旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

8 話 どうして東京の話し?酒々井(しすい)から...

2010-10-30 06:19:50 | 思い出日記
 今日は友人以外の不特定多数の方がかなり読んでおられる事が判明したので、そもそも私が東京散策の日記をどうして書き始めたかについて聞いて下さい。

 私が京都を出て初めて欧州に行った話を思い出しから始めました。それが、意外に最後まで読んで貰った人が有難い事に沢山いて頂いて、それなら私が友人にメールで送っていた東京散策を改めて書いて見ようと言う事になったのです。

 そもそも、どうして成田に行かなくてはならなかったかと言うと、何処も同じですが業務縮小で給料をかなりかなりカットされて東京か成田、どっちかに行く事になったのでした。当初から東京は肌に合わないイヤだったので成田に決めました。その肌も最終的に強くなりました。と言うより、東京の素晴らしさに気付いたのです。海外から日本を見て日本を好きになった気持ちと同じです。

 酒々井は私の住んでいた所で、全日空に勤めていた友人に成田転勤が決まった時に、薦められました。住む所を決める為に、取り敢えず、どのような所か、初めに成田から近くを適当に電車に乗って辺りを見回してユーカリ迄行きましたが、特に何にも無いので酒々井に戻って決めた次第です。

 そもそも酒々井の読み方が分からないので飛行機で大阪に帰る時に、恥ずかしながらフライトアテンダントに聞いた位でしたが、町の西端と東端に京成とJRの駅が一本の道で繋がっていて、黒澤明の用心棒をなんとなく忍ばせました。私はさびれた京成の方、今時地下水、水道代無料で家賃は一番安くて決めました。決死の覚悟を決めていた為、野草を食べるつもりでしたが(本を買っていきました)、しかし、大変住みやすく、多くのものが安くて意外に気持ち良く住めました。そこで、なんと8年。

 成田の人は、みんな優しいですが仕事は慣れない為に最後まで厳しく、でも生活は一人でも充分やっていけました。そんな時、大阪の知人に京成電鉄のフリー券を頂いたのでした。無料で申し訳ないですから有効利用で東京を知ろうと始めました。
 また、もったいないので日記と言う形にして大阪の人たちに無事で過ごしていますよとメールしました。しかし、間が抜けていると言うか、バックアップを取っていませんでしたのでCPが駄目になってしまって、絶望、ほぼ諦めてしまいました。しかしMs.成田がかなりの分をコピーしていたので再度書いている状態です。さらに馬鹿な事にそのコピーも引っ越しの際に無くして、そんな訳で日時は分かりません。

 その地元の酒々井は単車でいろんな所を見て、美味しい所は、人に言われた所はほぼ食べまくりました。単車無しでは何処へも行けない所、そんな酒々井を紹介した話、

 『昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と孝行息子が住んでおった。父親はたいそう酒好きでな、親思いの息子は毎日一生懸命働いて父親に酒を買っていたんじゃ。ところがある日、どうしても酒を買う金がつくれずに、とぼとぼと歩いて家に帰ろうとしていた。その時、道端の井戸から何とも良い香りが「ぷうん」としてきた。井戸の水をくんでなめてみると、それは本物の酒だったんじゃ。さっそく帰って父親に飲ませると、「こりゃうまい酒だ。ありがたい、ありがたい」とたいそう喜んだ。息子はそれから毎日、毎日井戸から酒をくんで飲ませたんじゃ。ところがこの酒は、親子以外の人が飲むと、ただの水になってしまうんじゃな。「きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない」とみんながほめたたえた。この酒の話しが広まり、村もいつか「酒々井」と呼ばれるようになったということじゃ。』

 と言う訳で、どんな訳や分からないやないか!と言う人もいず? そんな酒々井(しすい)から色々な所へ行った話です。
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7 話 田町

