人生、能力以上の事をやって来た私でした。が、実は人の助ばかり!例えば、学生の時に私の単車が阪神百貨店の配送車と接触事故の示談で、話の流れで給料も良く春夏冬休みに配達のバイトを!又、友人に70年万博の警備員を紹介されましたがダメに、申し訳ないと代わりにガーナ館でコーヒーを売るバイトを!(メダワシピー最後のピーが長いほど有難うの気持ちが強くなるはず?)そこに両親を招きガーナの日を楽しんでもらいました。これが両親の思い出になるとは!学生時代はバイトバイトの毎日で、忘れられないのは時代祭の旗持ちを雪駄草履を履きゆっくりゆっくりと歩き、足が痛くて参った事。それやこれで71年には海外へ!その運の良さはこの旅と社会人迄続きました。その後も上手く続き、嫁さん迄、先輩のGさんに紹介され(当人は紹介していないと?実際そうでした!)現在人生の終章になって頼るべき友人がいない状態です。まあ。碌な死に方しないでしょう🙃それよりも若さ一杯の旅先の話の続きを..
10月13日/晴れ デンマークでは久しぶりの晴れで、朝日がまぶしく感じたのでした。その天気の様に1日が終われば良いのですが、そうは上手くいきません。
最近は、朝に窓からヤンの車を見る事から始まります。この様にして1日が始まりました。ディッテがいましたが、彼女は早番で昼迄で帰るのとの事でした。ヤンがケッドが航海に出ると言うので手伝ってやって欲しいと言うのでした。
好きな少年の一人であった為に特に会えなくなるので淋しく思い、手伝ったのです。船でバイトをする為に出て行く事になり、もう一生会えないかも知れないので残念な思いをしたのでした。
彼が、ハイキタと優しく言う声が聞けなくなってしまうのでした。彼に限らず、ここにいるみんなに別れを告げなくてはいけないと思うと大変淋しい事でした。(今となって、生涯会う事が出来ない事を実感しました。)そして、昼過ぎに見送ったのでした。
将来と言うかこのまま行けば英国にいく為に情報を得る為、案内場へ出かけました。特に学校については授業料金については見通しがついてホットしたのでした。それから、スチュウデントフライトの情報も手に入ったのです。ここから、ロンドンまで1万円位で行ける事が分かったのでした。
これだけ分かれば十分とその後美術館へ行きましたが、残念ながら休みなので何処へも行かずに引き揚げたのです。今日も寮で何かの会議がありましたが、デンマーク語で意味も分からないのでデンマーク語の学校へ行きました。学校では難しく内容も分からずに友達もできずに全く面白くありませんでした。