40年前と言うと、色々な事を忘れているものですが(最近は今起きた事も忘れるのです、それを考えると昔の事は確かです。)、これはロングブーツを履いていたので多分スペインの後、勿論一人旅で、スイスのベルンの町を歩いていた時の事です。
驚いたのですが、観光バスから私の高校の先生が降りて来たのでした。パリのオペラ座前で 約束したのに、会えない人もいるのにとんでも無い偶然でした。勿論、ヨーロッパに私が行っているのは知っているはずないのでした。
静かな一角、カフェテリアでコーヒーを驕って貰ったのですが、パリ祭の日にパリにいるから、自分の部屋にもぐり込まないかといわれたのでしたが、残念な事に遠慮したのでした。
先生が、’マダム シルブプレ’ と言っていたのを思い出します。今、思うのですが、先生、高額なのに良く行ったなと思い、又、パリ祭見たかったと思いますが、その時の判断で行かな かったのですが、パリがそんなに近く思っていたのでした。今なら確実に行くのに...
その当時は、隣国のパリに行くのを隣町に行くように感じていたとは、驚きです。
12月に そのヨーロッパを後にして、ヒースロー空港でウィスキーのLong Johnを買ってニューヨーク
へ飛びました。何時もロンドンの映画館でLong Johnの宣伝フィルムを見ていたので、美味しそうなので、どうせならと思い買ったのですが、不味くてプラスチックの味がしたのを覚えています。(デンマークにいた時は、ドイツに行った時に良くコニャクを買ってもらいました。)
アメリカは泊るのに、欧州のユースが少ない無いのでYMCAが一番安いと思いました。それが、ニューヨークでは高層ビルにあった為に、エスカレータに一人で乗った時にナカナカ止まらない
ので強盗でも来たら大変と身構えました。幸いと言うか当然、何も無かったのでした。考えてみれば、こんな高いビルのエスカレータに乗ったのは初めてであったが為に、エスカレータの中の監視カメラにも物騒さが伝わってきました。(当時は欧州にはナカナカ見られ無い物でした)
ニューヨークでは、相変わらずの貧乏旅行が続き、国際連合ビルでコーヒーにミルクを一杯入れて飲んだ思い出がありました。アメリカに来ればやっぱりコーヒーでした。ロンドンでは、殆どTEAを飲んでいた為に、コーヒーこれが、通じなかったのでした。
コーヒー(ヒー)と言う時は、コヒー下唇を噛まなければ通じないと言う事を忘れていて日本語(京都弁)でコオヒーと言っていた事に気づく迄、随分コオヒーを連発していました。(後で、飛行機に乗った時に、ホーク(ホオク)も通じなくて、同じ間違いをしていた事を思い出したのでした。
こんな、他民族の国でイントネーションの少しの違いで通じ無いのは驚きで、会社に勤めてから飛行機でシャブリーを注文した同僚が、何故かシャンパンを黙って何度も飲んでいました。ちなみにシャブ リーとリーにアクセントをつけて強く言うと通じるようです。
初めてのニューヨークは、大きなピッザそれと風がきつくて歩くのもままならない程で、試しに後ろにもたれらる位で、倒れることもできない程でした。
摩天楼間の台風の様な風は、凄いものだと思いました。
驚いたのですが、観光バスから私の高校の先生が降りて来たのでした。パリのオペラ座前で 約束したのに、会えない人もいるのにとんでも無い偶然でした。勿論、ヨーロッパに私が行っているのは知っているはずないのでした。
静かな一角、カフェテリアでコーヒーを驕って貰ったのですが、パリ祭の日にパリにいるから、自分の部屋にもぐり込まないかといわれたのでしたが、残念な事に遠慮したのでした。
先生が、’マダム シルブプレ’ と言っていたのを思い出します。今、思うのですが、先生、高額なのに良く行ったなと思い、又、パリ祭見たかったと思いますが、その時の判断で行かな かったのですが、パリがそんなに近く思っていたのでした。今なら確実に行くのに...
その当時は、隣国のパリに行くのを隣町に行くように感じていたとは、驚きです。
12月に そのヨーロッパを後にして、ヒースロー空港でウィスキーのLong Johnを買ってニューヨーク
へ飛びました。何時もロンドンの映画館でLong Johnの宣伝フィルムを見ていたので、美味しそうなので、どうせならと思い買ったのですが、不味くてプラスチックの味がしたのを覚えています。(デンマークにいた時は、ドイツに行った時に良くコニャクを買ってもらいました。)
アメリカは泊るのに、欧州のユースが少ない無いのでYMCAが一番安いと思いました。それが、ニューヨークでは高層ビルにあった為に、エスカレータに一人で乗った時にナカナカ止まらない
ので強盗でも来たら大変と身構えました。幸いと言うか当然、何も無かったのでした。考えてみれば、こんな高いビルのエスカレータに乗ったのは初めてであったが為に、エスカレータの中の監視カメラにも物騒さが伝わってきました。(当時は欧州にはナカナカ見られ無い物でした)
ニューヨークでは、相変わらずの貧乏旅行が続き、国際連合ビルでコーヒーにミルクを一杯入れて飲んだ思い出がありました。アメリカに来ればやっぱりコーヒーでした。ロンドンでは、殆どTEAを飲んでいた為に、コーヒーこれが、通じなかったのでした。
コーヒー(ヒー)と言う時は、コヒー下唇を噛まなければ通じないと言う事を忘れていて日本語(京都弁)でコオヒーと言っていた事に気づく迄、随分コオヒーを連発していました。(後で、飛行機に乗った時に、ホーク(ホオク)も通じなくて、同じ間違いをしていた事を思い出したのでした。
こんな、他民族の国でイントネーションの少しの違いで通じ無いのは驚きで、会社に勤めてから飛行機でシャブリーを注文した同僚が、何故かシャンパンを黙って何度も飲んでいました。ちなみにシャブ リーとリーにアクセントをつけて強く言うと通じるようです。
初めてのニューヨークは、大きなピッザそれと風がきつくて歩くのもままならない程で、試しに後ろにもたれらる位で、倒れることもできない程でした。
摩天楼間の台風の様な風は、凄いものだと思いました。