今まで知りませんでしたが、老人力、老人が力を発揮する?とは、その言葉は1997年に出来たそうです。その具現者(赤瀬川源平)が老人力について書いています。ナカナカ面白いので紹介したいと思います。
そもそも還暦をむかえて自分の年より10歳も年上の人を見て、体力、記憶力が衰えてきた人(著者)、ボケて名前を忘れたり、約束を忘れたりしていく姿を見て、老人力が高まったと言ったのが初めでした。ぶらぶら歩いて、ぶらぶら物件を見つけて、ブラブラ写真を撮るという、ぶらぶら感覚の中から老人力は発祥したのでした。つかみどころの無いエネルギー概念「老人力」という名前が発表されてからは、自然のパワーとして積極性が出てきたと言ってます。
‘忘却という事は、拒み難い時の力’人間歳をとると物忘れがひどくなるのはいうのは誰しもあることです。「あいつもだいぶボケたな」の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」ということで、歳をとることに積極性が出て、「物忘れ イズ ビューティフル」となるというのです。
若い人も、若年寄りと言われるように老人力を発揮していて、その人達の事を何故か恥ずかしくも早老と言います。それは人間の知恵、つまり、生きて来た社会生活で得たコセコセ力を少しづつ殺ぎ落としてきた人といえます。
忘れようとするとますます忘れられない、努力して覚えることはできても忘れることはナカナカ出来ないものです。情報が無いと不安、捨てるのがもったいない。みんないざとなったら情報を捨てられない。ボンボン忘れて行く事の面白さを見つけたと言う事で、老人力がそんな悩みを無意識の内に自然に解決してくれます。そして、その方が幸せになるという訳です。回りの人だけが不幸せ?だと思います。
テレビが好きであった自分が情報だらけで、大した情報でないのに大事に覚えて、その内いつか忘れている。捨てていく気持ちに江戸っ子になって ‘宵越しの情報は持たねえ’。年とってくると便利な事、頭のガードがゆるんで警戒心が無くなってくる、すると吸収が良くなったり新しいものが入り易くなってくる。良い事ばかりです。
著者は小津安二郎の再評価を何本か続けて見て、小津力というものを認めたのです。一方で小津監督の現役で撮っていた時には他の監督の作品を見ていて、全然見ていなかったそうです。やはり、長生きしなくては、分からない事が多いようです。
そして年をとるとどうしても人生が見えて来ます。若い時は、考えもしなかった、つまり有限の先が見えてきます。その有限世界をどう過ごすか、特に若い時には分かり難い。情けないかな、未だに私は分からない。考えなくてはいけないですが、それがナカナカ難しいです。
そもそも還暦をむかえて自分の年より10歳も年上の人を見て、体力、記憶力が衰えてきた人(著者)、ボケて名前を忘れたり、約束を忘れたりしていく姿を見て、老人力が高まったと言ったのが初めでした。ぶらぶら歩いて、ぶらぶら物件を見つけて、ブラブラ写真を撮るという、ぶらぶら感覚の中から老人力は発祥したのでした。つかみどころの無いエネルギー概念「老人力」という名前が発表されてからは、自然のパワーとして積極性が出てきたと言ってます。
‘忘却という事は、拒み難い時の力’人間歳をとると物忘れがひどくなるのはいうのは誰しもあることです。「あいつもだいぶボケたな」の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」ということで、歳をとることに積極性が出て、「物忘れ イズ ビューティフル」となるというのです。
若い人も、若年寄りと言われるように老人力を発揮していて、その人達の事を何故か恥ずかしくも早老と言います。それは人間の知恵、つまり、生きて来た社会生活で得たコセコセ力を少しづつ殺ぎ落としてきた人といえます。
忘れようとするとますます忘れられない、努力して覚えることはできても忘れることはナカナカ出来ないものです。情報が無いと不安、捨てるのがもったいない。みんないざとなったら情報を捨てられない。ボンボン忘れて行く事の面白さを見つけたと言う事で、老人力がそんな悩みを無意識の内に自然に解決してくれます。そして、その方が幸せになるという訳です。回りの人だけが不幸せ?だと思います。
テレビが好きであった自分が情報だらけで、大した情報でないのに大事に覚えて、その内いつか忘れている。捨てていく気持ちに江戸っ子になって ‘宵越しの情報は持たねえ’。年とってくると便利な事、頭のガードがゆるんで警戒心が無くなってくる、すると吸収が良くなったり新しいものが入り易くなってくる。良い事ばかりです。
著者は小津安二郎の再評価を何本か続けて見て、小津力というものを認めたのです。一方で小津監督の現役で撮っていた時には他の監督の作品を見ていて、全然見ていなかったそうです。やはり、長生きしなくては、分からない事が多いようです。
そして年をとるとどうしても人生が見えて来ます。若い時は、考えもしなかった、つまり有限の先が見えてきます。その有限世界をどう過ごすか、特に若い時には分かり難い。情けないかな、未だに私は分からない。考えなくてはいけないですが、それがナカナカ難しいです。