目線を少し上にあげると、ビルの上層階とか箕面の山、空とか、今までと違う世界が見えます。皆さんは何が見えますか、ガラスに写る自分を見て如何に下を見ていたのかと思います。ただ意識して目線を上げる努力をしなくてはとは情けないです。
振り返る時に、首を回すとゴリゴリギシギシ音がする、後ろを振り向く時に腰からこれらは年を取って来たと証拠であるそうです。若い時は首だけ、モット年を取ると足を細かく動かすそうです。頭への血のめぐりが悪なったそうで、ボケの元になるので、首を回すとかの運動が良いというのです。血栓が飛ぶから良く無いと止めていたのは思い違いでした。
皮膚の老化を避ける為、それを少しでも老け顔に見せないために、笑い顔を作って口元を上げると良いと、寝る前に口角を半分ずつ上げて笑う訓練を日野原先生はやっているといっています。顔の筋肉を活性化する為に、口を大きく開ける、ひょっとこ顔で右左、これは以前やっていたのですが忘れさっていました。
呼吸をする時に、2度吐き、1度吸う、吐いて、吐いて、吸う。先ず、肺を空にしてそれから吸うとよいそうです。これは偶然93歳、100歳が共にやっていたそうです。
椅子に片手を置いて、片足スクワット、ズボンを1回ではく訓練、たまに椅子ではなくて畳に座ってそこから手をつかずに立ち上がる練習等。眠れない時は、無理に寝ない、健康で長生きした人は色々自然とやっています。
色々あるから書いておかないと忘れてしまいますが、年と共に色々やる事、考える事等多くなりボケ防止に役立つ事を続けていかなくてはなりません。元気で長生きしていたいですからね!
65歳以上を老人と定義付けしたのは昭和34年(1959年)、驚きですが、当時は平均寿命が67才であったそうです。戦前の平均寿命が50歳を切っていたのですから67歳も平均寿命は納得します。今や平均寿命が80才を超えているのに65歳を老人と決めるのは無理があると言っています。高年齢、つまり年で分けるのでなく、日野原先生は75歳以上の元気な老人を「新老人」だと提唱しています。私など、まだまだ若造です。健康な「新老人」を目指します。
もともと中国では、「老」は長老、大老、老師というように年上の人に敬意を払うための素晴らしい言葉で、「老」と言う言葉をもう一度リバイバルさせようと「新老人」と呼ぼうと提案さています。人生75歳を過ぎたら自分のしたい事が出来るように、定年の60歳から用意をするように言っていますが、遅ればせながら用意を始めます。
新老人である介護施設の居住者を見て、将来の考え方をもう一度考える必要があると思っています。
振り返る時に、首を回すとゴリゴリギシギシ音がする、後ろを振り向く時に腰からこれらは年を取って来たと証拠であるそうです。若い時は首だけ、モット年を取ると足を細かく動かすそうです。頭への血のめぐりが悪なったそうで、ボケの元になるので、首を回すとかの運動が良いというのです。血栓が飛ぶから良く無いと止めていたのは思い違いでした。
皮膚の老化を避ける為、それを少しでも老け顔に見せないために、笑い顔を作って口元を上げると良いと、寝る前に口角を半分ずつ上げて笑う訓練を日野原先生はやっているといっています。顔の筋肉を活性化する為に、口を大きく開ける、ひょっとこ顔で右左、これは以前やっていたのですが忘れさっていました。
呼吸をする時に、2度吐き、1度吸う、吐いて、吐いて、吸う。先ず、肺を空にしてそれから吸うとよいそうです。これは偶然93歳、100歳が共にやっていたそうです。
椅子に片手を置いて、片足スクワット、ズボンを1回ではく訓練、たまに椅子ではなくて畳に座ってそこから手をつかずに立ち上がる練習等。眠れない時は、無理に寝ない、健康で長生きした人は色々自然とやっています。
色々あるから書いておかないと忘れてしまいますが、年と共に色々やる事、考える事等多くなりボケ防止に役立つ事を続けていかなくてはなりません。元気で長生きしていたいですからね!
65歳以上を老人と定義付けしたのは昭和34年(1959年)、驚きですが、当時は平均寿命が67才であったそうです。戦前の平均寿命が50歳を切っていたのですから67歳も平均寿命は納得します。今や平均寿命が80才を超えているのに65歳を老人と決めるのは無理があると言っています。高年齢、つまり年で分けるのでなく、日野原先生は75歳以上の元気な老人を「新老人」だと提唱しています。私など、まだまだ若造です。健康な「新老人」を目指します。
もともと中国では、「老」は長老、大老、老師というように年上の人に敬意を払うための素晴らしい言葉で、「老」と言う言葉をもう一度リバイバルさせようと「新老人」と呼ぼうと提案さています。人生75歳を過ぎたら自分のしたい事が出来るように、定年の60歳から用意をするように言っていますが、遅ればせながら用意を始めます。
新老人である介護施設の居住者を見て、将来の考え方をもう一度考える必要があると思っています。