旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

232 1年が早い

2011-12-31 08:08:12 | 日記
  31日、そして今年もお終いとなりました。年々1年と言うものが早く感じられます。‘元旦や 冥土の道への 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし’確かこの様な句があったと思われますが。いつも頭に浮かんできます。明日元旦もう少し頑張らなくては、いよいよこの句が現実のものの様に近くなって来ました。

  そして次の日が1月1日、これが不思議です。別に日が変わるだけで普段と同じです。暦とはまったく上手く出来たもので、まして日本では4季がハッキリしているから新年で気を新たに頑張ろう、今年こそは気持ちも変わらなくてはと思います。そう思い続けて何十年たってます。

 31日に紅白歌合戦、初めてこれを考えた人はここまで国民の間に広まるとは思ってもでしょうか。これを見て聞いていなくてもこれが済んで、そして世界中の大勢の人は当り前の様に新年を迎えるのです。ロンドンにいた時に、日本人ばっかりの劇場で紅白を見たのを思い出します。さらに面白い事に、最後に司会者が泣いていた事も今となってはいい思い出です。

 向こうに行くまで、紅白は大嫌いでした。今もそんな気持ちに変化はありません。それと言うよりも以前よりも好き嫌いどうでも良くなりました。しかし、帰って来て好みが一番変わったのが、今思うと不思議に日本的なものに興味が出てきて、特に美空ひばりが大嫌いから大好きになりました。古い映画でやっている時代劇とか、そこに出て来る昔の京都の風景を懐かしんで見て、美空ひばりは良いなーと思うようになりました。
 同じように都はるみも嫌いでしたが、それぞれ歌を聴く様になりました。都はるみは小学生の時だか中学生の時か忘れましたが、姉と二人で京都会館第1ホールの前の方に聴きに行って、‘はるみ!はるみ!’と大声で声援を送っている太い声を思い出します。自分の座っていた席とその光景とだけ何故か脳に焼きついています。
 
 それと、母親がちあきなおみの‘喝采’が好きだった事を思い出します。細川ただしに取っていかれましたが、‘矢切の渡しは’彼女が初めに歌っていたのでした。情緒があって凄く良かったのに持って行かれて、そして彼女の歌が聴けなくて残念です。
色々思い出しますが、今までやって来た皆さんも今の事をメモっていかないと古い話を忘れる様になります。古い話はまだまだと言う方、新しい話をこれから作って行く人もそれはそれで良い思いでとなって行くでしょう。
 
 人間公平なのは金持ちであれ貧乏人であれ、必ず一度は死ぬと言う事です。人間は寿命と言うものがあるのですが、今年の様に突然災害に見舞われて不幸では言い表せない死と言うものもあります。ニュースで見たのですが、自動車を運転していた人が、波に流されて奇跡的に助かった人がいました。自動車を停めた位置が渋滞で丁度横にあったビルで波が直接来なかった為だという話しでした。
 ただこれだけで助かる、その反対もありますが、分からないものですけど、この人は助かったと言う事でした。生死を分けるものは何なんでしょう。何時死ぬか微妙ですから、生きている間だけでも精一杯に生きましょう。これが私にとって大変難しいから困ったものです。

 誰でも人は死と言うものに、この世に生を受けると同時に向かい合って生きていかなくてはならないと言う定めになっています。この事に気づいたのは最近の事で、気づかなくてもお迎えは来るのです。でも、気づくのが遅すぎますよね!

 新しい年に 皆様方のより一層の活躍を期待します

 
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231 クリスマスおめでとう!

2011-12-24 07:08:46 | 日記
 もう直ぐと言うか今日はイブ、明日はクリスマス、まったく1年が早く来るので驚きです。11月仕事から帰って来た所、遊んでいた子供たちが突然遊びをやめて、いっせいに寄って来ました。これほど子供に慕われる訳がないので、何かあったのかなと思いました。私自身近所とは普段付き合いもありませんので、何事かと心の中で多少ビックリしました。

 その中の一番大きめでガキ大将と思われる子が、我が家のクリスマスのイルミネーションを点けて下さいと言ったのでした。その子に、もう既にイルミネーションの用意が出来ているから、早く点けて下さいと言われたのでありました。まだ、小さいのに丁寧な言葉を使い再度驚きました。

 そもそも勝手に子供たちが出来上がったと決め付けていますが、実は未だ途中でボチボチと毎日少しずつやっている最中でしたので、その事を告げて、丁寧に今は11月の初め、クリスマスは12月だからもう少し待ってくれますかと言いました。

