旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

434 敬老の日(毎土曜日 更新)

2015-09-26 04:43:13 | 高齢者
他人事では無くなった高齢化社会、このブログを読んでいている方達も順次その社会に入っていく人が多くなって来ると思います。人間年をとると言う事はそれなりに経験を積んでそれはそれで良い事です。優しく、明るく、できればかわいく、人に愛され、気配りするような健康な老人になれればいいなと考えています。

 毎日同じ話を繰り返して、自分がボケているのを何時も自慢するように言う、本人はボケているとは気づいていない。他人の言っている事を聞かず、直ぐに怒り大声をだす。そうかと思うと、ただ生きているだけで食べるものも飲み込めないので全てがトロミ、ゼリー状態のものを食べさせられる。徘徊するか、ハタマタ寝てばかりいるような人にはならない様に頑張っています。

 でも、どうなるか分かりません。やっぱり今まで日常生活でやっていた生まれ育ちの姿が、ボケると何も意識せずに出てくるようです。その辺りから気をつけて気がしっかりしている間に考え、常に他人に迷惑かけずに、やっていく様にしようと心がけています。

 人間、元気が一番と云っていましたが、元気だけでは駄目と分かりました。精神、気も確かで過ごしたいものです。死と言うものに頓着しなかったですが、最近特に思うのが、人間、死は避けられないです。生きている間が花と言いますが、生きていても地獄と言う人がいるのに遅いですが気がつきました。

 「敬老の集い」と言うハガキが来ても関係無いと思っていたのですが、敬老の日にゲストでは無く、参加者になってみようと思いました、まあ何にでも興味がありますから、まして、皆さんの殆どが知らない世界、一度はどんな雰囲気か味わって見なくてはと近くの小学校迄行きました。

 そこはニギヤカで、老人ばかりか小さな子供ずれの若年層が沢山いて小学校の講堂を埋めていました。良くある殆どの人が聞いていない式辞に後に、幼稚園児の踊りがありました。納得、これを見に多くの人達が参列しているのでした。

 私は、以上で帰らせてもらったのです(始まったばかりや無いか、済みません<(_ _)>)。敬老会と言っても園児の発表会と名乗った方がいいかも知れないです。どっちにしても予算上から言っても、ますます高齢者が増え続けますから、年齢をモット上げて80歳以上として、老人席を白いカバーか紙で真ん中の特別席にすべきと思いました。

 当然ですが、まだまだ敬老会のメンバーになり、出席するのは早すぎると思いました。
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433 人を信じる (毎土曜日 更新)

2015-09-19 06:59:30 | 思い出日記
 1度会ったら知り合い、馴れ馴れしい。2度会うと友達、3度会うともう親しい友人と、勘違いをして生きてきました。人を見る目を持たない私が、一度で会ってその人の良し悪しを決めるから嫌いになるとズ~とそのままでした。初対面の印象だけで、自分と合わない人と思い、今までどれだけの人に嫌がられたかと思います。そして当然、親しい友人に沢山裏切られました。

 3度会っただけなのに私にとっては親しい友には、胸襟をさらけ出して言ってしまって、何と馬鹿な自分であったか。反対に他人の事を言っているのに、そうで無いと分かりましたが、その時は別れの間際だったという間抜けた事もありました。 

 こんな事を思うのも、いつも飲みに連れて行って頂いた旅行社に勤めておられた、人生の大先輩の事を思い出したからです。大阪に帰る前に、その方が亡くなったと聞き、そのお宅に訪れたのが6年以上前の今頃でした、いつも彼の馴染みの店で、かなり酔っていて何時もの如くそのお店に行きました。
 しかし、そこのママさんがどうにも気が合わなくて何時も嫌な目にあわしていました。大阪に帰るとお悔みに行きましたが、申し訳無く残念な事です。
 その方が、生きていたら私の人生も変わっていたかも知れないです。コンピューターに詳しい方で、それと新地のクラブに詳しくて私が営業して昼間、お店でPCをその人が教えるつもりでしたが、夢のまた夢になってしまいました。

 これも今まで苦労無しでやって来た為だと感じています。気づくのが遅い人生ですが、生きている間に気付き良かったと思っています。直すことが多い人生です。

 最近 言ってもニュースが余りも多いのですが、神戸の病院で自分の肝臓の1部を切り取って、その主人が手術をして術後間もなく亡くなったとの事です。それを考えると涙ぐましい夫婦愛を感じます。そこしか手術してもらえる医院が無いほど切羽詰まった状態で、今まで沢山の人が術後直ぐに亡くなった病院に頼っていかざるを得なかったと思っています。でなければ、自分の臓器を切り裂いて提供する訳がありません。10に1つのチャンスでも賭けた人に敬意を払いたいと思います。

 勿論、医者の技術が足りなかったかと思いますが、その方の必死な気持ちが良く分かります。介護施設を現代の姥捨て山と勘違いしている方に少しでも分かって貰えたらと思いますが、無理でしょうね。

 今まで、他人を見る目が如何に欠如していたか、それが重要かと感じています。人生、多くのいい方と接して、その幾分かでも人の為に残りの人生に生かして行こうと思っています。
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432 80才で水泳を始めて世界記録連発 !!  (毎土曜日 更新)

