旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

776 アンチエイジング (次回更新予定日 1月4日 第一土曜日)

2019-12-21 08:02:45 | ブログ
 「スーパー等での支払いに時間が掛かり、今でも年寄りの後ろに並ぶのが大変なのに...」と、このブログで。あれから1年、支払いがオートになった所が多くなってきました。そのオート前で小銭を落とすと云うドジな事を2回続けてやってしまいました。もう立派な年寄り?高齢者施設で介護される方で無く、介護ヘルプをしています。マダマダあきらめが悪いです。
 電車に乗って席をまだ譲れない無い事を十分に喜んでいます。しかし、周りはスマホを使っている人ばかり、一人文庫本を読んでいる自分を知り、現在、噓でもスマホ操作しています。久々に、「ケーキを切れない??少年たち」なる本を読んでいるおばさんが、その本に興味を...
 それでと言う訳では無いのですが、少しでも老化を後らそうと?朝一番にボケの予防の為、日清MCTオイルを大きいサジ、袋の半分のカット野菜、納豆、パン、低脂肪乳、コーヒーを飲みます。朝昼夜と100均の化粧水、乳液でマッサージ、肌すべすべに。昼に100回のスクワット、片目を強く左右交互に閉じ顔の筋肉を動かす。未だ、しわは無いです(半年程で効果ありと昔TVでやっていて20年以上続けています)。これは皆さんにお勧めします。
 40と50歳で、50肩を経験しているので、昼休みに寝転んで左右の腕を交代に半周、同時に右左に目をつむり舌をアカンベェとやっています。年と共に舌の力が弱くなり、いびき等酷くなるとの事です。間違っていないと思ったのが、又、実際高齢者施設で常に舌を出す人を見て、ああなってからでは遅いと思いやっています。実際、父親が100才越えの三浦雄一郎さんは80歳でエベレストの山登り、その人が舌をアカンベェと舌を出す事をやっていました。
 自己流ですが股関節が悪いので、同じくそのまま寝転んで片方づつ膝を立ててた状態で左右に折る、両側に広げる(これは効果は不明)。その時も強く目を開け閉め、日に12000歩の歩き、胃の調子が悪い時、ヨガ、鍬のポーズを最近やって、大変効果あります。
 声だけは年とあきらめていたら、上唇を鼻に付けるように左右に回すと若い声になるというので。偶にはトライしてますが、できないので殆ど無理とあきらめています。身体に良いと思われる事、お金をかけずに、やって元気いっぱいです。
 しかし元気だけではダメです。頭も健康に、退職後10年が直ぐに経ち、残念ながら、沢山の人を見送っています。長生きして後30年?しか残っていないです。こんな事を考える年になってきました。
 
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ここで再び番外編 旅その昔話(次回更新12月21日 第三土曜日)

2019-12-07 04:10:16 | ブログ
 1年ぶりにコメントがあった風来坊士108さん、そして多数の人にも再び何故書き始めたか、早いものであれから10年過ぎました。
(一話 2009年10月2日)
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  何も知らず、何も分からず、船で始まった旅。ソ連、ヨーロッパそしてアメリカ、市川雷蔵とポール ニューマンが好きと言う京都人。色々旅して、こんな昔があったなーと思いつくまま書いていこうと思いました。この旅で自分が京言葉を話すことを知り、それがどういう訳か話せ無くなりました。 子供の頃は、石あて、石けり、釘さし、メンコ、蝉取り、駒回し等々遊んでばかりの子が、それも1ドルが360円当時でした。こんな時代だったなあと自分自身で振り返り、今ならやっぱり知り過ぎて同じように行けそうに無いです。そうです、若かったのです。
 無事を定年を、仕事半分ですが、ハワイ、シアトル、リノ、ポートランド、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンデェゴ、ラスベガス、グランドキャニオン、フラッグシップ、ティファナ、モントレイ、カーメル、ラスベガス、ダラス、ワコ、タルサ、ニューオリンズ、サンアントニオ、アルバカーキ、アマリロ、ニューヨーク、ボストン、ワシントン、バルチモア、フィラデルフィア、ナッシュビル、キーウェスト、ナッソウ、セントオーガスティン、デートナビーチ、オーランド、マッコンブ、シカゴ、デンバー、トロント等々、そしてメキシコシティ、カンクーンと忘れたとこも多くありますが、ざっとこれだけの都市を行きました。(10年経つとどんな所か忘れ去っています)
 アジアで思いつくまま、シンガポール、マレーシア、マニラ、ソウル、プサン、タイペイ、カオシュン、ビルマ(現ミヤンマー)、バンコック、ホンコン等々、色々良く行ったと思います。
  そんな私が60歳になって、その昔、学生の時初めて旅に出た頃はどんなだっただろう。旅先であった人たちはその後どうなったのだろうか?みんな元気でいるのだろうか?元気ですかーー、私は元気一杯です。
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*後書、’71年当時の学生の時の思い出旅行を暇つぶしに166話迄書きました。京都から横浜へ、母親がホテルポーターにチップ1,000円を、船でナホトカ(現ロシア)、列車でハバロフスク。古い航空機でモスクワ、列車でワルシャワからウイーンへ。コインロッカーの使い方も知らなかったでした。
 2週間後、フランクフルトで京都人に、こんなにゆっくり話していたと知りました。ヒッチハイクで、スウェーデンを目指し、幸運にもデンマークで目的の福祉関係の人に会い、そこに戻って約半年。その後英国からドーバー海峡をフォバークラフトとバスでパリへ、ヒッチハイクでスペイン等、合計約2年。帰国後、電車通りの丸太町通りから我が家のあった黒門通りに入った時、自分の背が伸びたように感じたのは全ての家の軒(のき)が低かったのでした。この時の衝撃は忘れないです。
 後、欧州へ4度、35年程前、スコットランドで誰もいない両側山の真っ直ぐな道路で140キロで走った事。友人がいるスイス、イタリア、サンセバスチャン、そしてアンカレッジにはスキーにも、南回りで立ち寄りですがニューデリー、カイロ、カラチ、ローマ。JALさんの確かスペイン就航記念で、アムステルダムでは、近畿日本ツーリストさんの寮にお世話になり、それらを166話に書きました。
バーミュウダーへ夫婦で行った時、レストランで隣の席に座ったワシントンから来た夫婦に、ワイン1本をプレゼントされ、お返しをと言うと映画の様に「君も私の年になれば同じ事をすれば...」。ダラスでは何時もシュ=修さんに、ロンドンでは治平さんと、お二方には大変お世話になりました。この場を借りてここで出会った皆さんに「本当にお世話になり有難う御座いました」長~い後書になりました。
コメント (2)
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