旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

452 日本 VS  (毎土曜日 更新)

2016-01-30 04:38:50 | 高齢者
 頑張れ日本、そうです島国日本は他の東洋の国より今の所、一歩進んでいます(と思います)。同じ様な島国の台湾、フィリピン、インドネシア等と、どこがどう違うんでしょうか?

 長い鎖国をしていたから、ユニークな発想ができた。しかし、それ以前、国の成り立ちを見て、そもそも大昔から違っていたのかも知れません。そうに違いないです。

 他の地域と一番違うのは、気候だと思います。夏の暑さをしのぎ、冬の寒さを迎える前、台風があり、秋、そして春の良い季節がやってきます。それが感情、情緒、生き方を作り出したのではと思っています。
素晴らしい桜が咲くのは、確か、台湾でも珍しいと言っていたと思います。(今や、品種改良が進んで、ビルマ=ミヤンマー、アフリカ等、桜が植えられています。)ロンドンで見た綺麗な桜は、一番印象に残ってます。
 デンマークで冬の外ではオーバーを家の中ではTシャツ1枚に驚いた事がありましたが、日本では多くの地域では極端には寒くないから、冬でもおろそかになっています。

 今では日本の家屋は、我が家でも入ると真冬でもデンマークと同じ様になりましたが、70年代では、まして戦前戦後、それ以前、ガラスが無く風が吹き込む隙間だらけの所に住んでいたと思われます。今でものその状況の人がいたら、お察しします(成田時代がそうでした(笑))。
 ただ、せんべい布団、それさえも無い水飲み百姓と言われた人達は冬にはどうやっていたのか想像もできません。

 暖かな国では、食べ物が豊富にあり、着る服も何も苦労もしないと想像できます。一方日本では想像以上に冬が厳しかった思います。書物の伝えるのは知識階級のもだけ、残された家具、民芸品から推測するより仕方が無く、昔がどのような厳しさか想像すらできないです。江戸時代でも、手火鉢だけが暖房であったに違い無いです。昔、京都の我が家は掘りごたつと火鉢がありましたが、暫くして石油ストーブがその横であったのを覚えています。
 そして、教育水準が高かった事もあると思います。漢字が日本に伝わって、その漢字だけでは日本語を表すのに大変と平仮名と片仮名を作った様に、フレキシブルな日本人、それを又、使うと言う所に何か日本人のたくましさがあるのでは無いかとおもいます。

 近代化は、温暖化は止めようも無くなってきました。数々の災害はそのせいである事が多いです。今や地球が変になり始めています。日本だけで無く、これからの事をモット世界を考える必要があります。
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451 耐用年数   (毎土曜日 更新しています)

2016-01-23 04:38:09 | 目標
耐用年数とは、知っている人は知っている減価償却資産が利用に耐える年数をいう。長期 にわたり反復使用に耐える経済的に価値があるものの使用又は所有の価値の減価を、各年度に費用配分していく場合の、計算の基礎ともなります。

 動かなくなったらポイと使い捨て、使うものによっては耐用年数というものは、最早ものによってはある意味無いとも言えます。子供の頃、ルーシーショウとか別世界で憧れ夢みたいなアメリカの生活、それ以上になっています。そしてアメリカの方が、国が新しいだけに古いものを大事にしていると思います。

 現在は直すより、ナオスはナオスでも買いなおす、その方が安く簡単であり、古くなったものを大事にできない時代です。それは大量生産でものが作られるようになってからだと思います。かって日本がアメリカに対してそうあった如く、中国が安い人件費で肩代わりしたと言えます。1ドルが360円、今では価値が3分の1、世の中変わるものです。

 昔、アメリカ旅行に行く度にワンダラーショップを探し安くて珍しいものを買ったものでした。それから何年か経ち、日本でも、100均なるものができました。そうこうする内に、全国チェーン店となり修理して直すより、新しく買う方が安い時代になりました。

 それは又、修理技術者が不必要になり、そして熟練者が少なくなったとも言えます。それどころか自分で修理する必要が無くなりましたし、できなくなりました。

 ちょっと違いますが、例えば、穴あきの靴下と言うのがほぼ死語化していると思いませんか。靴下が昔ほど破れないとは云え、新しい靴下を買い、針糸が必要なくなったとも言えます。小学校の家庭科で習った裁縫も役立つ事が殆ど無くなりました。
  