2015-09-12 06:26:53 | 目標
  こんな凄いのがあったのかと驚く、100才‐104才の日本マスターズ水泳の枠です。そこでただ一人出場し、世界で初めて100才で1,500メートルを完泳した人、長岡三重子さん。自宅でその祝勝会を開いている時に転倒し3週間入院していますが、直ぐに水泳を再開したのです。
 
 昭和43年に夫が病死、わらの卸問屋を一人でこなし、営業、納品、帳簿付けをやって、以後50年を一人で暮らしてきたと言う事です。
 
 勿論、1,500mの世界新記録はとても余人に真似できない凄い事、それよりももっと驚くのは80歳で水泳を始められた事です。そして90才を過ぎてからどんどん水泳の世界記録を数々残しています。

 三浦さんは沢山の人に支えられてエベレスト登頂、この方は100才一人で1,500を完泳。国民栄誉を取ったとか取ってないとかは聞きませんし知りませんが、とてつもない事をやっています。

 そもそも、55歳から始めた観世流の能で膝を痛め、医者の薦めでリハビリを目的で水泳を始めたそうです。無事に能に復帰できたのですが、次第に耳が悪くなって88歳の時に断念。新たな趣味として水泳に没頭するようになったそうです。我流で泳いでいたのですが、能で厳しく指導されたお蔭で、腹筋、背筋が鍛えられ、背中は曲がらず、それが水泳で役立ったそうです。

 息子さんがマスターズ水泳の選手で世界大会に出る時に観光気分で一緒して、90歳の時、イタリア大会で銀メダルを取ってから、何でも1番にならないと誰にも知らない。金メダルを取りたいと、帰国後スイミングで個人レッスンを片道小1時間歩いて始めました。

 そもそも、自炊生活をすると長生きするとの研究もあるということで、ノンバリアフリーの生活、それに頼るとバリアを超えられなくなり、彼女は日常生活の中で自然に訓練を築100年を越す2階建ての旧家でしたのです。階段は急で、夕方には開けた戸を閉めて回り、買い物はリュックを背負い近所のスーパー迄歩き、3食自炊して、煮豆など好きな物ばかり食べ、割と偏食だそうです。

 95才の時は、1年間に55本ものレースに出場、それまでは野菜や刺身が好物でしたが、体力を消耗してお腹がすくのか「すき焼きと食べたい」「焼肉を持ってきてくれ」と肉食に変身したとか、自立、トレーニング、チャレンジ精神、これら全てが長生きの秘訣だと思われます。

 日頃バイトで80歳以上の介護施設の人を毎日見ていると、とても信じられない事です。この方の話は、週刊誌に詳しく載っていました。凄い人は世の中探せば色々いるものだと改めて考えさせられました。
 
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431 健康診断(毎土曜日 更新)

2015-09-05 03:07:31 | 日記
 阪急電車がLED照明で明るくなっていたとは、そんな所に世の中の変わりについて行っていない自分に時代遅れを感じます。年に1回の健康診断で、何時もと反対の方向、久々と言うか忘れていた満員電車に乗って梅田方面に行きました。東京に初めて出張で行った時の冷房の無い満員電車とは比べようがありませんが、忘れるほど、久々の満員電車でした。

 以前、といっても滅多に乗らないのは同じですが、環状線で女性専用車輌と気付かないで飛び乗って周りから変な目で見られた事を思い出しました。そこで今回は両手を上の吊り革に上げて外の景色を見て、痴漢と間違われ無いように気を使いました。都会に出ると気を遣う事が多いです。

 乗り換えの大阪の地下鉄の駅は作った時に、将来に備えてプラットフォームが長く作られていることを思い出しました。我々が今その将来にいます。大阪の地下鉄はマナーが悪いと良く言われますが、混んでいる駅では立派に列を並んでいます。これは昔からで、大阪の肩を持つ訳ではありませんが、東京などは列を並ばないと人が殺到、多すぎてどうしようも無くなると思います。大阪では比較的に空いているので、その必要が無いのです。列ができると言うのはそういう事で、人間味があるのに違い無いのです。

 着いたのが、8時前でまだ早いかなと思ったら、待合室はほぼ満員でした。受付で検尿カップを受け取り、まず初めに尿を取りにトイレに入りました。そこでナカナカ出ないのは年のせいと言われた事を思い出していると、隣の若い人が、コップの音を響かせていました。それに反して、私のはコップの音がしない。これが頻尿というものだと、納得。

 目の検査では、1.5から1.2に、身長は1cm低くなり、それと胴回りと体重は女性も羨む程変わらかったです。聴力はどれか当たると一杯ボタンを押して、注意され、胃カメラでムセテ、その後、ここが広くなっていると言われと、老化ですかと、聞くと、年とは関係無く若い人にも暴飲暴食をした人に謙虚に現れるとの事で、皆さんも気を付けて下さい。検査結果を見るまでもなく、良い事はありませんでした。

 帰りに、10日間程止めていたビールを飲んで日頃のうっぷん晴らし、考えてみるとうっぷんは無かったです。相変わらず歩いている人より多いお店でいっぱいの船場センター街の地下道を見て歩いて、良くこれだけ多くの店が商売成り立つなと勝手に感心して思いました。

 映画を見るつもりでしたが、面白そうな映画も無くて、何もしていないのに疲れ果てそのまま家まで帰りました。腑甲斐ない一日でした。もっと頑張らなくては...(@^^)/~~~ 
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