旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

790 初めて施設訪問(次の更新予定 9月5日 第一土曜日)

2020-08-15 03:57:31 | 思い出日記

 今日8月15日は終戦記念日、そして父の105才の誕生日を祝うはずでした。徴兵を免れ戦争に行かず済んだ幸運度は私に引継ぎましたが、デンマークにいる時に亡くなりました。その頃、50年程前の話に...

 その後ユースに行き、アメリカ人がいてユースは賑やかでした。そんな中、昨日会った日本人が10人程で貸し部屋を滅茶苦茶にしたと言うのでした。何か家主ともめて面白く無かったようで腹いせにやったのだと言う、後から、その部屋に入った黒人が訴えたとの事でした。そして、警察に目を付けられているとの事で、ションボリしていました。

 暫く皆とアレコレ話をしてからクヌードサン宅へバスで戻った所、奥さんエリザが家事の最中でした。その手伝いをしてから京都の写真を見せて、扇子を渡したりして日本はどのような所かを説明した。上等な日本茶にお砂糖を入れるのかどうかと聞かれたりしました。勿論、お砂糖など入れないですが、それが不味かった。後に、欧州では硬水で美味しく無いのではと思いました。夕食後、彼らは出かけたので、一人、自分の家の様にテレビを見て寝ました。

 翌日、エリザが昨日見つけてくれた、老人ホーム(病人の為の施設)を訪れる事が出来ました。ちょうど団体の訪問者がありまずいと思ったのですが、説明も聞けてかえって良かったのでした。その後、施設長と会い直接質問ができる幸運に恵まれました。

 次に、酔っ払いの厚生施設を訪問。当時、酔っ払いと聞き少し不安になったのですが、比較的に陽気な人が多くいました。何よりも驚いたのが、スタッフの若さでした。私と同年輩の女性が(もっと若かったかも、私の経験不足でその時は同年輩に見えた)臆することなく働いていたのでした。その彼女が説明して直接案内してくれましたが、説明の、その態度はテキパキして大変、気持よく素晴らしいものでした。何を聞いたか、そのメモも無く分からないとの情けなさ...

 見学の後帰ると、北欧でもこんなに暑くなるんだと言うくらいな暑さでした。夜には、チボリ公園に連れて行ってもらったがその時は、人がやたら多くて自分の好みでは無いとの事、しかし後に大好きになりました。後に「兼高かおりの世界の旅」で見たイタリアのチボリに見て、この旅で一番感動したことは後程、書いている思います。社会人になって兼高さんにはパンナムに乗る時にあった事が忘れられないです。ただパンナムさんのご厚意でファストクラスに乗ったので機内で会えず仕舞いでした。

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789 コペンハーゲンで50年前...(次回更新予定日 第三土曜日 15日)

2020-08-01 04:59:02 | 目標

 若い時を振り返ると言うより、その時のメモでも無ければ忘れている事が多くあります。父親が未だ小さい兄の孫を可愛いがっていましたが、その事を彼らが何も覚えていないのに驚かされた事がありました。せめて孫が小学校に入る迄生きて欲しかった。その頃、50年前のデンマークにいた時の話です。

 コペンハーゲンのクヌードさんの家では、奥さんが思った以上その上ぐらいに優しくて親切な人でした。初めに、ここに居たいなら泊っても構わないとのことでした。勿論、即OKでした。その夜は寝る所を確保できました。その後、デンマークの各施設は勿論、英国で英語を勉強しながら家の家事手伝いするオペア迄、色々と面倒見て頂きました。

 話が弾んで、食事も美味しく頂きました。食後に、お茶とお菓子が出てまるっきりフルコースのような日本を出て初めて夢のような食事でした。

 会話は総て英語であったにもかかわらず、良く理解できないことがあり辞書を持って来てない事が惜しまれました。(英語辞書も持たずにYMCA英語だけで良く行ったな!帰国後、デンマーク語辞書探しましたが当時は見つかりませんでした)。英語が上手で年とは関係無く、私の母親と同じ位なのに難なく話されました。色々話をしましたが、さすがに、彼女が寝むそうなので、その夜はその辺で休む事になりました。

 翌朝 早く起きたのですが、家の中は静まりかえっていたのでした。皆を起こさないように心がけていたのでしたが、起こしたようなので、悪い事をしたと思いました。この家では、朝食は8時でゆっくりしていたことを知りました。(今、思うと非常に厚かましい事をやっていたとつくづく感心させられます。)

 その後、私の為に、色々な福祉施設に電話を掛けて見学ができるかとかバイトができるか等を聞いてくれました。たまたま休暇を取っている人が多くて良い情報をえられなかったようで、その時は、それ以上は無理で、後に問い合す事で終わりました。

 そして、ユースの前で拾った東洋人の私に驚くことに家の鍵のある場所を告げて、その後ユース迄送ってくれたのでした。(わずか数日いた人間に大事な家の鍵を教える事は、日本では考えられない驚き事でした。)これからも、この旅で会う人会う人、みんな良い人たちばかりでした。これから、デンマークで色々学べたのも彼らの協力があったからでした。感謝一杯の気持でした。

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