 人間が精魂込めて作り出すものと、機械が作り出すものの差が判明できなくなったものも多くあります。そして機械が作り出すものに益々愛着が無くなって来ました。時代の流れと言え、どんどん日本人の器用さが失われていくのではと考えています。

 人間の平均寿命はどんどん伸びています。耐用年数とはモノに対しての年数です。でも、人にとっても考えていいのではと思っています。人の耐用年数は果たしてどれ位の長さなのでしょう。人によって違いますが、痴ほう症であっても生きている限り、耐用年数があると考えるのが当然です。でも、私の場合、延命治療は必要無し、人の尊厳死を真剣に考える必要がある時になりました。

 もう一度、まだあると思っている自分の耐用年数を考えて生きて行きたいと思います。
 
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450 「かきくけこ」 (毎土曜日 更改しています)

2016-01-16 07:49:03 | 高齢者
 このブログサイトは1年前に書いた事を伝えてくれます。コシノジュンコさんの「かきくけこ」について、か(今あることに)感謝、き、希望(を持って)、く(何事にも)、くよくよしない、け(自分自身の)健康管理、こ(思ったら)行動、の事を書いていました。この精神を忘れずに、お互い頑張って行きましょう。お互い?済みません。ひょっとして、この心得を持つ必要のあるのは、自分だけかも...毎日、同じ言葉を聞かされていて老人を見て、いつも感謝をしなくてはと思っています。

 去年の年賀状に元気が一番と書きました。高齢者施設で働いてみて、それでは駄目だと気づきました。「け」健康一番です、ボケれば本人は分からないからいいですが、元気だけであってもはた迷惑になることが往々にしてあります。毎日、同じ話を聞かされている私ですが、頭も健康でいくように頑張りたいものです。

 もう一つ「かきくけこ」、「か感動」「き緊張感」「くつろぎ」「け決断力」「こ好奇心」、これも机の横に書いて人生の指針にしています。

 「感動」は未だに十分にありますが、ただ何にでもすぐ感動、そして涙が。凄く涙もろくなるのは気をつける必要があると思います。「緊張感」が少し足らない面もあり、「決断力」はありますが、間違っている事が多くあり、「好奇心」は年と共に強くなったみたいです。
 
 「好奇心」、マンションの管理員をしていて、広い庭を掃除して蟻が塵取りに入り、かわいそうだから出しています。でも、間違って蟻を塵取りに入れたままにして捨てに行った場合、帰巣できるのか心配しています。蟻のさすらいとは聞いた事が無いんでどうなるんでしょう。毎度、そのような心配もしています。こんな具合で、まだまだ、色んな事に好奇心はあります。

 年取って来て、人の言葉を前よりも良く聞くようになったのです。その反面、いかに自分の意見を通すために人の意見を聞いていなっかたと思います。遅いですが、今から人の話す事を良く聞いて行かなくては、将来、うるさい老人と思われるだけになります。そんな心配はいらないと思いますが、皆さんは若い内から、その事を。大事にすると良いと思います。

 不思議なもので、今までそんなに気にしていなかったことが、気になります。そして自分自身の耐用年数が幾ら残っているか、分からない所に人生の面白さがあるとも思います。

 ついこの間、戦前まで人間50年でしたのに、戦後70年も過ぎると、健康一番100歳越えを目指しても不思議でありません。実際、何万と100歳越えの方がおられます。頑張ろう...

 
 
 
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449 介護ビジネス (毎週土曜日 更改)

2016-01-09 04:35:19 | 高齢者
 近年介護ホームの増え方は、職員がそれに追い付かない程、非常に程に多くなっていると思われます。これからベビーブームの世代がそれ相当の年になりて益々盛況になって行き、今やその前兆、自分が感心を持って見るのか、街はご老人ばかりが目立つようになりました。

 お手伝いしている施設も、できて2年を経過しただけですが、新しい同じ様な施設がドンドンできて、その反面介護ヘルパーの人材と人数は限られているのが現状です。

 今回も沢山のスタッフが辞めて行きました。資格がない簡単な仕事なら辞めても直ぐ補充も比較的に可能と思いますが、資格を持った人が何人か一緒に辞められるとかなり厳しいと思われます。
 