例年、成田で仕事をしている時は、成田からイルミネーション飾り付けの為に帰って11月中に点けるのですが、その時は成田から帰り朝から夜まで毎回4日間かかり切りで仕上げたのですが、これ程迄に注目を浴びているとは知らなかったのでした。今年はその様な事があって急遽翌日に完成させました。我が家のクリスマスのイルミネーションは自分で言うのもなんなんですが、毎年大変凝っています。

 そもそも私が子供の時、我が家はクリスマスとは縁が無くて、ただ小さな30cm位のクリスマスツリーを買って貰い満足しましたが、覚えているのはその1回だけでした。それも毎年の事ではありませんでした、信仰の何ものも無かった、その程度でした。しかし、嬉しかったのか未だに覚えています。‘クリスマスおめでとう’と言う挨拶に何か初めに違和感を感じたのはクリスチャンと関係無い、そのせいかも知れないです。

 確か子供の時には、クリスマスとは宗教に関係無くて、大人が飲み食いしてドンチャン騒ぎする人が多かったと思います。それから女性の結婚適齢期が25才と言う時代もありましたが、クリスマスケーキは25日を過ぎると投売りされますが、女性も一緒で25過ぎたら叩き売りと言うような現在でしたら女性差別と訴えられる所です。でも義父が娘が25になったので結婚しなくてはならないと思って、私はそれで助かって、結婚できました。

 子供を授かってから、毎年燭火礼拝に行くようになりました。そもそもクリスマスのイルミネーションを点ける様になったのは、子供が生まれて家の中を飾った事が最初でした。娘が立てるか立てない時からでしたから、もう四半世紀にもなっています。それからアメリカで村中ライティングをしたのに大げさに言えば、感銘を受けてマンションのベランダにする様になったのでした。毎年少しずつ買って、ベランダが一杯になり、一軒屋に引越ししてからは、枠にとらわれずに自由にやるようになったのでした。しかし、子供も大きくなり大人の私が一人でやっているのですが、子供が小さい時から手伝わせれば良かったと思いながら、いい加減疲れ始めた所で子供達に声を掛けて貰ったのでした。来年も頑張ろう、これで止めるに止められなくなったのでした。

 皆さん、‘クリスマス おめでとう御座います’

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230 深川7福神めぐり Ⅲ 最終編

2011-12-17 07:10:59 | 散策
  東京はお寺の多いのにまず驚きます、善徳寺、霊光院、龍光院、浄心寺では流石東京その墓場の卒塔婆の数の多さに驚きました。塀の外迄、狭いから目立つのか卒塔婆がギッシリとありました。こんな墓場は初めてですので、もの好きの方是非見学して下さい。30センチ程の墓が連なってあり、見ると同日で沢山の卒塔婆があり何かの法事がなされたのでしょう。どのお墓も多分一人一人が別々に卒塔婆を作るのでやたらと多いのに気付きました。それにしてもこの様な墓場は初めてで驚きました。余り気味の良い物では無かったでした。感想としましては、私は死んでもこんな狭い所に入る位なら、自分のお墓はいらないです。

 大体京都と違ってお寺の建物は多分戦災で中途半端に新しくて、観光寺院が多い京都と違って、墓場の管理的な所が多い様でした。こんな寺院も確か霊光院では落語の寄席が1,000円で前売りをしてましたが、今となっては本当の寺銭をかせいでいるのだと思いました。どこも似たりよったりのお寺ですが(京都奈良もお寺神社を外国の人に一緒に行くと、どれも同じに見えます)、取りあえず東京にはお寺が多いのには毎回驚かされます。

 深川2中の学生服を見ていると、着こなしが野暮ったいのが東京の中学生も田舎と同じ風に見えたのは私だけだったでしょうか、私の想像ですが、都会の学生は学生服を着こなしているとは勘違いでした。 
 冬木弁天堂(弁財天)はお堂の横の像が盗まれ無いかと、余計な心配までしてしまいました。明治小学校は多分古い学校だろうな、名前もナカナカのものです。
 心行寺は江東区がどんなものか分からないけど江東区最古の五重石塔となっていましたが、石塔がどれだけあるのかと思いました。初めて見たものばっかしですが、深川えん魔堂は賽銭を入れるとコンピュウターで話してくれる凄い中国風のエンマさん。私とは関係無い浮気封じ、関係無いとは言えないボケ封じ、いじめ除けにご利益ありとの事でした。今考えると賽銭弾んでたらボケ封じに良かったと残念。

