今日は友人以外の不特定多数の方がかなり読んでおられる事が判明したので、そもそも私が東京散策の日記をどうして書き始めたかについて聞いて下さい。
私が京都を出て初めて欧州に行った話を思い出しから始めました。それが、意外に最後まで読んで貰った人が有難い事に沢山いて頂いて、それなら私が友人にメールで送っていた東京散策を改めて書いて見ようと言う事になったのです。
そもそも、どうして成田に行かなくてはならなかったかと言うと、何処も同じですが業務縮小で給料をかなりかなりカットされて東京か成田、どっちかに行く事になったのでした。当初から東京は肌に合わないイヤだったので成田に決めました。その肌も最終的に強くなりました。と言うより、東京の素晴らしさに気付いたのです。海外から日本を見て日本を好きになった気持ちと同じです。
酒々井は私の住んでいた所で、全日空に勤めていた友人に成田転勤が決まった時に、薦められました。住む所を決める為に、取り敢えず、どのような所か、初めに成田から近くを適当に電車に乗って辺りを見回してユーカリ迄行きましたが、特に何にも無いので酒々井に戻って決めた次第です。
そもそも酒々井の読み方が分からないので飛行機で大阪に帰る時に、恥ずかしながらフライトアテンダントに聞いた位でしたが、町の西端と東端に京成とJRの駅が一本の道で繋がっていて、黒澤明の用心棒をなんとなく忍ばせました。私はさびれた京成の方、今時地下水、水道代無料で家賃は一番安くて決めました。決死の覚悟を決めていた為、野草を食べるつもりでしたが(本を買っていきました)、しかし、大変住みやすく、多くのものが安くて意外に気持ち良く住めました。そこで、なんと8年。
成田の人は、みんな優しいですが仕事は慣れない為に最後まで厳しく、でも生活は一人でも充分やっていけました。そんな時、大阪の知人に京成電鉄のフリー券を頂いたのでした。無料で申し訳ないですから有効利用で東京を知ろうと始めました。
また、もったいないので日記と言う形にして大阪の人たちに無事で過ごしていますよとメールしました。しかし、間が抜けていると言うか、バックアップを取っていませんでしたのでCPが駄目になってしまって、絶望、ほぼ諦めてしまいました。しかしMs.成田がかなりの分をコピーしていたので再度書いている状態です。さらに馬鹿な事にそのコピーも引っ越しの際に無くして、そんな訳で日時は分かりません。
その地元の酒々井は単車でいろんな所を見て、美味しい所は、人に言われた所はほぼ食べまくりました。単車無しでは何処へも行けない所、そんな酒々井を紹介した話、
『昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と孝行息子が住んでおった。父親はたいそう酒好きでな、親思いの息子は毎日一生懸命働いて父親に酒を買っていたんじゃ。ところがある日、どうしても酒を買う金がつくれずに、とぼとぼと歩いて家に帰ろうとしていた。その時、道端の井戸から何とも良い香りが「ぷうん」としてきた。井戸の水をくんでなめてみると、それは本物の酒だったんじゃ。さっそく帰って父親に飲ませると、「こりゃうまい酒だ。ありがたい、ありがたい」とたいそう喜んだ。息子はそれから毎日、毎日井戸から酒をくんで飲ませたんじゃ。ところがこの酒は、親子以外の人が飲むと、ただの水になってしまうんじゃな。「きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない」とみんながほめたたえた。この酒の話しが広まり、村もいつか「酒々井」と呼ばれるようになったということじゃ。』
と言う訳で、どんな訳や分からないやないか!と言う人もいず? そんな酒々井(しすい)から色々な所へ行った話です。
私が京都を出て初めて欧州に行った話を思い出しから始めました。それが、意外に最後まで読んで貰った人が有難い事に沢山いて頂いて、それなら私が友人にメールで送っていた東京散策を改めて書いて見ようと言う事になったのです。
そもそも、どうして成田に行かなくてはならなかったかと言うと、何処も同じですが業務縮小で給料をかなりかなりカットされて東京か成田、どっちかに行く事になったのでした。当初から東京は肌に合わないイヤだったので成田に決めました。その肌も最終的に強くなりました。と言うより、東京の素晴らしさに気付いたのです。海外から日本を見て日本を好きになった気持ちと同じです。
酒々井は私の住んでいた所で、全日空に勤めていた友人に成田転勤が決まった時に、薦められました。住む所を決める為に、取り敢えず、どのような所か、初めに成田から近くを適当に電車に乗って辺りを見回してユーカリ迄行きましたが、特に何にも無いので酒々井に戻って決めた次第です。
そもそも酒々井の読み方が分からないので飛行機で大阪に帰る時に、恥ずかしながらフライトアテンダントに聞いた位でしたが、町の西端と東端に京成とJRの駅が一本の道で繋がっていて、黒澤明の用心棒をなんとなく忍ばせました。私はさびれた京成の方、今時地下水、水道代無料で家賃は一番安くて決めました。決死の覚悟を決めていた為、野草を食べるつもりでしたが(本を買っていきました)、しかし、大変住みやすく、多くのものが安くて意外に気持ち良く住めました。そこで、なんと8年。
成田の人は、みんな優しいですが仕事は慣れない為に最後まで厳しく、でも生活は一人でも充分やっていけました。そんな時、大阪の知人に京成電鉄のフリー券を頂いたのでした。無料で申し訳ないですから有効利用で東京を知ろうと始めました。
また、もったいないので日記と言う形にして大阪の人たちに無事で過ごしていますよとメールしました。しかし、間が抜けていると言うか、バックアップを取っていませんでしたのでCPが駄目になってしまって、絶望、ほぼ諦めてしまいました。しかしMs.成田がかなりの分をコピーしていたので再度書いている状態です。さらに馬鹿な事にそのコピーも引っ越しの際に無くして、そんな訳で日時は分かりません。
その地元の酒々井は単車でいろんな所を見て、美味しい所は、人に言われた所はほぼ食べまくりました。単車無しでは何処へも行けない所、そんな酒々井を紹介した話、
『昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と孝行息子が住んでおった。父親はたいそう酒好きでな、親思いの息子は毎日一生懸命働いて父親に酒を買っていたんじゃ。ところがある日、どうしても酒を買う金がつくれずに、とぼとぼと歩いて家に帰ろうとしていた。その時、道端の井戸から何とも良い香りが「ぷうん」としてきた。井戸の水をくんでなめてみると、それは本物の酒だったんじゃ。さっそく帰って父親に飲ませると、「こりゃうまい酒だ。ありがたい、ありがたい」とたいそう喜んだ。息子はそれから毎日、毎日井戸から酒をくんで飲ませたんじゃ。ところがこの酒は、親子以外の人が飲むと、ただの水になってしまうんじゃな。「きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない」とみんながほめたたえた。この酒の話しが広まり、村もいつか「酒々井」と呼ばれるようになったということじゃ。』
と言う訳で、どんな訳や分からないやないか!と言う人もいず? そんな酒々井(しすい)から色々な所へ行った話です。