旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

読んでくれて感謝します !

2009-11-29 20:32:43 | 日記
みなさん どうも読んでくれてありがとう!

 私の手帳も最後のページを残して、新しい大学ノートになりますが、ここまで書いてきて、その情景や人の名を書きながら思い出しています。それでも全く忘れた人も沢山います。今は分からない名と言うか忘れている名が特に多いですので、書くのに手間取って困っています。

 一日1ページを考えていましたが、どうも無理なようです、どうしても分からない名前が多すぎて分かりません。思い出したいけど、思い出すのに時間がかかります。こんなに、大勢の人あったかなと思いだす事から始めています。知っている人でも、こんな事があったのだと言う状況です。
 
 それとは関係ないですが、20年近く前にデンマークへ行った所、この施設も無くなっていました、そして、そこで聞くと既に亡くなった方もおられます、淋しい事です。
 
 その中で、会う人達に恵まれた私は本当に幸せでした。殆どの出会う人々が、自分に対して優しく親切にしてくれたと感謝します。改めてメモを見てその時の事を確認してます。

 今までの所、全て私にとって毎日が新鮮で自分が初めて体験する事が殆どですから、今思うと、一日が長いはずです。

 60歳になった今、時間もあり、こんなに皆さんに読んで頂き、その当時の事を書く幸せを毎日思っています。今、その一日が早い事、早い事。
 
 この絵も写真も無い私の日記に付き合って頂き感謝いたします。

 こうやってこの文を書く時、まとめる時に皆さんに感謝します。皆さんがいなかったら書けなかったでしょう。

 私は、その時々にラッキーであり続けた自分が、その時は何も感じていないではありませんか、遅いですが今、みなさんと同様に感謝します。

 と言う訳で、どう言う訳かわかりませんが、もう少し書く時間を頂ければと思います。

 でも、続けますので宜しく!

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訪問者 58 話

2009-11-28 06:39:25 | 日記
9月16日 晴れ

 オーストラリア人の訪問があると言うので待っていました。約束は10時ですが、少し遅れて来ました。

 どんな人が来たかと言うと、50歳を少し超えた位の人で(外国人の年は、実際は分からないので、見かけがその位かと思いましたが、今思うともっと若かったかもしれません。そして、かなりいろいろ良く話し質問しました。

 質問は種種雑多で、飛び飛びの話が2時間程度続きました。ここと何の関係があるのか分からない質問も多くありましたが、時々、私にも質問しますので迂闊に聞き逃す訳にいか無い状態でひやひやしました。かなり疲れた事は、押してしかるべしであります。

 昼が来たので、昼食を一緒する事になり、ビール迄御馳走になりました。(若い人(私)にビールを御馳走、それを断らない、10数年前までアルコールを米国で飲む時はIDの提示が必要ったそうです。人に進めるとは、やっぱし、欧州だと思います。勿論余談です。)

 その時に日本人はリスニングができないとの批判を浴びましたが、反発すらできなかったのです。

 そして、いろんな質問があって、その中に堕胎についての質問がありましたが、答えようがなっかたのでした。
これなんか日本語でも答えるのは難しいと思ったのです。
 そして、別れ際に、もっと英語を勉強するように言われて、ガックリ疲れました。(今なら、初めて聞くオーストラリア英語と分かったので、それなりに反発して言う事ができたのですが、その当時は、英語と米語も分からなかったので仕方無い事です。)


 夜に、施設で2人の子の誕生日のお祝いをしました。私は日本のハンカチを渡したのです。(プレゼントとして、ハンカチは重く無い、かさ張ら無いと良い事ばかりであった。)そのまま、普通でしたら最後まで残っているのですが、今夜は日本からのTV番組があるので失礼してTVを見に行ったのでした。

 その番組ですが、デンマーク放送が作ったもので、日本の工業についての番組でした。その中で、可笑しな日本人が、出てきて説明するのには参りました。

 

 
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施設の仕事 56 話

2009-11-26 08:10:33 | 日記
9月14日 晴れ 一時 にわか雨(ひょう)

 今日は朝から事務所に来るようにとの指示でしたので、張り切って頑張って早起きして行きました。しかし、しかしまだ誰も来ていなかった。そしてHR(31歳)が来ましたが、肝心のヤンがまだ、来てませんでした。約束は私の聞き間違いかと思いました。