2010-10-23 07:26:45 | 思い出日記
  JR田町駅は改札口が2階で出ると空中広場があり、階段で下へ都営浅草線と三田線の各三田駅があり比較的に交通の便利な所です。ここが今回の出発点です。

  広い道を渡ると飲食店が並んである細い道で東京に良く見受けられる庶民的な雰囲気を持った地域になります。 通り抜けると税務署そしてNEC本社ビルで景観が変わり良く整備された道路が一部あります。芝公園駅の手前の大韓航空ビルで友人と再会そして早速昼食、旧交を温めました。

 再出発は芝園橋の袂の有名?公衆便所から、と言うのも翌日の道路交通法改正でタクシー運転手が良く利用すると紹介されていた所でした。(東京は私の行った世界で一番公衆便所が整備されている都市と認識しています。ビルマ=今のミヤンマーの郊外/市内も変わりませんが、同行の日本人女性は平原の真ん中、ワラを積んだ所で目隠しになっていました)。橋の下の川は海に近い為か、緑色にくすんでいましたが良く見ると底が見えました。 

 交差点手前左に野球場、その奥にテニスコートがあり、曲がらず真っ直ぐ行くと増上寺があります。今回は左手前方の小高い芝丸山古墳と円山稲荷その頂上にある伊能忠敬測量遺功表を見学。大都会と思えない静けさに治安が悪い昨今、少し心配になるような小山です。頂上は隣にある東京プリンスホテルパークタワー(今もそこにあるのか不明)の5-6階位の高さで増上寺の大屋根が見えますが本当に侘しく寂しい所です。頂上で横笛を練習している会社員風の人を見て、音を出す練習には最適の場所であると感心(何故か持ち運び便利な横笛の演奏に憧れました?)。

  山を下り少し行くとちょうど増上寺の真裏になり、そこにある東京タワーが目の前にありました。東京タワーはリニューアルをキャンペーン中で観光バスの観光客を中心に賑わっていました。全施設30%割引の見学券が2,240円の高さにまず驚き(本当に情けなく小市民です、反省無しに自己納得)。無料の本館ビルの屋上でタワーの真下からの見学と他の無料館内施設見学勉強で満足度アップ。タワー下に続く公園は、そこにいたスケッチ授業中の高校生たちにとっては単純な木々の並びの森で彩りも乏しく絵を描くには難しそうな風景でした。
  この増上寺裏一帯は飛び飛びの芝公園があり最後の3番目の公園は日比谷線の御成門駅に近く人も多くホームレスらしき人も多かったです。続いての御成門小学校は廃校になった沢山の小学校の合併校でその説明パネルと入り口手前の小屋にいる守衛さんに都会を感じました。
    
  コの字型の変形陸橋を右に曲がり遭遇した立派な青松寺門前のお釈迦様誕生像の噴水は何故か足裏宗教を思い出すようなものでした。そのような事もありました。隣の立派な愛宕グリーンヒルズを左に行くと一般道路からあるこれも立派なエレベーターを利用してNHK発祥の地にある放送博物館を無料見学して放送の歴史を勉強。そこではワールドカップのスケジュールをゲットしましたが販売中のNHKのキャラクターグッツは大したことはありませんでした。ただ興味あり人にはどうか不明です、蓼食う虫も好き好き。

 道を少し戻って左に行くと古い鳥居に続く凄く急な石階段はでスポーツの練習を禁じていました。これを登ると85段ありました(幸い息切れはまだしませんでした)。確か桜田門の変に行く前に同士が集まったといわれる愛宕神社。左先を見るとさっきのNHKの博物館が同じレベルに、次回は階段上らずに来られるルート発見(o>ω
 この後気が付けば東京駅(室町駅)までのかなりの距離を歩き終えました、つかれてないっすよ。4年も前の事でした。
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6 話 巣鴨 から 板橋 迄

