ここ数年、喪中ハガキばかり送って来る人がいました。その方には「迎春」の年賀状を送っていましたが、去年の初め、それに答えて「届く賀状が少なく淋しい中で頂き本当に嬉しかったです」とのハガキを頂きました。その方、栗園さんとは、長い付き合いで、確か30代初めの頃からテニス、そして定年後は卓球を週に夜2度、ご一緒して頂きました。唯一定期的に毎週で会える人でした。
卓球を彼に誘ってもらって再び始める事になったのですが、元々、中学の時に部活でやっていましたので自信がありました。しかししかし毎回ナカナカ相手側に入らなくて1時間ほど彼に辛抱強く、球拾いして頂かなくていけないとはいうありさまでした。
そんな栗園さんは満身創痍で、目は緑内障、膝、足悪く、右肩、右腕を悪くされても、左で起用に返して、私の球の入る迄、気長に待っていただいきました。その体育館も先の震災で今は使え無い状態です。仮に使えても、卓球をやる気力が無くなりました。
去年の11月、栗園さんの奥様から喪中のハガキが届きました。彼自身が亡くなった事は既にブログでも書きましたが、色々思い出して悲しく淋しい思いをしています。言いたい放題、何を言っても許す(私が思っていただけです)という包容力、暖かな兄のような方でした。
奄美大島出の方で、正月が近づくと、豚の悲鳴がそこやあそこに聞こえてきたと、それが嫌だと言っていました。正月に豚肉を食べる習慣があると確か聞いたように思います。古い昔の事を思い出します。
その昔、生まれて間も無い子供を何時も一緒にテニスに連れて行ってました。栗園さんやオジサン達に可愛いがられて、良くなついていました。その子の子が丁度、その時期になってきました。時が経つのが凄く早いです。
人間は生まれた時に、確実に死と言うものと向かい合うという事を忘れていると思います。だから今生きていることを忘れてしまっている。もっともっと生きる事を、大事に生きなくてはと感じています。
その死を意識して覚悟する年になってきて、体力が衰えるのを避けるために日々、ゆっくり大股で歩くと色んな事を細々とやっています。そして物忘れをしないように心掛ける年になりました。
ボケを改善できる薬が目前に、栗園さんは大手製薬会社を定年退職、その薬の厄介ならずにマダマダ若い78才、癌で亡くなくなりました。忍耐がいかに大事かを私に教えて頂きました。ご冥福をお祈りしています。合掌
卓球を彼に誘ってもらって再び始める事になったのですが、元々、中学の時に部活でやっていましたので自信がありました。しかししかし毎回ナカナカ相手側に入らなくて1時間ほど彼に辛抱強く、球拾いして頂かなくていけないとはいうありさまでした。
そんな栗園さんは満身創痍で、目は緑内障、膝、足悪く、右肩、右腕を悪くされても、左で起用に返して、私の球の入る迄、気長に待っていただいきました。その体育館も先の震災で今は使え無い状態です。仮に使えても、卓球をやる気力が無くなりました。
去年の11月、栗園さんの奥様から喪中のハガキが届きました。彼自身が亡くなった事は既にブログでも書きましたが、色々思い出して悲しく淋しい思いをしています。言いたい放題、何を言っても許す(私が思っていただけです)という包容力、暖かな兄のような方でした。
奄美大島出の方で、正月が近づくと、豚の悲鳴がそこやあそこに聞こえてきたと、それが嫌だと言っていました。正月に豚肉を食べる習慣があると確か聞いたように思います。古い昔の事を思い出します。
その昔、生まれて間も無い子供を何時も一緒にテニスに連れて行ってました。栗園さんやオジサン達に可愛いがられて、良くなついていました。その子の子が丁度、その時期になってきました。時が経つのが凄く早いです。
人間は生まれた時に、確実に死と言うものと向かい合うという事を忘れていると思います。だから今生きていることを忘れてしまっている。もっともっと生きる事を、大事に生きなくてはと感じています。
その死を意識して覚悟する年になってきて、体力が衰えるのを避けるために日々、ゆっくり大股で歩くと色んな事を細々とやっています。そして物忘れをしないように心掛ける年になりました。
ボケを改善できる薬が目前に、栗園さんは大手製薬会社を定年退職、その薬の厄介ならずにマダマダ若い78才、癌で亡くなくなりました。忍耐がいかに大事かを私に教えて頂きました。ご冥福をお祈りしています。合掌