9月14日’04年 市ヶ谷駅―神楽坂―江戸川橋―牛込神楽坂―飯田橋―神楽坂―牛込神楽坂は坂、
そして又坂でしたが、東京どこでも坂、勿論途中休みながらお茶も飲みましたが、その前に原宿から
千駄ヶ谷も歩いたので、なんと総時間で4時間程の行程でした。
出だしは市ヶ谷駅前を右へポロロッカを左へ行くとあやつり浄瑠璃の小屋興行があったのが名前の
由来と言われる浄瑠璃坂。そこを登り始めると駅前とは一変して高級そうな整然と並んだ平均3階建て
マンション、アパートが東京らしい閑静な町並みを作り上げていました。
そして鰻坂、鰻の形に似ているという無理やり名づけたような短い坂でした。名前が付いていると
何か訪れ甲斐があるように思われるのが不思議です。
坂のいわれについては東京では殆どのところでその説明文が立ててあります。鰻坂にはありません
でしたが最近はその都度、その説明を丁寧に読みながら散策しています。
しばらく行くと凄く立派な長く古い塀、森のような木々が塀の向こうに見えたのが最高裁長官の公邸でした。門番を右横に見てコース通り少し道を外れると、庶民的な細い路地があって、古い下町雰囲気のアパートの栄荘。
又行くと出版クラブ会館で、横はユネスコアジア文化センター。前の牛込城跡はその説明板だけ。
地蔵坂を下りるとそこは神楽坂。田中角栄がその昔、新聞記者の追跡を振り払ったと言われる細い迷路
のような道には料亭、飲み屋が所狭しと続いています。
その昔、春日八朗(殆どの方は知らないでしょうが私の子供の時、その昔は盆踊りで歌われ超有名)
のお富さんに歌われてような粋な黒塀もありました。
京都と字と雰囲気も全然違う三念坂を下ると、古い階段の上にはその関係が良く分らない〔まさかりかついだ金太郎〕の童謡を作曲した田村虎蔵の碑のある築土八幡神社。境内にはポータブルシュライン(神輿)古いお神輿が2つ展示されていました。英語で言うと有難みが余りありません。
階段を戻り20mも行くと今度は御殿坂。上りきった所は神社の裏手でした、これなら神社を
突っきったら楽だったのにと後悔。登りあれば今度は下りの坂、名の由来不明の芥坂(ごみさか)。
左に折れて又登りの相生坂、この説明文では、二つ平行にあるのでそう名付けられたとの事でしたが
3つも坂が平行にあったので理解に苦しみました。
その坂を下り、今回見るのを楽しみしていた昭和9年築の表参道にもある同潤会アパート、
色々と探しましたが見つけられず、気がつくと大工事の真っ最中の所がその地で既に取り壊されていました。
残念。その後の、国産飛行機発祥の地は碑も見つけられませんでした。この地域は紙や出版関係の会社
や板金工場も多くて工場地帯の雰囲気を可持ち出していました。江戸川橋駅に続く子育て地蔵迄は
純庶民的な道路はタイルで整備された商店街が良い下町雰囲気を作っていました。
ここからマタマタ渡辺坂(旗本の渡辺の屋敷があったとの事)を上ると別の地蔵坂を上って10人ほど
の子供が遊んでいた矢来公園で一休み。
一軒家が並ぶ町並みを行くと市ヶ谷商高、旺文社を経て牛込神楽駅。今度の坂は幅1m少しで26段程の坂、袖が擦れ合うほど狭いので確か袖擦り坂。まあ、何でも名を付けて楽しんでいる人が
いるのも東京の大きさと不思議な所で感心した今回の散策でした。
夜は大阪の仲間と美味しくて手頃な値段のフランス料理のBrasserie Gusでの閉めでした。
そして又坂でしたが、東京どこでも坂、勿論途中休みながらお茶も飲みましたが、その前に原宿から
千駄ヶ谷も歩いたので、なんと総時間で4時間程の行程でした。
出だしは市ヶ谷駅前を右へポロロッカを左へ行くとあやつり浄瑠璃の小屋興行があったのが名前の
由来と言われる浄瑠璃坂。そこを登り始めると駅前とは一変して高級そうな整然と並んだ平均3階建て
マンション、アパートが東京らしい閑静な町並みを作り上げていました。
そして鰻坂、鰻の形に似ているという無理やり名づけたような短い坂でした。名前が付いていると
何か訪れ甲斐があるように思われるのが不思議です。
坂のいわれについては東京では殆どのところでその説明文が立ててあります。鰻坂にはありません
でしたが最近はその都度、その説明を丁寧に読みながら散策しています。
しばらく行くと凄く立派な長く古い塀、森のような木々が塀の向こうに見えたのが最高裁長官の公邸でした。門番を右横に見てコース通り少し道を外れると、庶民的な細い路地があって、古い下町雰囲気のアパートの栄荘。
又行くと出版クラブ会館で、横はユネスコアジア文化センター。前の牛込城跡はその説明板だけ。
地蔵坂を下りるとそこは神楽坂。田中角栄がその昔、新聞記者の追跡を振り払ったと言われる細い迷路
のような道には料亭、飲み屋が所狭しと続いています。
その昔、春日八朗(殆どの方は知らないでしょうが私の子供の時、その昔は盆踊りで歌われ超有名)
のお富さんに歌われてような粋な黒塀もありました。
京都と字と雰囲気も全然違う三念坂を下ると、古い階段の上にはその関係が良く分らない〔まさかりかついだ金太郎〕の童謡を作曲した田村虎蔵の碑のある築土八幡神社。境内にはポータブルシュライン(神輿)古いお神輿が2つ展示されていました。英語で言うと有難みが余りありません。
階段を戻り20mも行くと今度は御殿坂。上りきった所は神社の裏手でした、これなら神社を
突っきったら楽だったのにと後悔。登りあれば今度は下りの坂、名の由来不明の芥坂(ごみさか)。
左に折れて又登りの相生坂、この説明文では、二つ平行にあるのでそう名付けられたとの事でしたが
3つも坂が平行にあったので理解に苦しみました。
その坂を下り、今回見るのを楽しみしていた昭和9年築の表参道にもある同潤会アパート、
色々と探しましたが見つけられず、気がつくと大工事の真っ最中の所がその地で既に取り壊されていました。
残念。その後の、国産飛行機発祥の地は碑も見つけられませんでした。この地域は紙や出版関係の会社
や板金工場も多くて工場地帯の雰囲気を可持ち出していました。江戸川橋駅に続く子育て地蔵迄は
純庶民的な道路はタイルで整備された商店街が良い下町雰囲気を作っていました。
ここからマタマタ渡辺坂(旗本の渡辺の屋敷があったとの事)を上ると別の地蔵坂を上って10人ほど
の子供が遊んでいた矢来公園で一休み。
一軒家が並ぶ町並みを行くと市ヶ谷商高、旺文社を経て牛込神楽駅。今度の坂は幅1m少しで26段程の坂、袖が擦れ合うほど狭いので確か袖擦り坂。まあ、何でも名を付けて楽しんでいる人が
いるのも東京の大きさと不思議な所で感心した今回の散策でした。
夜は大阪の仲間と美味しくて手頃な値段のフランス料理のBrasserie Gusでの閉めでした。