2010-10-16 06:18:25 | 思い出日記
 お年寄りたちの原宿として有名な巣鴨地蔵商店街は中山道の旧道沿いにありました。巣鴨と言うと刑務所や確か3億円事件と言うイメージが私の中にいまだにありますが、今やお婆さんたちの原宿として有名になっていました。噂の通りお婆さんたちが商店街に入る前のマクドナルドの店を占領していました。テレビで見ていた凄い光景でした。

 このマクドナルドは今回一番興味を持っていた場所です。事前にニュースで見たことがあったので違和感はありませんでしたが、中をのぞくとお婆さんたちに占領されているマクドは何か変でしたが、それなりに微笑ましい楽しい場所となっていました。マクド(関西ではこう言います、関東ではマック、私の世代は?)に続いての商店街は、平日にもかかわらずとげ抜き地蔵までの道のりは沢山のお年寄りで大変ニギヤカでした。

 お婆さんたちの原宿と言われるだけあって老人向け洋品店も多かったです。値段は大変安く670円から普通の服も売っているのには驚きました。皆さんのご両親(そんなの年とっていない、もっともです。ご自分?)では無く、おじいさんおばあさんのプレゼントを買いに行かれるなら素晴らしい所です。店の外でも皆さんモデルのように同じ色柄の服を着ていました。流行が分り時代?について行けそうに思いました。嬉しい仲間いりする日も近し。

 そのとげ抜き地蔵は、萬頂山高岩寺は慶長元年(1596年)ころ開創し、明治24年現在の地に移転してきとのこと。本尊はとげぬき地蔵と呼ばれる延命地蔵菩薩で、この本尊のお札を患部に貼って祈れば病の「とげ」を抜いてくれると言い伝えられています。
 本堂の横に大変な列ができていました。こちらが洗い観音菩薩さまです。ご参拝の時にはガーゼを使って ご自身またはご病気の方の悪いところ、例えば胃の調子が悪かったら観音様の胃の部分を、頭痛持ちで辛い時は観音様の頭部をガーゼでやさしくなでます。『良くなりますように、良くなりますように』と願いを込めて…。治るそうです。
  お参りされる時は皆さんガーゼお忘れ無く。本堂ではお年寄りの団体が列をなして多分バスから降りてきたのがここも年寄りの山で初めてこんなに沢山のおじいちゃん、おばあちゃんを一同に見たのは初めてです。毎月4のつく日は御縁日でそれはそれはニギヤカだとのこと、一日違いでしたので残念。

 この日以上に年寄りが多くなるとは驚きです。高齢化社会をむかえて益々繁盛するお寺です。お金があって、お寺の株でもあれば皆さん買いですよ。これ程将来性のあるお寺は凄い。日本で一番未来の発展を想像させるお寺さんです。

 このお寺を過ぎて少し10分も行くともうさびれた商店街が板橋まで続いていました。特に面白い店も無かったですが、〔人によって値引きします〕と言う張り紙が張ってある古物店が何か印象に残りました。

 板橋の駅の直ぐ近くの近藤勇と土方歳三の墓碑を見学してこの日は切り上げました。

 東京はやっぱり何でもありでした。凄い町です。またまた感動しました。私も東京を褒めると言う余裕が出て来たのだと思いました。

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5 話 築地 から

2010-10-09 01:05:25 | 思い出日記
 上野から(地下鉄)営団日比谷線で築地へ、出口を出ると左手に三島由紀夫の葬儀がなされた
と言う築地本願寺、石造りでインド風モスクと言ったもので面白く、珍しい建物でした。

築地4丁目交差点で友人と待ち合わせ。向いに見えるビル二つ、何故かニューヨークの下町を感じ
させる大変古びたビルともう一つも非常階段が外にありなかなかユニークで気に入りました。
確かイタリアレストランがあり、まさにニューヨークのダウンタウンでした。

