日和山の直下、長い階段下の
すぐ脇に門脇小学校があります。
そのまたすぐ隣は、お寺の本堂と墓地です。
黒く焦げた校舎は1年後の今も生々しい。 ↓
校舎横のお寺と墓所。↓
この門脇・南浜地区一帯で
320人の死者だと云われています。
津波とともに、流される自動車から
火の手が上がり、
海上一面に火災も広がったようです。 校舎にも火が入りました。
門脇小学校正面玄関。 ↓
窓から職員室を覗く。被災時の状況がそのままです。 ↓
校庭から、海岸の方を見渡します。 ↓
幸い在校していた児童約240人は
全員日和山へ長い階段を上って
避難して無事だったとか。
迎えにきた保護者に対しても
そのまま一緒に山に上がってもらったようで、
学校関係者の適切な判断があったのでしょう。
その寒い夜、眼下の暗闇の中で
炎上する海面は轟音を立て続け、
避難した人たちは震えながらの
一夜を明かしたに違いありません。
黒こげになった校長室では、
耐火金庫が無事で、中の卒業証書は
水にも濡れず、綺麗なままだったそうです。
その卒業証書を渡す
一月遅れの卒業式では、
校長の万感こもった真摯な
式辞が評判になったと云います。
さて、なべさんらは
列車の時間もあるので、
タクシーを拾って駅付近へ戻ります。
少し遅めの昼食をとろうとするのですが、
商店街はどこもシャッターが降りて、
何だか寂しい風情。
(休日だから?でしょうかね。)
復興のバラック商店街のお店も
大半がお休みでした。
しょうがないので、
タクシーの運ちゃんに教えてもらった
駅前の「オオモリ食堂」へ。
なべさん、やや不安はあったのですが、
石巻へ、ここは礼儀を通しておこうと、
「かきフライ定食」
で頑張ってみました。
(ちょっと胃腸に重い感じが、、、。) ↓
案の定、帰りの列車では、やっぱりね、
これがこたえて、苦しみ通しだったのですよ。
(やれやれですわ。)