旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

592 栗園さん (次回更新予定 第一土曜日 2月2日)

2019-01-19 05:02:51 | ブログ
 ここ数年、喪中ハガキばかり送って来る人がいました。その方には「迎春」の年賀状を送っていましたが、去年の初め、それに答えて「届く賀状が少なく淋しい中で頂き本当に嬉しかったです」とのハガキを頂きました。その方、栗園さんとは、長い付き合いで、確か30代初めの頃からテニス、そして定年後は卓球を週に夜2度、ご一緒して頂きました。唯一定期的に毎週で会える人でした。
 卓球を彼に誘ってもらって再び始める事になったのですが、元々、中学の時に部活でやっていましたので自信がありました。しかししかし毎回ナカナカ相手側に入らなくて1時間ほど彼に辛抱強く、球拾いして頂かなくていけないとはいうありさまでした。
 そんな栗園さんは満身創痍で、目は緑内障、膝、足悪く、右肩、右腕を悪くされても、左で起用に返して、私の球の入る迄、気長に待っていただいきました。その体育館も先の震災で今は使え無い状態です。仮に使えても、卓球をやる気力が無くなりました。

 去年の11月、栗園さんの奥様から喪中のハガキが届きました。彼自身が亡くなった事は既にブログでも書きましたが、色々思い出して悲しく淋しい思いをしています。言いたい放題、何を言っても許す(私が思っていただけです)という包容力、暖かな兄のような方でした。 
 奄美大島出の方で、正月が近づくと、豚の悲鳴がそこやあそこに聞こえてきたと、それが嫌だと言っていました。正月に豚肉を食べる習慣があると確か聞いたように思います。古い昔の事を思い出します。
 その昔、生まれて間も無い子供を何時も一緒にテニスに連れて行ってました。栗園さんやオジサン達に可愛いがられて、良くなついていました。その子の子が丁度、その時期になってきました。時が経つのが凄く早いです。 
 
 人間は生まれた時に、確実に死と言うものと向かい合うという事を忘れていると思います。だから今生きていることを忘れてしまっている。もっともっと生きる事を、大事に生きなくてはと感じています。

 その死を意識して覚悟する年になってきて、体力が衰えるのを避けるために日々、ゆっくり大股で歩くと色んな事を細々とやっています。そして物忘れをしないように心掛ける年になりました。
 ボケを改善できる薬が目前に、栗園さんは大手製薬会社を定年退職、その薬の厄介ならずにマダマダ若い78才、癌で亡くなくなりました。忍耐がいかに大事かを私に教えて頂きました。ご冥福をお祈りしています。合掌
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591 「謹賀新年」(次回更新予定 第3土曜日 19日)

2019-01-05 05:39:41 | ブログ
 いつも読んで下さり誠にありがとうございます。一週間に一度のブログ更新を、第一、3土曜日と二度に、改めてましたが、それまで感じなかったですが楽です。皆さんもそれに慣れて頂いた様で、読まれている数は変わらないです。それまではブログアップ前に4本のネタを背に背負っていました。書かない楽さが、すぐに慣れ、今や薄着一枚と寒々、楽な暮らしも危うくなって来ました。暫く寒さが続づきますが、又、暖かくなるので、もう少し待てば大丈夫と楽観的に思っています。

 所で、今年、新年号に昭和が益々遠い彼方になってくると感じます。明治、大正、昭和、平成、次の年代。昭和が我々(私だけかも?)が思っていた、新年号から見ると、明治という事になるです。「昭和は古く成りけり...」、時を感じます。このユニークな年号、日本だけ?、『太陽暦』『太陰暦』よく分りませんが、若い人は西暦中心になっているようです。
 と言う訳で、昭和が遠くなってきました。去年も多くの人が、それも亡くなった有名人の年が段々と私の年代に近くなってきました。私は105才で亡くなった日野原重明先生を目標に頑張っています。三浦雄一郎さんのマネはチョットどころか...

 一年前、「人生は芝居ではない、二幕目はない」(太宰治)、全くその通りです。「生涯みな芝居也」(神沢貞疳)、等々を紹介しましたが、いずれにしても一瞬を大事に生きていこうと頑張っています。でも「人生物忘ればかり、認知症ではない」私の事ですが、日常というより日々、事あるごとに物探しは続けています。こんなにも続けている事はありません?

 若い時、電車の吊革を左手で持って、それとは無く右手に持ち替えた事がありました。そでが下がって時計の下に、二つ目の時計があって、密かに行った行動でした。その話を子供にして、笑れた事がありましたが、未だに良く覚えているので認知症では無いと喜んでいます。(古い事を良く覚えているから、心配も必要かも...何でも心配な年です)

 昔、特に明治以前の人たちが自分の年を覚えていたとは信じ難いです。昭和で生まれた自分でも、西暦に直さないと現在の自分の年が分からないです。七五三を祝ったとしても、誕生日を祝うという事を、少なくとも一般の平民庶民の人たちが祝っていたとは思えません。四季の無い国、ハワイや南方の人たちは1年をどうやって知ったのか? つまらない所に興味を持つ私です。

 今年は日々を、そして、その時々、今を大事に!皆さんも元気だけではダメです。健康な生活頑張ってください。

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