 巨大都市の食を支える所だけあって朝の10時過ぎにもかかわらず、早朝の喧騒時を十分に想像
できる人や車が忙しく走り回っていました。その中を明らかに観光客と分るバッチを胸につけた人たち
(最初は中国人と思っていましたが日本語を話していましたので多分日本人)や私のような見物人
(含む外人)、観光客ばかり一杯です。

 勝手にガイドさんにしている友人に、車優先なので気をつけるように何度も注意されました。初めての
訪問者には有難い心強い同行者です。実際彼がいなければ一人では不安で場内(市場内)には入れな
かったと思います。
 場外と言われる一般人でも気軽に立ち寄れるお店から、私の築地市場見物が始まりました。

 テリー伊藤のサポートもあり土曜は地域活性日だそうで、この一般見物観光人の私たちの為にお店を開いてる所が多いとのことで安心です。
人だかりのある人気店は、ただ、有名ですが必ずしも安くて美味しいとは限らないとの同行者のご忠言ありました。
思い思いの食べ物を美味しそうに珍しそうに長い列を作っていました(朝飯抜きで行くべし)。 
ここでは肉体労働者用に塩が大目で味は濃い目と言うことに納得です。

 私も、出し巻きたまご一切れ(これが大きい土曜のみ販売)100円を食べるために列の最後尾に並びました。丸武と言うテリー伊藤のお兄さんの店だと言うことでした。彼の写真が貼ってあるのですぐに分ります。意外に時間はかかりませんでしたので少し甘めなのですがまあ安いのと珍しいのでお薦めです。

 その先を左手に曲がると、右手に松露と言う都内有名デパートにて販売していると言う玉子焼き屋さん。
ここでは主婦の為に卵の正しい?焼き方巻き方を教えてくれると言う有名なお店もありました。丸武以外のお店ではお店では大きい出し巻き卵、大体どこでも600円でおつりがくる値で売っていて持ち帰りになっていました。

 この場外と言われるこの一帯は京都の錦通りに商品を並べて売っている感じで大変道幅が狭いところが多く、大阪は鶴橋のリトルコリヤ街と言った感じでした。その商品を見ているだけで楽しくなるようなユニークな所です。外人には少し強烈かも知れません。

 そんな中を場内へ、寿司、天婦羅そして吉野家の発祥の店一号店、ミスタードーナッツの一号店は
大阪箕面でその近所で働いています。この際関係ありませんが良く前を通ります。ここはサスガに食べ
物屋なんでもありでした。
 場内は卸売り専門で私たち素人は幾分入り難い感じでした。しかし、しっかりもののガイドの助けで
見て回れました。既に時間も遅かったので店終いを始めているところも多かったので比較的見て
回りやすかったです。 

 今回場内見学はそこそこに有名な豊(とよ)ちゃんに少し早めの昼に行きました。先ほどまで
行列ができていましたが、少し時間をずらしたので直ぐに座れました。カウンターだけの洋食屋さん。
オムライス(オムハヤシが有名)、カレー、ハヤシライス等が看板の店。なにか変わった店で、
私はカレー半分とハヤシ半分にトンカツののっかけ(多分呼び方正しいと思いますが不確か)を注文。
キャベツのきざんだのが一皿に盛られて1,190円でした。こんなのは他では無いと言う三色盛でした、
どれもユニークでした。 

 それよりも驚いたのが同行のガイドの大阪弁丸出しのべたべたの大阪人(私は彼とは違うこだわりの
京都人、こんな店ではオトナシイ)の常連のような(本当はこの近所に住んでいるので常連かも知れま
せんが確認忘れ)問いかけ、話かけに対して結構愛想が良い豊ちゃんの店の人に東京もナカナカすてた
もんでもないなと変なところに感動。
 ゆたかちゃん(本当はとよ、私は子供の時ゆうちゃんでした)、名前も良い店でした。