 どうしようも無いので仕方無く事務所にいる事になったのですが、仕事も何もせずに事務所にいる事は大変苦痛でありました。目立たない様に、又、邪魔にならない様にしていました。何もできない、何もしない事が大変だと良く分かりました。

 スタッフの人たちが気にして、私の面倒を見てくれかまってくれましたが、とても辛いことで、辛抱の一字と言うか二字でした。時々、事務所から出て行って、他の事に目を向けるとかして時間をつぶしたのでしたが、結局、ヤンは来ませんでした。

 昼から工具室の掃除が入りましたが、それが、今日の初めての仕事となりました。言葉ができないと、どうしてもこのような仕事しかできないのです。それでも初めての仕事と有難く、頑張ってしました。

 夕食後、今日から出社のベント(サブリーダー)が、7時にオフィスに来るように言われました。この施設に関しての疑問点を質問するようにとの事ですが、何も疑問が無い私に取っては大変難しい事でした。(今なら、適切と言うか、適当にと言うか質問するのに、その時、は大変でした。)
 そもそも、ベントは厳つい顔と、キッチリした頭と服装でこの施設では、例外的な人間であったので、どうも苦手意識があったのでした。

 7時前に、オフィスに行くとまだ、彼はまだ来ていませんでした。そこではステェファンが一人で勉強していたのでした。直ぐにベントが来たので、彼には、今の状況と疑問点が未だ分からない事を告げました。その後、ステェファンの部屋で英語を見ると言う事になりました。その彼の部屋では英語の勉強をさておいて、レコードを聞いてばかりいたのでした。
 それ以外に、彼の部屋の物を全て見せてくれたのでした。彼が切手を集めていると知って、持って来た日本の切手をあげたりしたのでした。

 若い事は素晴らしい、彼は私の切手に感謝してくれたのでした。
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サッカー 55 話

2009-11-25 07:58:07 | 日記
9月13日 晴れ のち 小雨

 やっと仕事を与えてもらいました、と言っても掃除の手伝いです。そして、みんなが、シーツを持って来てくれ、それをまとめるだけで楽なものでした。

 その後、手紙を書きドイツとアメリカへの外国人の友人ばかりに出しました。2通書くのに十分に時間がかかったのでした。簡単な様で、英語で書くのは疲れます。

 事務所へも時々顔をだしたが、言葉が分からないので、邪魔にならないようにするのが精一杯でした。その事務所で働いている人で、まだ名前を知らない人がいたのでした。まだまだ、頻繁に顔を出してスタッフ全員を知る事から始めなければいけないと思いました。

 夕方6時からサッカーの試合をすると言うので、みんな張り切っていました。みんなそれぞれに服装が凝っていてナカナカ楽しいものでした。残念な事に、少し雨が降って来たので止めるのかなと思っていたら、みんなは関係無いと、そろって出て行きました。私も遅れない様に出たのでありました。

 その当時はサッカーには、余り興味がありませんでしたが、サッカー場に行くと雨が降る中、50歳を超えたお父さんやそれ以上のお婆さんがいてサッカーが如何に人気スポーツか分かったのでした。 
素人のサッカーにそんなに必死になるかと思いましたが、サッカーは大いに盛り上がりました。私はそれに付いていけないので非常に疲れました。(今なら、盛り上がり方など分かるのですが、当時は雨の中ついて行くのが精一杯)

 9時過ぎに帰ると、ユースから電話があり、土屋氏が私宛の手紙が着いたと言ってくれたのです。大急ぎで雨の中、ユースへ向かいました。
(信じられなく、フットワークが軽いのに驚きます。遅く動いていますが、今ならできるはずが無いです。)

 ユースでは、土屋氏が楽しくしてましたが、私は日本からの手紙を受け取りました。2通ありましたが、雨の中を取りに来た価値があり、とても嬉しかったのでした。

 勿論、土屋氏の生活は楽しそうでしたが、私は、自分の生活に戻りました。

  


 
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54 つづき

2009-11-24 09:30:23 | 日記
9月12日 つづき

 朝、又、湖に行きました。どうも13歳のカッステンにひつこく付きまとわれ、いささかウットウシクなって来たのでした。 顔がませているので、13歳には見えないので、分かっているのだけれどついてくるのが、嫌になりました。

