旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

344 クリスマスが終わって!

2013-12-28 05:24:21 | 思い出日記
 1年で一番楽しいクリスマスが終わり、同じ様に1年1年過ぎているのに、毎日毎年が早く過ぎるのが感じます。不思議なのはfacebookで成田の人達の写真で見ると退職した頃と変わらない皆の写真で、自分も若いと思ったけれど若いとこうも違うものかとビックリしました。
 嘘をついて欲しいけど写真は嘘をつかない、自分で思うだけですが鏡に映る顔は相変わらず若くて素晴らしいと思うのに、写された写真が思うのと違うので、写真を見るたびに毎回ビックリする今日この頃です。

 何年前から昔とツッコミを入れないで下さい、時に寄って昔のとり方は違いますので、とりあえずはるか昔。このシーズン飛行機が比較的に簡単に乗れる空いている為、アメリカに旅行に行く事が多かったです。すいているから、いいと思うのですが、どこに行くのもスキーは別にしても家族からベストシーズンに言った事が無いと言われて未だに感謝された事がありません。
 
 12月のアメリカは、何処のモールにいっても本物の様なサンタさんと写真が一緒に撮れるコーナーがありました。そこでサンタさんと一緒に撮った事を思い出しました。
 クリスマスが近い寒い夜、フロリダのディズニ-で、燭火礼拝のパレードを待っていました。そこで後から来た横の太ったメキシコ系のおばさんが私達の横に来て、硬いくるみをペンチで無ければ割れないのを歯で割って食べていました。そして少しの隙間から自分たち家族が入れるスペースと確保したのでした。期待していたのにミッキイ、ミニイが特別でと来る訳でも無く、スタッフの人々が蝋燭を持って礼拝をするパレードをしただけでガッカリしました。

 24日の夜に大阪で家族そろって毎年一年の締めくくりで教会に行くのはクリスマスの時の燭火礼拝です。庭に大きなクリスマスツリーがあり、テレビドラマに使われた教会です。受付は我が会社の東京で、そして10年以上前に大阪で使われた3メーターはあるカウンターを2つした立派なものです。
 誰も気づかない、それが寄付かと思いますが、何か記念の印をつければ良かったと毎年思います。30人ほどの聖歌隊がキリストが生まれる迄を歌って行きます。聖歌隊の中には、若く見えますが80歳を越えた人がいて、毎週教会に言っていた頃と人が変わって無いので親しみがあります。

 次は正月、年と共に正月が来るのが怖くなって来ます。そう言った方が納得してもらえると思ったのですが、建前だけでいつも同じです。本当は正月というものが、普通の日と変わらなくなっています。正月が楽しいと思ったのは幾つ迄だったかと考えます。

  現在はテレビ番組の違いから正月が分かる情けなさです。子供の時に親からお年玉をもらい、それを落としてしまいました。そして、又貰った事を思い出します。町は静かで総てのお店は休みでした。知り合いのアメリカ人が、お店が開いていないので大変困ったと言っていました。それから言うと50年前迄は少なくとも京都の町は正月は静まりかえっていました。
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343 写真!

2013-12-21 06:12:36 | 思い出日記
 今年ももう直ぐ終わり、又、1つ歳を取っただけで冥土が近くなったことだけは確かです。今年何ができたかな、余り思っていなかったけれど、一年を振り返って一年だけを考えるという事は素晴らしいです。思えば西暦2000年、世紀を越えて歴史的な21世紀を迎えた大事な年、残念ながら何があったか全く覚えていません。
 
 1996年に亡くなった司馬遼太郎氏は、「21世紀に生きる君たちへ」の中で「私の人生は すでに持ち時間は少ない、例えば21世紀というものを見ることができないに違いない」と書いています。2000年を迎えるとは大変な事だったのです。私の様なアトムや鉄人28号の世代、ずっと先の未来の事と思った21世紀、今、世紀をまたいで我々は生きているのです。
 そんな歴史的な時、2,000年を全く覚えていない。情けないと言うか思い出というものがありません。来年は平成26年2014年です、大正より長くなって、もうあれから14年もたっているのです。この年になって、これからどう考えても今まで生きて来た年月よりも、残りの人生少なくなって来たのは分かります。人間いつかは死を迎えるのは分かっているのですが、不思議にそれも今の所他人ごとです。
 
 我が家では、額に写真をそこやあそこに飾っていますが、過去を振り返り語るのに写真程便利なものはありません。アルバムから出してください、飾る効力が分ります。
 
 しかし、写真無しに思い出すのも、なかなか良いものと思います。ロンドンからパリまでバスで渡った事がありました。ドーバー海峡をホーバークラフトで、これが凄く早かったのを思い出します。途中に寄ったフランスのバスストップ、そこで休憩したのですが、未だにその光景を思い出します。フランスの田舎で映画を見ている様な雰囲気のある建物が忘れられません。
 
 写真が一枚でもあったら思い出が現実に近くなるのですが、でも、写真はありません。写真が無い分、自分のイメージでそこを思い出すと思っています。その時は、とりあえずパリに行く事に必死で、バスの席の隣に同年輩の英国人にパリの宿泊施設の事情を聞いていました。当時、毎回ホテル予約無しで行ってましたから、本当に怖いものも知らずの若者だったと思います。
 もう一度、同じルートで行きたいと思っていますが、余裕を持って、回りをモットゆっくり見たいものです。今の所、夢になっています。実際は、思うほど大した事は無いかも、そんな事は無い信じたいと思います。

 福田みどりさんが熱烈に愛した夫(司馬遼太郎)を亡くして何年も絶望の中にいた後、やっとたどり着いた言葉を‘司馬さんは夢の中’で「昔の光を追うのは、もうやめます。それよりも若い世代に未来の光を託すことのほうが大切ですもの’という考えに達しました。私は何も出来そうに無いので、少しでも自分の経験を若い人に伝えて行こうと思います。
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342 73歳でエベレストを登る女性から.. 

2013-12-14 05:54:58 | 思い出日記
 昨年5月19日に女性世界最高齢記録でエベレストを登った渡辺さん(74歳)は、『辛抱、そうですね、ふつうの人と比べたらずっと耐えらるますかね』『80歳、85歳はチャンス。いい区切りです。三浦さんには負けられないです。』『1ヶ月、過ぎてみればあっという間に感じられますね。』『私にとって、年を取ると言う総てが為になります。』人間、こうならなくてはいけないです。同じ1ヶ月、何もできずに過ぎてしまって、ただ、あっという間は同じなのですが...?

 いつもどおり朝から探し物をしていると、やはり私の様な人がいたのでした。『歳のせいか、物忘れが酷い、こうしてメモを残しておかないと...もっとも、後で読み返してみると、なにを思いついて書いたものか、それさえも結構ある。』言ったと思うのです。(それさえも誰が言ったか、多分、高橋克彦さんが小説「北斎の罪」でと思いますが、良く覚えていません。)

 以前から、こういう事が毎日あって、まさに私の現状を言いあててます。最近はとりあえずメモを細かく書く様にしていますが、その字が読めない、どうして読めない字を書くのかと思います。希望は読める様にして、もっと詳しく書くべきだと思います。読めたとしても暫く考えないと何の為にメモったという具合に、いずれにしても大した事は無いと無視するようにしています。それなら初めからメモらなかったら良いのに、全く無駄な分からない行動です。

 「北斎の罪」で、‘浮世絵師の中で、北斎ほど外国の人に評価されている人間はいない。裸の相撲取りが沢山描かれているのを見て、日本をタヒチと同様の思い、裸で生活をしていると思った様です。中国の風景や仙人の服装を眺めては、日本も中国も変わらぬ生活をしていたと考え、幽霊や化け物の絵が多い事から、なんと迷信に迄わされている国民と呆れた。’と書いています。西欧の人々は、もともと東洋みんな同じ風習、習慣と考えている人が多かったので、その通りだと思います。