  ★変えれない 大阪弁を どこででも★ゆうちゃん 遠き昔の 母の声★  △ Я ▲ R.CONTI



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4 話 北千住から

2010-10-02 10:11:45 | 思い出日記
 北千住から南千住まで日光街道を歩くと言うのでかまえて行きましたが、何のことは無い街道が
商店街となっていました。と言う訳で今回は、商店街歩きとなりました。                   
  
 北千住の駅は綺麗な近代的なビルでその前の通りは左右両側に立派な高い透明のアーケードで
よく整備されていました。今年一番の暑さ、とりあえず暑いので駅前の昭和初期レトロ調の
甘味喫茶店〔あちこちや〕で小倉アイスもなか150円を購入。ひとつひとつ注文を受けての手作り。
硬いと思って噛んだところやわらかいアイスがはみ出て大変でしたがたまたま前で武富士の
(今、会社更生中でどうなったのやら?)ティシュ配っていたので助かりました。(一度ご賞味下さい。)                      

 ところで、東京のティシュ配りの人達は大変丁寧なのに驚きます。大阪は自転車に乗ったおばちゃんが
マトメテ貰って行くのとえらい違いです。カルチャーショックでした。配る会社の数が多すぎて受け
取ってもらえないからだそうです。神田などは駅周辺一周すると20個ほど集まります。

 
 少し行くと、左にこれは平日暑い昼間にもかかわらず人通りの多い本町(ほんちょう)商店街。
しばらく行くと千住仲町商店街。少しさびれて道路も細くなっていました。今まで回ったどの
商店街も続いているの商店街名を変えていますが、大阪みたいに天満橋商店街みたいに何町目
で分ければ良いと思うのですが、それなりにイワレがあるのでしょう。            

 商店街を過ぎると千住大橋。1594年に始まる隅田川最初の橋で芭蕉の奥の細道への旅がここから
始まった場所でもあるとのことです。1927年には総アーチ型当時最新の橋として建てられました。
 これは歴史説明付きの看板参考。今は片道3車線の一方通行となり反対側に4車線のオープン
の車専用橋ができています。歌に歌われた隅田川は大阪の淀川並みの水質で何故か十三(じゅうそう)
大橋を思い出しました。
 多分北千住も昔は十三の雰囲気があったと思われるのは、駅の左側には古い2-3階建ての建物が連なって
日刊ゲンダイ推薦店 前金3,000円追加無しなる建て看板が何軒もありました。気味悪い程、そして
不思議に地味で派手な十三とは違いましたがなにか共通性があるように思われました。  
                      
 しばらく行くと比較的立派な〔すさのお神社〕、これは漢字が難しかった。読み方を尋ねるのも
恥ずかしいので工事中の境内を回って振り仮名の説明文を探してやっと読めました。皆さんにも
読んでもらおうと思いましたが漢字変換しても見つからず。仕方なくホームページをみたら
ひらがなでした。当用漢字がないのか、皆読めないのが分って変に安心しました。入り口には
神域につき自転車下乗の注意看板。自転車下乗とは珍しい。           
 お祭り神輿の写真があってここも大江戸の人の祭り好きがうかがいしれました。 
 
 又、しばらく行くと一軒だけお店。これは珍しい炭焼きのうなぎやさん丸(九?)善。なんと
表現して良いのやら間口オープンの左端にガラスの古い陳列台はうなぎだけ、右端に立派な炭が
いこっていましたがうなぎはのっていませんでした。値段はそこそこでしたがこの暑い日にも
買いに来ている人が数人。下町情緒いっぱいのお店でした。                                 

 この後南千住仲通り商店街を経て南千住まで歩きました。途中に鋳型工場や中小企業がそこや
あそこにあってこの大都会を支えている下町情緒を感じながら暑い中を歩き終えてメトロにて
秋葉原へ御徒町の鹿鳴園中華料理店の5時から割引の呼び寄せで冷たい生ビールでこの日を終えました。
 お店の人はやさしく中国語での会話で雰囲気満点でした。       
 
 ★東京で テッシュ受け取らず 江戸っ子でえ★
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