旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

786 初めての野宿を終えて!が、その前に(次回更新予定日 7月4日 第一土曜日)

2020-06-20 04:41:37 | 

 アベノマスク、首相以外に国会議員を含み誰も! !一家族2枚だけでは大家族は大変と思っていたら、一住所に三所帯、一会社、住民票の無いバイト先の管理員でも一組だけで、郵便受け1つに二枚でした。高齢者施設で使ったら小さいと...一度は見てみたい初期費用の260億円、なんと当初は466億円の予算を我々の税金で?誰も止めなかったのには驚きました。それと結果も分からない。10万円支給、日本「だいじょうぶだぁ〜」と志村けんさん言いますかね?!もう言えないでした。旅の話に戻ります...

 野宿は大変きつかった。夜は隣のカップルの物音、自分で選んだこの場所だから文句は言えないけれど、朝は早くから鳥の鳴き声、そして7月5日だと言うのに寒さで良く眠れませんでした。
 実に寒い、日本から持って行った寝袋は夏用だったのです。夏の盛りなのに秋の終わりかと、心底、冬の寝袋を持って来れば良っかたと思いました。

 朝早く起きて、お隣を起こさ無い様に、朝食(パンとミルク)を買いに行った後、前回のコペンハーゲン滞在中に大変世話になったクヌードサン宅へ電話をしました。会社の帰りに拾ってくれると言う有難い言葉を非常に嬉しかったでした。

 彼が来る迄、ユースで色々な日本人と話しができました。面白い話で盛り上がったのかと言うと、そこでの話の内容はと言うと面白みに欠け、厳しいものばかりでした。

 もう一度電話して、時間を確かめると6時に来てくれると、寝袋をさげて持って泊まる用意をして待ちました。初めから厚かましくも勿論、夕食とベッドも期待して、泊めて貰うつもりだった様でした。翌朝、庭のチェリー取って食べたのが忘れられないです。

 翌日は市内見物、今なら簡単にスマホで探索、それがガイドブックさえ持っていませんでした。得る情報の全てが駅のインフォメーションでした。カールスブルグとツボルグの2つのビール工場があり、早速二つとも行き、どちらかが飲み放題で、一方がビン1本だけでした。二つとも無料で、カナダ人と工場でビールをたっぷりと..いい気分で皆?と公園で昼食、楽しい時を過ごせました。
 その後、たまたま会ったレストランに働ている日本人から色々と現地状況を得、そして人の良さそうな日本人が、ポルノと実演を見に行こうと誘われました。 当時、人気テレビ番組11PMで北欧はポルノのメッカとして有名でした。
 翌日、家族からの手紙を受け取る為にストックホルムへ、車3台を乗り継いでデンマークのヘルシンガーに着き、ユースの場所をユーゴスラビアの女の娘に尋ねると言葉が分からず、親切に案内してくれました。(どうしてユーゴスラビアの娘か?分かりません) 
 
 

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785 ヒッチハイクはまだまだ続く(次の更新日は 6月20日 第三土曜日 )

2020-06-06 04:21:17 | 

 「爺さん100才迄、生きろよ!」ムーとして「来年死ぬというのか!!」と99才。私もそう言いたいです!(ブログ559番Ⅱで「人生100年当たり前」’19年05月18日一年前に書いたのがメールサービスで!)

 ヒッチハイク!誰が?50年も前に、ヒッチハイクを自分が??信じられないです。始めての女性ドライバー、残念ながら短い距離でした。その後は、車は殆ど来なかったです。その後、止まってくれた車は2台、同じように短いものでした(TAXIでもないのに二台も止まってくれたのに距離が短いなど厚かましくも良くそんな事を!)。3台目でやっと少し遠くまで乗れましたが、その後まるっきり車が来ない田舎道になりました。人も全く通らないで、広々とした素晴らしい景色を見て何もしようがなかったでした。(そんな平和な一日、時間が羨ましい!)

 歩くには次の町迄ほど遠く、何もすることなくズート立っていたのでした。(こんなのんびりと旅してみたいのに、その余裕もありませんでした。)これは辛い、どうしようかと思っていたら車が一台。それも3時間も乗せてくれたのでした。大感激、大助かりでした。しかし3時間も同じ車にいると話することも無くなって、それはそれで大変気まずい事になりました。眠る訳にいかないし、眠いのでどうしようも無く大変でした。その後、2台の車に乗り、可愛い娘に親切にしてもらい別れるのが辛かったですが無事にコペンハーゲンに到着。いつもの様にユースへたどり着き行きました。

 今度は満室と聞かされてガックリ、時間も遅く野宿を覚悟しました。初めて野宿をするのが不安で、どうしようかと思っていました。同じ様な米国人がいて、近くで野宿して良いかと頼み、良いと言ったので助かりました。寝袋での野宿は大変心細かったのです、それも人生初めてのことでした。(50年後もその情景を思い浮かべます)

 ただ、夜中になると、女の子を寝袋にいれてガサゴソと、私の事は気にせずに景気良く音を出していました。夏物の寝袋で寒いでしたが、そのうち疲れ果てて寝てしまいました。

---まだまだ続くのは出口の見えない新型コロナウイルスです。いつまで続くか分かりませんが、そんな事あったなあといえる時もキット来ます。今は辛抱辛抱、残念ながらゴールはウィルスと共存となるでしょうね。

 本日6月6日、安倍のマスクがまだ届かない、同じように国会議員の誰も安部のマスクしていない。これは我慢できません。事業費約260億円、税金の無駄遣いです!

 

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