 良く整備されて植林された高速道路の下を立派な鳥居と建物のある富岡八幡宮へ。昼間からコップ酒を飲んでいる人を羨ましそうに眺めながら良く見ると、横の人が携帯電話を使っているのではありませんか、流石東京と驚きながら、やっぱりホームレスと違ったかもしれないと、本当に気楽で幸せそうでした。
 ここ富岡八幡宮は伊能忠敬が、測量の前にここに来た事があると言う少し頭が大きい像が実物より大きめのがあり立派な神社でした。
 昼食の量不足の為に、たまらず境内を出た所の門前そば屋さんにて500円のかけそばを食べました。東京に来て初めての汁そばでしたが、細めんで500円の味はまずまずでした。
 
 今回の最後の〆は深川不動尊で、一見の価値がありましが、4階建てのビルの中身はきらびやかな仏像の数々が見られます。阿の橋は地下30メートルから採れた石で総ての本源の阿と言う光が3メートル程の橋の中心にライトで照らされて、その橋を通ると希望成就、でも宗教心無く通過。総て無料ですが、やたらと賽銭箱が多いはビックリでした。少し古いのですが、足裏占いの福原教祖もこのアイデアを取ったかも知れません。

 まあ、そんな雰囲気の所でしたが、成田本尊よりもこの別院の方が楽しめました。参道の入り口敷地から出た最初の所が、何故か京のぶぶずけ(おちゃずけ)と隣が京の漬物のお店でした。参道は成田不動尊や葛飾の帝釈天の方が情緒がありました。


 
 
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229 愛宕山

2011-12-10 05:52:55 | 山登り
 子供の時に聞いた話で、比叡山と愛宕山が喧嘩して愛宕さんにコブができた分愛宕山が高くなったと教えられました。前日の天気予報で雨の予想、その愛宕山に登山に行こうと思った毎週土曜は毎回雨模様で年内と言うか永遠に行くのは無理と諦めていたのでした。しかし、朝起きると曇り空で8時を過ぎると何と晴れてきたでは無いですか。今日行かなくてはと決めてやや遅く9時半に家を出発しました。

 阪急嵐山に着いたのは11時前で、清滝行きのバスは出た所で諦めて30分後バスに乗る心算でいたら、運良くバスが遅れて到着したのでした。途中京都らしくバスが通るのが精一杯の道を、化野念仏寺を通りトンネル前で信号待ちしました。トンネルを通ってビックリ、一方通行でバス1台がかろうじて通れる程狭い道を、向こうから人が来るのでした。こんな狭く細い道にバスが通るとは、驚きでした。この道は昔、小学校の時に通った道はずですが、全く覚えていません。

 我々の他に一人になって、終点の清滝に着きました。インターネットの動画で見て道筋は分っていたのでトンネルを後ろに見て坂を下って行くと、渡猿橋があり渡ると人家があり、夏は避暑地として良く来ましたが、秋や冬にはお店をやっていない様で、淋しくどのお店も閉じていました。
 しばらく行くと愛宕神社の鳥居がありました、ここから山上の神社迄、温度差が10度もあるとい言う事で山頂は924mあると記されていました。表参道は初めだけ舗装してある道でしたが、急な坂道を少し行くと、歩くだけで汗ダクダクになってしまいました。これもネット情報で、山水が飲む為にある所迄来ると私のハンカチはもう汗でビショビショになっていました。今日は寒いと思って、ダウンのベストとジャケットを重ね着していたのですが、とりあえずジャケットを脱いで手ぬぐいを借りて歩き始めました。

 まだまだ始まった所で、山頂迄40分割してあり、そして5合目まで来ると休息所で休みしました。頂上迄、40分の20となっていて分り易くてとても助かりました。その後もこれを目安に行きましたが、既にベストも脱いでいました。親子ずれがいて2-3歳と思われる子供を背負っていましたが、若いから出来ますが、私には若くなってもとても無理だと思いました。

 そこからちょっと坂がゆるやかになり歩き易くなり、7合目の休息所を過ぎると氷雨が降ってきました。水尾の別れの休息所を過ぎて行くと倒木が道を跨いでいましたが、その下を通っていきました。黒門を通って最後の階段がきついと聞いていたのですが、どうにか無事に到着ですが、雨を避けてお昼の弁当を頂きました。
 その後お参りをして、明智光秀がくじを引いて凶が3度出たと言うのが伝えられていますが、私は大吉が出てとりあえず今日一番の目標達成です。

