旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

806 デンマークⅥ 危ないユース (次回更新予定日 5月1日 第一土曜日)

2021-04-17 03:23:34 | 思い出日記

 新型コロナの現在、RUMOR流言飛語に気を付けて!と言うのも元のバイト先の高齢者施設でクラスターが発生と知り合いが??しかし施設を外から見て以前と変わり無し!その時期の産経新聞の日々の感染者数から見て、間違いは明らかでした。親切心でも世の中、不安定、不確定の時程、話を聞いても確認無しに直ぐに他人に伝える事には間違いが、こんな風に広まる事に気づきました。今回は問題無かったと思いますが、そんな事は考える必要も無かった1971年のデンマークに ...

 朝8時に飛び起きました。昨日飲み過ぎで寝不足、午前中の仕事はしんどくて大変でした。昨夜、潜り込んだアラブ人3人がユースを追い出される事になり、その強引な追い出しは気持ちいいものでした(まるっきり覚えていです。50年前を実感!)。確か、大きな部屋に兵舎の様にベットが並んでたと思うのですが、仲間に教えてもらったのかユースの状況を良く知っていて、ベットに空きがあれば簡単に潜り込めたのでした。昼に予定外のグループ40名、キッチンは大騒ぎでした。それ以降は何も無くて、習慣になった昼寝する事になりました。

 夜はドイツ語の勉強とドイツ娘と!やたら日記に名前が書いてありますが全く記憶に残っていません。その中で、かなり大柄なドイツの娘は印象に残っていました。大柄と言うより太め(念の為、これは女性軽視では無い?色々気を使わらなくてはいけない世に..)と言った方が分かり易く、肩を組みにくかった事を覚えています。如何にも、ドイツ娘でビールジョキを片手に持てば様になりそうなそんな体系でした。気のいい娘でいつもニコニコしていて、直ぐに仲良くなったのでした。二人でユースを出て、野外コンサートホールまで歩いて行った時、ホールの上に上がって見た夕日がとても綺麗で印象的であった事が頭に残っています。恐ろしく男性に関して清らかで清潔と言うのが意外でした。彼女が英語をもっと上手く話したら親密になったのに残念でした。
 アラブ人はユースが対応しましたが、今度はスーダンから来た青年が警察に連行されると言う事がありました。見掛けは細くてきゃしゃで、米国娘がものを盗られたのと関係あったようでした。
 夜は、ワインを飲んでドイツ3人娘に相当な事を言っていた様子を後になって聞いたのです。翌日、何を言ったか覚えてないので、かなり居心地が悪かったです。この前買った、大きなワイン樽があり飲み過ぎた様でした。(犯罪者が飲んでいて良く覚えていないと言うのが本当だと何時も思っています。)だから何も、そこまで飲まなければ良いのにと?最近は飲まなくても、今やろうと思った事も行動後、度々思い出さなくてはと情けない毎日です。それとこれは別ですね(#^^#)

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805 デンマークⅤ ニュ-ヨークからの手紙(次回更新予定日 4月17日 第一土曜日)

2021-04-03 03:59:07 | 

 写真の背景に2001年9月11日、AA11便のテロによって破壊されたWTC。その時、現実として受け取れなかったでした。亡くなった方々と比べようもありませんが、大阪営業で知っているようで何も知らなかった空港業務、ど素人の私がAAの成田空港勤務!そして退職の時に思いもしない立派なパーティーを、本当に成田のどの人にも良く受け入れてくれました。2枚の写真は私の宝物です。10年20年はアッと、そのずーっと前50年前の最早、他人事になった話を続けます...

 デンマークから送った手紙にニューヨークからの返事。それは母が教えてくれた見知らぬ甥からでした。その手紙で彼が住んでいたロンドンの住所を!友達が沢山できたのも今で言うシェアハウスで一年を過ごした事です。何度もニューヨークに行っているのに忘れていました。そんな一言お礼を言わなければならない人が一杯です。残りの人生それを少しでも返さなければと、まだまだやる事が多いです。

 朝7時20分に食堂で早目に食事を済まして彼女を待ちました。何時までも現れる気配が無いと待っていた所、食堂が閉める時間に、兄さんと2人で現れたのでした。兄さんと目ばかりあって彼女とは全くコンタクトできずにいた所、彼女が私の方へ来て何か話しました。意味が分からないのでした。何のことは無い、パンが欲しいと言っているだけでした。
 それを、きっかけに、少し話しました。そして最後にトレイを持って来た時、戸を半開きにして握手をしました。ちょうど兄さんから見ずらい位置で、軽くお別れキスをすると、昨日の夜を思い出す激しくみんなの前で応じたのでした。非常に嬉しく、そして別れるのが寂しかったです(残念ながら何も覚えていません。人生そんなものです)。
 夜、テレビで日本のサッカーチームの試合を見る事に!当時、サッカーはマイナースポーツでしたが、日本がゴールを決めた時には、日本出て長い沖村氏は目に涙を溜めていました。その他の連中は無関心に酒を飲んでいました。少しみんなの輪の中に入り難く感じた為、部屋に戻り日本に手紙を書いたのでした。
 翌日、久々の休日で、9時近くまで寝てました(若さに驚き、今や4時起き!)。しばらくすると、菊池氏が手紙を沢山持って来てくれたのでした。全部で4通の手紙が、どれも嬉しくて有難いものでした。特にニューヨークから旅のパイオニアの甥から届いた1通は特に重要でした。(その時の住所を無くして、今、後悔の念に!)
 昼過ぎに雨が降りそうな天候の中、沖村氏とプールへ出かけました。結局雨に降られて酷い目にあい、仕方なく帰りました。すると沖村氏のカメラ・たばこ等貴重品が盗まれていて、さすがに彼もがっくり落胆していました。自分自身、大金を持っていたのに、何処に隠していたのか良く盗まれ無かったと思います。この当時は、クレジットカードなるものはその存在すら知らず、社会人になってKipsCardなるものを義理で入会。アメリカに行って初めて利用、便利さが分かった程でした。

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