旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

802 デンマークⅢ 青春ユースの1日(次回更新予定日 3月6日 第一土曜日)

2021-02-20 04:27:34 | 思い出日記

  海外に憧れ影響を受けたのは兄がアメリカの地平線を見てみたい!それと毎週見ていたテレビ番組の「兼高かおる世界の旅」。特に路線バスで行ったイタリアのチボリにある数々の噴水、実際に兼高さんと同じ所にいたとの感動と感激は今でも言葉に表現できないです。(注:同じ名のデンマークのチボリは江戸時代からあるテーマパークです。)社会人になって、その兼高さんと偶然同じパンナム機に、こちらは社用でクラスが同じだと思いましたが、歩いている所の彼女を見ただけでした。残念!では続きを..

  日本から初めて受け取った沢山の手紙や新聞を嬉しく楽しく読みました。特にタイガースの江夏が球宴で連続9三振を取った記事を、早速部屋に飾りました。
 午後、洗濯の後、みんなで屋外プールでへ、水は綺麗でしたが寒いのに泳いでいました。ここは北欧でした。ちょっと風邪気味だったのと、愛用の真っ赤なバンダナを無くして、この寒さ全くテンション上がりませんでした。
 夜に、オーデンセン迄行く居候(今となっては居候していた事も忘れてしまっています)村上氏に、ドイツ、デンマーク、スウェーデンとヒッチハイク実績のある私は、今やその道の超ベテランとノウハウを教えました。(思い上がりも甚だしい!)

 近くに一人寂しく本を読んでいる女性がいました。声を掛けると、殆ど英語が分からないようで、可愛い娘でドイツから来たと言う事がかろうじて分かりました。それなら、ドイツ語を勉強しようと一生懸命尋ねました。言葉はこうして覚えるものだと思いました。(今や日本語もたどたどしいです!)
 その後、2人で外にでましたが、前のカップルの女性がいちいち通訳してくれました。少しうるさく感じたので、別の行動を取りました。2人きりになった所で軽くキッスをすると、意外にも強烈に受けてくれたのでした。今までの、淑やかさはなんだったんだろう、残念ながら全く覚えていません。
 サロンに帰ってからも、殆ど英語が通じないので仕方無いので別れようと思ったら、別れの口づけと言うより、もっと激しく抱きついたのでした。沢山の人前でのキッスは強烈で凄いものでしたが、色々あって今や全然覚えてもいません。
 翌朝、8時のユースを発つと言い残してやっと寝に行きました。色々あった一日がやっと終わりました。

(本文とは関係ない事ですが、この時期、人が言った事、悪気が無くても裏を取ってから出なければ流言飛語(蜚語)になります。気を付けて下さい。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

801 デンマーク ’71ーⅡ (次回更新予定は 2月20日 第三土曜日)

2021-02-06 06:09:32 | 思い出日記

 思いもしない大きな花束を頂いて超感激!6年続けた高齢者施設を辞めた時でした。バイト先の事でビックリ!朝早く働いただけで年休が、続けているマンションの管理員と大違いです。花束を頂いたのは定年退職以来、辞めた理由は新型コロナが心配してでした。お返しになればと親会社に新型コロナの対策方法を親会社にメールで送りました。クリスマス にポインセチアを持って施設へ!一部分しか見ていませんが以前と同じでした。クラスター!心配し過ぎ?            ’71年当時の若い日々に戻ります...

 朝食後、フランス娘達が出発の挨拶に、どの娘も可愛い仕草で気持ち良かったでした。朝から気分爽快、そして午前中にお茶の時間を初めて持ち、ゆっくりと楽しい時間でした。
 楽しい事は続きません。昼過ぎに来たのは昔のユース、つまり老人ばかりの団体が到着。今その年になるとは!誰がや?済みません私でした。日本なら考えられない年寄りがユースに、その団体だけで殆ど満ベットで今日着いた本当のユース達は寝る所が無く、大変困って「近くのユースは何処にあるか?」等、聞いて来て我々も困ったものでした。
 そんな中、キクちゃんを頼って来た人は、1,000ドル(1ドル360円当時は大金、今の私にとっても大金)持っているにもかかわらず、誰に断るでも無く居候を決め込んだのでした。他の連中とも話す事無く、夜、彼を無視してカードを楽しんだのでした。
 朝早く、土屋氏とキクちゃんが部屋を出て行ったので時計が狂っているのかと、それは老人達が早朝から食事をすると分かりました。どの国でも老人は早起きでした。(私もそのポイントはクリアして現在、4時半起きです。)

 昨日の居候は勝手に部屋の床に寝ていました。もう一人の居候である村上氏が、どう注意したか不明ですが外に出て行ったのです。信じられない程、人との付き合い方が下手でした。
 部屋に女たらしであだ名’’デン助’’が、地酒を造ったと言うので買わないかと持ってきました。私にとって出費だったけれど(たかだか一人2kr)、その当時は赤ワインは飲めなかったけど買いました。かなり大きな物(10リットル位)で実際かなり安かったです。 
 夜、しのさんからヒッチで帰って来てチボリ公園から彼女に振られたと電話を掛けてきました。我々と合流して、そして夜遅く迄かなり飲んだのでした。ちょっとドイツに行って来ると、2泊で帰って来ましたので、本当に隣町にちょっとだけ行ってきた感じでした。翌朝は二日酔いでふらふらでした。

 〔注、高齢者では無く老人「高齢者と海」(ヘミングウェイ) ’71年の事で文中で老人を用いています〕

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする