旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

876 感謝 (次回更新予定日 5月4日 第一土曜日)

2024-04-20 05:25:11 | 日記

 物忘れが多くなり「その話以前聞いた」と二度三度!気づくのが遅すぎますが、相手の返事を推測して段々無口になってきました。映画が娯楽の王様の時に確か森繫久彌が映画の中で物忘れが酷くなって忘れない様に紙に書き、その紙が段々と増え紙だらけの生活を😓予告編だけしか見ていませんが映画方が時代の先駆で正に今の私!そんな事はまるっきり考えもしない半世紀前以上前のデンマークでは...

11月9日 雨のち曇:昨日久々に歩き回った為でしょうか朝は起きずらく、それでも朝一番郵便局に荷物を送りに行きました。国際船便にしたので費用はわずかで助かりました。帰るとキッチンは朝から華やかにパーティでも催すような飾り付けが?残念ながら私がここを去る為のものではありませんでした。
 しかし有難い事にディッテがお別れのプレゼントを!今ここを出るのでは無いと納得してもらって受け取ったのでした。涙が出そうになり困りました。
 ディッテは涙をこらえる事ができなくて泣いてしまいました。彼女は涙を拭いていましたが私も泣きかけてしまいました。今直ぐにこの場を立ち去りたい気持ちで一杯でしたが、他の2人にも勿論、親切にして頂いた事に、感謝とお礼を言いました。
 ディッテはいつもの様に抱き、実際は彼女が大きすぎて手が届かないので手を腰にまわしたと言った方が分かりますが?感謝の気持ちを表したのでした。(社会人になってからデッテマーに会いにいきましたが、既に亡くなっていました)
 自分の部屋に帰り部屋で荷造りを少し、旅行慣れない私の荷物は日本を出た時の約半分になっていました。が、まだ重く感じたのでした。たかだかリュック一つの引っ越しに大層なことでした。如何にいらない荷物を持つかやっと知ったのでした。★余談ですが、今は経験を積んで、旅行に持って行く荷物は少なくなりました★
 夜一人でいると、カステンとマリアンが呼びに来てくれ彼女の部屋で談笑しいました。そこへアンネッテやハナが入って来て話は盛り上がったのでした。
 みんなが折り紙に興味を持っていたので、折り方を教えてみんなをビックリさせたのでした。日本にいる時考えたまま、久々に楽しい時を過ごせたのも彼女のお陰でした。アンネッテが明日彼女等と一緒に食事にいかないかと誘ってくれたのは大変嬉しかったです。

良い時代でした(^^♪。

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875行き先決まらず(次回更新予定日 4月20日 第3土曜日) 

2024-04-06 07:57:30 | 日記

 退職してから5年10年、そして15年目が直ぐそこに!同年配、年下の著名人も多く亡くなっています。ご心配無く古希を超えても私は元気で働いています!誰も心配してない? 済みません!!しかし生きてきた人生より確実に先が見えて来ました「いつ死んでも有難うさん❢」。増えるのは相変わらずに薬の数。内科、眼科、それと耳鼻科!皮膚科は薬が残っていましたので?どんどん薬は増え最大限に保険証を有効活用🙃年寄りが増え、コロナ予防接種は高齢者に政府の配慮も終わりになると報道。右腹上の方が痛くいつもの医者に行きました。そこは痰だと!いよいよ入院か?大丈夫でした!そんな事は考えず(^_-)その時々しか考えなかった日々を過ごした’71年のデンマークでは...

11月10日 晴れ//朝、ディッテに会う為に、朝食を取りにキッチンに行きました。今まで殆ど朝食など取らなかったので気が引けましたが降りて行きました。
 生憎ディッテは来ていませんでした。昨日お別れの品を貰った時は泣きそうになり流石に辛かったでした。。これから彼女の顔を見るのが辛くなりそうでした。今日もみんなのパンを買いに行きました。(そのデッテマーは社会人になってから会いに行きましたが若いのに既に亡くなっていました。) 帰って来るとカステェンが道路を指して氷が張っていると!もう真冬だと心の中で思ったのでした。 ヤンが今日は新しい所へ移れるかどうか電話してくれると言うのでオフィスにいたが、なんら良い返事が無かったのでした。私が折り紙に精通している事も言ってくれて売り込んでくれたのですが、今日の所はなんら進歩ありませんでした。(こんなにも親切にしてもらったとは感激します。)
 キッチンに降りてディッテに会ったのですが、顔を見るのも辛くてこれから暫らくこんな風に彼女を見るかと思うと涙が出そうになるのでした。彼女は昼過ぎに帰って行ったのでした。いつもの如く、毎朝、熱い抱擁をするのも後少しとなったのです。 
 昼は、カステンと話をしたが、実際みんなと別れるとなると辛い事で、明日となるか週末となるかまだ、分からなかったのでした。それが、長くなると多少居づらくなるのも覚悟する必要になるのは確かでした。
 昨日約束したアンネッテ達との食事は、私が何の返事もしなかったので彼女等は出て行ったのでした。
 実は学校へ行くかどうか悩んだのですが、学校へ行く事にしたのでした。ここで知りあった、アラブとかイタリアとから来ている人と仲良くできて、差別概念を無くした様に思えた様になったのでした。
 何処の国は関係なくて、どんな人間かと言う事が問題であると言う事が、大事と言う事が分かっただけでもこの学校に来たかいがあると思いました。

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