 雨は止んで、帰りは来た道と違い階段を下りると左へ、かなり細い道を月輪寺、法然上人25霊場、第18番札所を目指しました。お寺はそれなりにあるのですが、家がもう少しでバラックになる様な立替をするのも無理な様子で、良く見ると崖にある所でした。住職と思われる、若く体格も良くてこの山奥に歩いて物を運んで来るには丁度良い人でした。  
そこから、足を引きずりながら下迄下りて行きました。その間途中人とも会わずに、平和な総時間5時間の登山でした。
 
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228 スキー IN AMERICA

2011-12-03 08:00:00 | 散策
 もうすぐスキーシーズン、素晴らしいスキー場がアメリカに彼方此方にあるので、スキー場を紹介する為仕事でも、そして遊びでも比較的に良くスキーに行きました。ちょっと変わった所で、一番日本から近かったのが2度行ったシアトルから約一時間少しのクリスタルマウンテンです。飛行機乗る時間合わしても大阪から車で行く信州より楽で殆ど変わらないのだと思いました。
 総てのスキー場にコースがあるのですが、日本と違って、みんなは何処でも滑っていますので、コースとは関係無くそれなりに楽しめます。

 シアトルに着いてからレンタカー会社で車とチェーンを借りて行ったのですが、途中は雪も無く、それこそ晴れ男のままで良かったですが、もう到着である最後の駐車場に入れる時にチェーンを付けなくて、ちょっとの距離に付けただけで切れてしまったのでした。幸いに帰る時には雪が少なくて助かりましたが、それ以降チェーンは其の都度買うことにしたのでした。勿論レンタカー会社にはクレイムを嫌と言うほど言いました。

 マウント レイニアは山の向こうにそびえたち美しくてスキー場は問題無く良かったのですが、町から1時間と近いので週末は日本ほどではありませんが混んでいました。

 又、別の時にヘブンリーバレイに行った時の事、雪が降ら無くなくて現地にいる人が何故来たのかと不思議に問いました。今晩から雪が降ると言ったら、その言葉通りドカ雪で、直ぐにでもスキーができそうになったのですが、アメリカでは知らなかったですが保険の問題があるから直ぐにオープンできないとの事でした。
 大体遊び晴れ男、仕事雨男の誉れ高くて?旅行に傘を持って行く事は無かったのですが、スキー場の保険には勝てなくて近辺に沢山あるスキー場にいったのでした。道は雪で覆われていましたが、車はスノータイアで80キロは問題なく出せました。何処のスキー場か忘れましたが、その時、吹雪の中で丁度リフトに乗っていて、余りに風が強くて止まってしまって、寒い中映画の如く空中で吹きっさらしになったりしました。お陰で随分と色んなスキー場でスキーを経験できました。

 勿論、最後の何日かはヘブンリーバレイ、ここはネバダ州とカルフォル二ア州とにまたがってあって凄く美しいコースです。ホテルがネバダ州にあったので夜はカジノで楽しみましたが、未だスキーシーズンが始まった所で、広い所で凄く閑散としていました。飲み物を運んで来る女の子にチップとして25セントを払ったのですが、その時はOKでしたが、ラスベガスに行った時に同じように25セント払ったら2度と来ませんでした。やはり田舎とは大違いでした。
 屋外プールがあったので、娘と2人だけで雪の中の水泳を楽しみましたが、中に戻ろうとして入れなくなって大騒ぎした事を思い出します。帰りは、リノに行く前に丁度クリスマス季節でしたから途中の村では村ごとイルミネションで美しくしてあったのが凄く印象に残っています。

 別のとき、帰りにサンフランシスコに行こうとして、車を雪の中に突っ込んで助けを呼びに世話になった人が働いているとこまで行きましたが、帰ってくると何のことは無い前の雪を除け貰って脱出していたのでした。脱出するには後ろに行かねばならないと考えが馬鹿だと気づいたのでした。

 その時、一時間程レストランで食事を取って外にでたらビックリする程凄いドカ雪で、オーバーで無く少しの間に膝下まで雪が膝まで積もったのでした。やっぱりアメリカのスキーは長靴が必要と思いました。雪で前が見えない中ドライブして、その後は途中でアウトレットで買い物をしてサンフランシスコに行きました。今となってはいい思い出です。

 
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