31日、そして今年もお終いとなりました。年々1年と言うものが早く感じられます。‘元旦や 冥土の道への 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし’確かこの様な句があったと思われますが。いつも頭に浮かんできます。明日元旦もう少し頑張らなくては、いよいよこの句が現実のものの様に近くなって来ました。
そして次の日が1月1日、これが不思議です。別に日が変わるだけで普段と同じです。暦とはまったく上手く出来たもので、まして日本では4季がハッキリしているから新年で気を新たに頑張ろう、今年こそは気持ちも変わらなくてはと思います。そう思い続けて何十年たってます。
31日に紅白歌合戦、初めてこれを考えた人はここまで国民の間に広まるとは思ってもでしょうか。これを見て聞いていなくてもこれが済んで、そして世界中の大勢の人は当り前の様に新年を迎えるのです。ロンドンにいた時に、日本人ばっかりの劇場で紅白を見たのを思い出します。さらに面白い事に、最後に司会者が泣いていた事も今となってはいい思い出です。
向こうに行くまで、紅白は大嫌いでした。今もそんな気持ちに変化はありません。それと言うよりも以前よりも好き嫌いどうでも良くなりました。しかし、帰って来て好みが一番変わったのが、今思うと不思議に日本的なものに興味が出てきて、特に美空ひばりが大嫌いから大好きになりました。古い映画でやっている時代劇とか、そこに出て来る昔の京都の風景を懐かしんで見て、美空ひばりは良いなーと思うようになりました。
同じように都はるみも嫌いでしたが、それぞれ歌を聴く様になりました。都はるみは小学生の時だか中学生の時か忘れましたが、姉と二人で京都会館第1ホールの前の方に聴きに行って、‘はるみ!はるみ!’と大声で声援を送っている太い声を思い出します。自分の座っていた席とその光景とだけ何故か脳に焼きついています。
それと、母親がちあきなおみの‘喝采’が好きだった事を思い出します。細川ただしに取っていかれましたが、‘矢切の渡しは’彼女が初めに歌っていたのでした。情緒があって凄く良かったのに持って行かれて、そして彼女の歌が聴けなくて残念です。
色々思い出しますが、今までやって来た皆さんも今の事をメモっていかないと古い話を忘れる様になります。古い話はまだまだと言う方、新しい話をこれから作って行く人もそれはそれで良い思いでとなって行くでしょう。
人間公平なのは金持ちであれ貧乏人であれ、必ず一度は死ぬと言う事です。人間は寿命と言うものがあるのですが、今年の様に突然災害に見舞われて不幸では言い表せない死と言うものもあります。ニュースで見たのですが、自動車を運転していた人が、波に流されて奇跡的に助かった人がいました。自動車を停めた位置が渋滞で丁度横にあったビルで波が直接来なかった為だという話しでした。
ただこれだけで助かる、その反対もありますが、分からないものですけど、この人は助かったと言う事でした。生死を分けるものは何なんでしょう。何時死ぬか微妙ですから、生きている間だけでも精一杯に生きましょう。これが私にとって大変難しいから困ったものです。
誰でも人は死と言うものに、この世に生を受けると同時に向かい合って生きていかなくてはならないと言う定めになっています。この事に気づいたのは最近の事で、気づかなくてもお迎えは来るのです。でも、気づくのが遅すぎますよね!
新しい年に 皆様方のより一層の活躍を期待します
そして次の日が1月1日、これが不思議です。別に日が変わるだけで普段と同じです。暦とはまったく上手く出来たもので、まして日本では4季がハッキリしているから新年で気を新たに頑張ろう、今年こそは気持ちも変わらなくてはと思います。そう思い続けて何十年たってます。
31日に紅白歌合戦、初めてこれを考えた人はここまで国民の間に広まるとは思ってもでしょうか。これを見て聞いていなくてもこれが済んで、そして世界中の大勢の人は当り前の様に新年を迎えるのです。ロンドンにいた時に、日本人ばっかりの劇場で紅白を見たのを思い出します。さらに面白い事に、最後に司会者が泣いていた事も今となってはいい思い出です。
向こうに行くまで、紅白は大嫌いでした。今もそんな気持ちに変化はありません。それと言うよりも以前よりも好き嫌いどうでも良くなりました。しかし、帰って来て好みが一番変わったのが、今思うと不思議に日本的なものに興味が出てきて、特に美空ひばりが大嫌いから大好きになりました。古い映画でやっている時代劇とか、そこに出て来る昔の京都の風景を懐かしんで見て、美空ひばりは良いなーと思うようになりました。
同じように都はるみも嫌いでしたが、それぞれ歌を聴く様になりました。都はるみは小学生の時だか中学生の時か忘れましたが、姉と二人で京都会館第1ホールの前の方に聴きに行って、‘はるみ!はるみ!’と大声で声援を送っている太い声を思い出します。自分の座っていた席とその光景とだけ何故か脳に焼きついています。
それと、母親がちあきなおみの‘喝采’が好きだった事を思い出します。細川ただしに取っていかれましたが、‘矢切の渡しは’彼女が初めに歌っていたのでした。情緒があって凄く良かったのに持って行かれて、そして彼女の歌が聴けなくて残念です。
色々思い出しますが、今までやって来た皆さんも今の事をメモっていかないと古い話を忘れる様になります。古い話はまだまだと言う方、新しい話をこれから作って行く人もそれはそれで良い思いでとなって行くでしょう。
人間公平なのは金持ちであれ貧乏人であれ、必ず一度は死ぬと言う事です。人間は寿命と言うものがあるのですが、今年の様に突然災害に見舞われて不幸では言い表せない死と言うものもあります。ニュースで見たのですが、自動車を運転していた人が、波に流されて奇跡的に助かった人がいました。自動車を停めた位置が渋滞で丁度横にあったビルで波が直接来なかった為だという話しでした。
ただこれだけで助かる、その反対もありますが、分からないものですけど、この人は助かったと言う事でした。生死を分けるものは何なんでしょう。何時死ぬか微妙ですから、生きている間だけでも精一杯に生きましょう。これが私にとって大変難しいから困ったものです。
誰でも人は死と言うものに、この世に生を受けると同時に向かい合って生きていかなくてはならないと言う定めになっています。この事に気づいたのは最近の事で、気づかなくてもお迎えは来るのです。でも、気づくのが遅すぎますよね!
新しい年に 皆様方のより一層の活躍を期待します