旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

816 「乳母日傘」(次回更新予定日 10月2日 第一土曜日)

2021-09-18 02:30:42 | 日記

 「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」違いを知る前に、いつまで続くか終りが見え無いので疲れきって辞めてしまう首相。未だに使っていない官費のマスク!あれは何だったのか?私が3回目の接種を心配している時に、娘夫婦にやっと私の主治医の病院で来月11日にやっと1回目のワクチン接種予約を、受けられない人が大勢いるのに!こんな時代になるとは想像もしなかった50年前のデンマークでの話を...

‎8月16日 曇り 一時 晴:グッモン! 朝の挨拶を終え、郵便物が届いたのです。確か性病薬クロマイで、 仲間から日常生活でもこれが無くては駄目とみんなに言われたのです。色々と聞かされ驚かされて送ってもらいました。簡単に薬が手に入るといわれ頼んだのが今日着きました。 無知というのは怖い物で、残念ながら、その薬は弱くてみんなの言ったのと違ったのです。 ‎

 それは一錠二〇〇円送料別で全部で50錠、結局まるきり使わず大変高く付きました。「上げ膳据え膳食」そして「乳母日傘」で育った私。ドイツで会った京都の我が家の近所に住む人がのんびりとゆっくりした言葉を聞き大変ショックを受け、自分もこんな言葉を話してたかと、それからは標準語を話していると思っていたのに間違いでした。「知恵のない子に知恵をつける」と何も知らない者をからかっていただけの事だけでした。他の連中は多分その薬を持っていなかったと今気付き、亡き母に大変心配をかけました。
 そんな日の朝の風は、いよいよ秋風で肌寒い日を迎えました。そんな中、村上氏も出発がまじかに迫ったようで荷造りに忙しくしていました。私はと言うと、こんなマンネリの毎日を一日も早く脱出しなくてはと何かしら焦り始めました。
8月17日 久々の晴れ:午前中、食堂の大掃除に2人まわった為に、私も忙しく働きました。昼はジャンケンに負けた為に、土屋氏と2人でやる事になったのです。仕事は随分忙しい日でしたが、フロアに最近特に五月蠅いイタリア人もいない為、凄く静かで平和な一日でありました。色んな国から人が来て国際感一杯でしたが、その時は当たり前と思っていたのでした。

 夜は、マスターが珍しく遅くまで起きていた為に、キッチンに入れずに夜食も食べられずに我慢せざるを得ないでした。
 そんな訳で皆で部屋で話が弾んだのでした。明日は篠原氏が7:15分に起きなくてはなりませんので早く寝る事にしたのでした。そうは言っても、みんな彼が何時も遅く迄寝ているので多少不安でした。(いい時代でした。今や4時起き!7:15分迄、寝てみたいです。今から2度目の睡眠)


 


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815 青年よ大志を忘れたか?(次回更新予定日 9月18日 第三土曜日)

2021-09-04 02:37:57 | 日記

 無事2回目のワクチン接種を完了!1回目も未だの人も多くいるのに3回目を気にしなくてはならない時代になりました。こんな時に海外に行っている人は?今時いないかも知れない特に貧乏旅の人は⁉そんな心配する事も無く、怖いもの知らずで何も知らなかった半世紀前の頃の話を続けます。

8月14日 曇り 一時 晴れ:朝の挨拶 ボーダンハーヅデイ ヤハデゴッツ!ハズデゴッツ?(驚き!さっきあった事も忘れているのに50年も前の言葉、忘れていないものですね。)今日は自動車をモロッコ人が貸してくれると言うので、楽しみに4時を待っていました。しかし、私を置いて出て行ってしまったのでした。(菊池さん貴方です!)後で車が2シーターであったと聞きましたが、それなら言ってくれればいいのに、すこぶる残念で面白くありませんでした。(車を貸すとは素晴らしいモロッコ人!今なら?)
  今夜は、80人の団体が来るとの事でうんざり!車の二人は結局かなり遅れてやって来ました。40人が先着、後から40人と凄い数でした。初めの40人の以前に来た3人のドイツ娘がいて少し話ができたが、忙し過ぎて相手しているどころでは...
 終わってからTV室に珍しくクリスがいました。しばらく一緒にテレビを楽しむ事になりました。久々に気軽に話ができたのも、彼女が沖村氏と親しくなったので、友達と割り切る事が出来たのでした。勝手で哀れな一方的な失恋でした。

8月15日 晴れ 後 雨 後 晴れ:可笑しな天気がつづき、今日も又、夜の客が遅れて9時近く迄しっかりキッチンで仕事を、残業と言う考えがありません。まあ、雇い主にすれば、使いやすいスタッフでした。
 いよいよ、この仕事に見切りを付けなくてはならないと思う程、生活もマンネリ化、実にサクバクとしてきたのです。そしてコペンの生活事態も少し考えないと本来の勉強もダメになってしまう、又こんな事を続ける為に欧州へ来たのでは無いはずだと思い始めました。
 そんな中、仲間の一人が部屋に閉じこもったまま返事が無く、多分、薬を吸って寝ているに違いないと部屋のドアを思い切り叩いたのです。それでもドアを開けないので、窓側から入る事を思いつきました。そこが余りに狭く諦めて、シャワー室からやっと入りましたが部屋には誰もいなくて鍵は持って町に出たと後で分かったのでした。そんなやこんなで、いよいよユースを去る頃合いかなと結論付けました。


 


 

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