるんだから、多くの人が逃げ遅れたんだ。」
たしかに、山や丘の麓の人は良いが、
かなりの人が広い平地から逃げるすべも
なかったのかも知れませんね。
日和山の茶店のおっちゃんが
どうやら「語り部」をつとめてるようで、
訪問客にさかんに
津波の様子を語っておりました。
「自衛隊が入ってきて、捜索に入ると、
がれきの間に多くの死者が挟まっていたんです。」
「火葬がとても追いつかないので、
かなりの分は土葬でした。」
「東京から埋葬の業者の人が
大挙してやってきて、埋葬をやってくれました。
無料でしたよ。」
ともあれ、
なべさん夫婦は、
せめて現場近くに立ってみようと、
山を下りたのであります。
市立病院の手前はなぎ倒された沢山の墓石。 お彼岸のこの日、お参りの方が沢山おられました。 ↓
まるで戦争のあとのようだったという 被災直後から、1年たっても まだまだ言葉もない状況です。 直後の状況が思いやられます。
さて、火の手もすさまじいものだった という話なのですが、 日和山のすぐ下にある小学校は その有り様を、1年後の今も 生々しく伝えるものでありました。
(この項、次回に続きますよ。)