 昔、と言っても40年以上前、多分昔です。それも考えたら大昔です。イタリア人の友達とウィンザー城にいきました。そこのガーディアンを見て日本人がいると言われたのを思い出しました。どう見ても色は日に焼けた茶っぽい肌をしていて、背はそう高く無くて、どう考えてもオーストラリアの現住の人か南の方から来た雰囲気でした。
 
 これなんか、日本人が誤解を得ている感じでした。彼女が、以前お話した、日本人が高床式の家に住んで、食べ物を床に落としても下まで落ちて豚とかが食べると便利な国と思っていた人でした。今は世界何処にも日本製品と日本を見かけるので、そんなことは無いと信じたいですが、そう言う人がいたのでした。
 
 サッポロオリンピックがあったのに、当時、日本には冬が無いと思っている何人かに欧州で会っていました。現在は、そう思われて無いと信じたいです。
 
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341 人並み 

2013-12-07 06:14:18 | 思い出日記
 終活(人生の終わりの為の死に向けての活動=参299話に書いています)を止めて、生活に忙しい私ですが、その整理中、小中学校の友達の色の変わった4円や5円の年賀状が何枚か出て来ました。もの持ちがいいのに驚きますが、今は その友人の名前すら忘れていました。その一人は不良と言う迄いかないものの、女の子を自転車の後ろに立たせ乗せていた事を思い出します。その彼の年賀状の字が綺麗で文章も素晴らしいので驚きました。なんでも取っておくべきだと改めて思います。一枚のハガキで、様々な人を思い出しました。

 
 山本周五郎の短編‘修業綺憚(きたん)’に何にでも人並み以上で、他人が馬鹿に見えて来て腹が立ち他人を乱暴に扱うようになってしまう主人公の話が載っていました。

 私の場合は、当然そのような事は無いですが、例えばスポーツですが人並み程度に何でも比較的短時間にそこそこできていました。でも、何でも直ぐにできるのは、良かったのかと考える様になりました。普通以上にでき、今やっている卓球の事ですが、一様コーチと対等に遊びゲームができ、それなりにやれる様になりました。それなりに出来るとの事で、ゴルフで90代、スキーでスラローム、テニス(うるさくアドバイス)そしてボーリング(200)等、そう努力せずにそこそそ上手くでき、極める迄いかないのでした。少し遅い、多分、大分遅い遅すぎると思いますが、今なら、そう言う見かたができるのでした。結局、そこそこ要領が良いのです。

 パソコンもそうです、段階的に学んだ訳では無く、マニアル等読まずに自分流にやって、大して困らないから、今さら聞けない事も多くある状態です。とりあえず失敗してもやって前に進んで行くと言うやり方です。そして、何でもやって見ると、そこそこできます。自分でも良かったと思えるのは、何でも直ぐに新しいものを取り入れようとした事でした。しかし、ちょっとの違いが、結果大きく違って来たのでした。

 この様な状態ですので、現在のパソコンオールマイティの仕事の世界はきつかったです。マニアルもロクに読まず、大体がアバウトでした。それで通る時代でした、そうだから仕事ができたのでした。営業の時には、パソコンで築きあげた数字に反論の余地は無かったでした。現在は、ただ、数字数字、数字さえ合えばどうにかなるものです。誤魔化し断りだけ、上手になりました。

 今までの事を振り返り、自分ができるのに他人ができない事が分らないと、ひとを馬鹿にしたりした事がなかっただろうか。他人に教えると言う事は、何事においても教えられる身になって、それなりに努力しなくてはいけなったのです。自分では今までも努力して来たと思いますが、今思うと実際はそれ程苦労した訳ではありませんでした。教師になりたいと、良く自信を持っていたと思います。遅いですが反省しています(反省ばかりで済みません)。思い出しましたが、これでも大学の教壇に立った事があったのです。怖ろしい,,,

 人間努力せずして何でもできる、器用貧乏とはウマく言ったものです。今からでも、遅く無いと頑張ります。
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