 責任も重く、夜勤等もあり仕事がハードで給料が安くて(マンションの管理員はモット安い)、辞めて行く人が多いのも分かりますし、それが現実です。私の様に少しだけ仕事をするだけでも大変なのに、辞めた事で緊急かも知れませんが、その為に、一日に16時間も勤務する事態あるようです。

 そして若い職員が何人も入って来ましたが、施設は目白押しで設立されていますから、資格を持っていれば売り手市場かとも思います。しかし、人の移り変わりは激しくて、将来性は疑問とも言え、継続して働くとなるとどうなるか分からないです。入って来るお金は同じですから、長く働いても実質的な給料を上げるのは限度があり厳しいと思います。

 その中で先見性のある人は、これも今の仕事の先行きに不安を抱いたのか、整体師として転職を考えて、今はその勉強をしながら働いています。さらに勉強3年間、良く頑張ると思います。

 余りに事件が多くあり、忘れているかも知れないですが介護ヘルパーの事件がありました。何人もベランダの柵を超えて下に落ちて死にましたが、その施設は全国規模にあります。これも若い人が毎日、痴ほう症等の高齢者に接していると、何をしても分からないと思う人間が出て来るようです。ハタマタ介護に疲れて良からぬ事を考えるのか分かりません。又、入居者の少しのお金をくすめると言う事は信じられないです。

 一週間見ないと顔中痣だらけの人がいました。本人がこけてなったのです。まるでいじめにあったかの様です。

 これも急激に大きくなったマーケットでスタッフ不足が一つの理由であるかもしれないとは言え、国からの補助等、これから一層考えないと今後益々増えていきます。
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448 新年おめでとう御座います (毎週土曜日 更改)

2016-01-02 09:03:09 | 思い出日記
 新しい年を迎え、途中から読んだ人に、このブログの少し成り立ちを少し説明させて頂きたいと思います。 

 そもそも退職後の事を何も考えていなかったのでした。お尻に火が点かないと何もしない、この辺が私の駄目な訳、どうにかなるだろうすら考えていない滅茶な人生を送って来た訳です。

 暇なので、学生時代に、ソ連(ロシア)欧州、アメリカと行った所の旅を思い出として纏めようと思い書き始めました。現在の内容と少しと言うより大分違うタイトル、「旅思い出、思い出し」として書き始いたのでした。

 旅の話を書き終えましたが、今とは比べものにならないですが、それでも、かなりの数の友人が読んでくれていました。それで終わるのは今まで読んでくれた人に申し訳なく、それならばと、日常の事や思い付いた事をそのまま続けて来て400話を書いて延べ13万アクセツ、今日に至りました。 
 途中でFB等を通じて、この前は今までの最高で想定外に多く、1週間に1,700もアクセツがあり、それ程友人がいるとは思えないので驚いています。

 一回大体1,500文字を基本として書いていましたが、新聞のコラム数が1,000から1,200文字で読みやすいと言われ現在に至っています。それでも長いと言われました。

 最近は、バイトで行っている介護ホームや高齢者の話が多くなっています。皆さんにはと言うより私にも関係無いと思っていましたが、私はマダマダ大丈夫ですが、年を取って来ると体力、気力がおのずと若い時よりどうしても落ちてきます。
 年齢とは関係無く、若い気持ちを持つ人がいますが、高齢者を見て気づいた事、主に好かれる年寄りになりたくて、現在それを中心に書いています。と言うのも無意識に性格習慣と言うものがでます。恐ろしもので、その無意識が普通になり、自分がどうしてそこにいるか分からなくなって行く人がいます。こんな具合に痴呆症になった時、それを自分で気付かないままです。

 若いから関係無いと思っている人がいるとしたら大間違いです。高齢者になれば今までの習慣が出て来ても痴ほう症のせいで気がつかない事があって、それが今までの生活状態を見せるのです。だから、若い内から、気がしっかりしている時から気をつける必要があるのです。まあ、痴ほう症になれば分からないので自分に関係無しと思う人がいれば別ですが、見っともありません。

 人生何十年も過ぎてくると、習慣、性格は治せないかも知れませんが、頑張りましょう。何に対しても、何時も感謝の気持ちを持って長生きしましょう。  

(1092文字でした)
 
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