 ボートに2人で乗った時も、彼の態度に何度も注意をしなくてはなりませんでした。仕事と分かっていますが、どうしようも無く腹だたしく思いました。(今も変わりありませんが、若い時は辛抱の無さは、どうもきつかったと思います。)

 お昼の食事の時は、ヤンの彼女がアレコレと良く働いたのでした。私も何かしないといけないと思い、取りあえずできる事はと写真を撮り続けたのでした。誰もカメラ等持って来てないと言うか、カメラをもっている人がいなかったからでした。中には写真を嫌がった子もいたので、主に全員の写真を撮ったのでした。(済みません、その時の写真は何処かに行って存在不明です。)

 のち、帰るルートを多数決で取りましたが、一番遠回りでフェリーでコペンの近くに行く事になったのです。運転はヤン一人しかいないですが、変わるつもりがなっかたのは下駄を履いて参加していたので確かです。途中は眠くて仕方無かったですが、辛抱
したのでした。これが仕事とみんなの同行を見ていたのでした。

 帰ると、暫く部屋で過ごしてから、TV室に行くと一杯の人で私の場所が無い状態でした。理由は簡単で、食堂が開くのが遅かったからでした。
 食事は立派で美味しく頂きましたが、食べ放題なのに、まだ多く残っている状態でした。

 今日は日曜でキッチンスタッフが誰もいない事が分かりました。マリアンの助言で手助けをしたのですが、失敗ばかりしてみんなに迷惑をかけただけでした。

 その後、TVをみんなで見ましたが、全く興味を引くような番組は無く部屋に戻ったりしたが、みんなが未だ見ていると思うとTV室に戻ったりして、これが仕事とその往復を繰り返したのでした。

 そして、今日はマリアンの最終の部屋回りに付き合ったのでした。


 
 

 
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みんな友達 52 話

2009-11-22 05:38:48 | 日記

9月10日 曇り 一時 雨

 今日も、昨日に続き朝食に遅れました。仕方無く朝は外に出なかったのです。昼になってようやく食堂へ行ったのでした。ボスと顔をまともに見られないのでした。
(どうも、朝が苦手だったようでしたが、若いころの当時がなつかしいです。)

 今日はデンマーク語を習う為に町に出かけねばなりませんでした。不思議に途中の電車の料金は一度も払わなかったのです。(どうして、払わなかったか書いてないですから、不明です。多分、無銭乗車したのは、電車の乗り方を知らなかったか、間違ったに違いない。)そこでは、簡単な入校手続きを経て帰りました。

 ユースに立ち寄って日本からの荷物を受け取る必要があったのでした。それと、明日スウェーデンに行く為に必要な寝袋を忘れたので、それも受け取りました。
 ユースには、既に新人が働いていて時の流れを感じました。いくらでも、変わりがいると言う事を知りました。だから、オーナーも快く我々を送り出してくれたのだと思ったのでした。

 ペンションでは、みんなと直ぐに親しくなり5人でビールを飲みに行く事になったのです。ローラは結構、可愛い綺麗な娘で興味を引いていましたが、サンと言う男性と一緒に参加しました。男がいたとは凄く残念でした。(何の勉強をしているのか、疑問です。)
 そのカップルとカーステンとトミイの以上5人でした。(今、思うと全員未成年ですが、みんなタバコも吸っていたし疑問に思わなかったです。)

 帰ってから、みんなでトミイの部屋で音楽を聞いたのでした。(実に3日で、みんなと親しくなって、これは大したものと自分で納得。もう10年来の親しい友人なりました。)

9月11日 曇り 一時 雨

 スウェーデンに行くと言うので、起こしに来られても困るので7時前に起きた。

 7時に今日は食堂へ遅れずに行ったけれど、まだ4-5人いてただけだった。結局、早く起き過ぎたようでした。出発9時迄、待たなくてはならなかったのです。
(取りあえず、私も含めてデンマークは起きるのが遅いのにビックリしています。)

 9時ちょうど、8人の出発で、まだ車の座席に余裕があるのに出発するのはおかしいなと思っていました。でも、途中で、ヤン(サブリーダー)の彼女を乗せたので納得しました。

 自分が世話している年若い人と出かけるのに、ごく自然に自身の彼女を同行させるとは、デンマークが、フリーセックス(当時はそう言ってました。)の北欧の国だと勝手に納得したのでした。(現在の日本よりは、いい意味で進んでいると思います。)

 

 

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