旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

582 今は昔(次は9月1日 第一土曜日更新予定)

2018-08-18 03:09:05 | ブログ
 今ある生活を当然のように、その状態に慣れきっている幸せです。少し前まで、我々世代は数々不便を不便だと思わない、それが当たり前のこととしていました。
バスに女性の車掌さんがいて、大きめのガマグチポーチをお腹の前に切符を売っていました。小学生の時に、偶然兄を知っている車掌さんが切符代を取りませんでした。甲子園に出た兄の弟と分かったのだと思っています。友人と3人、ロンドン郊外イッピングフレストに行った時に、駅員に止められたのに無視して、キセルをした事を又思いましたが、止められたのに、この無視が驚くのです。勿論、許される事がありませんが、いい時代でした。

 堀川は現在、綺麗な川ですが、当時はゴミの川でした。その横をチンチン電車が、ドアも無く、鎖で絞めて走っていました。堀川電車だけはチンチン電車と、中立売道りで細い堀川を渡る所は鉄橋みたいで好きでした。良く、父に連れて行って貰った北野天満宮に行くのに乗りました。その北野天満宮ですが、現在、警察署がある所は境内の一部だと思っていましたが、当時より狭くなり残念です。
 夏休みの間、踏水会で疎水で泳だのですが、今なら信じられない全員赤褌(あかふん)で5メートルか10メートル程を犬搔きで泳いでいました。
 部屋に入る時、入り口の蛍光灯のスイッチを入れますが、電灯の下までいき、1つ1つを紐を引っ張って点けました。洗濯機も無くて、洗濯板と言うもので洗っていました。その内、洗濯機が、ただ手で回す絞り機が付いても分厚いものは除外でした。デンキでは無く、冷蔵庫と言うより冷蔵箱と呼んだ方が分かりやすいですが、その中に氷を入れて冷やしていました。小学生の時に、初めて見たテレビもブラウン管があり、画面は小さくて後ろに大きなものでした。カラーテレビとは三色の半楕円のものを画面の前に付けただけ、チャンネル替えは手でガチャガチャと。小学生の頃、初めて見た掃除機は以前言いましたが、そんなもので綺麗になるのかと思っていまた。
トイレが一番分かりやすいと思います。汲み取りから水洗、和式から様式になりました。田舎へ行くと肥えタンゴ、「田舎の香り」遠足に行くと、何処にも匂いがしました。
 
 今考えると、とても不便な時代を小中学生頃、いえモット現在まで過ごして来ました。その時代を生きて来たことを最近は有り難く思うようになりました。半世紀以上、急速急激な時代の変化の過程を見て来た事を幸せとも言えます。ITのお陰で、時代の進歩は想像できなくなりました。

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581 第一、第三の土曜日更新!(次回、第三土曜日18日 更新)

2018-08-04 05:54:06 | ブログ
 更新するのを、月二回、第一、第三土曜日にしました。余りに暑いので、気力が無くてパソコンの前にいけない状態です。それにもかかわらず、有り難い事に、この1週間がかなり多くの人に読んで頂いています。

 毎年この時期、「今年は異常に暑い!」、こうまで異常が続くと、それが普通となってきました。地震、豪雨の後、暑さ、逆回り台風と続いています。まさに災害日本、やっと8月、夏本番?もう、へとへとです。 猛暑日が続き、体が熱いです。暑いと熱い、漢字一語でその感じが分かるのが素晴らしいです。来年は普通に40度以上、猛暑日でなくて殺人予防日とか言ったりして...

 「若い時は、頭にひらめいたことは何でもやれそうな気がどこかにあります。」私の場合は、大きく違って、何ができるか出来ないか深く考えもせずにやって来ました。それを許してくれる世の中であったと思います。そして何でも広く浅くモノを知る浅学でもあった思うのです。

 それでも一応は目的を決めて、それを達成するする為の過程も決めていました。それが、今思うといい加減なものでした。家庭もいい加減?失敗が多くても、その事を直ぐに忘れる才能。そんな私も、天中殺によると生まれた星の元、全て吉、上手く生きてきました。戦争知らず、いい時代に生まれた事に感謝以外の言葉が出てきません。

 今の時代は、やたらと芸能人の変わりが激しいです。名を覚えられない、それだけマスメディアの種類、数が増えたせいでもあります。昭和時代は、市川雷蔵、美空ひばり、森繁、片岡千恵蔵、エノケン、中村錦之助、金語楼、ダイラケ、伴淳、三木のりへい、ミヤコ蝶々、裕次郎、勝新と数々いました。これらのスターを見られた事は幸せでした。

 「死に花」太田欄三著(平成16年)、題名に釣られて読みました。高級老人ホームを舞台に「葬式は人生最大、最後の花道、イベント」として、自らの葬式の総合演出、プロヂュースを「おい先はわずか、死に花を咲かせよう」と一念発起し、真ともな?年寄りの話です。本の3分の1、ここから可なり柔らかく、これが映画に、森繁、柔らかい映画が分かります。(社長漫遊記でハワイで100ドル札を1ドル札のつもりでチップで渡す場面を思い出します)、宇津井健、山崎勉、青島幸男、谷啓と松原智恵子、そうそうたるベストメンバーで演じられているとは知りませんでした。当時は年寄りの事に関心が無かったのに違いないです。映画ジイサンズも驚く、想像するに、面白い映画に違いないです。 
 
 この人達のようには行かないですが、限り有る人生、毎朝、毎日を楽しく生きて行きたいと思っています。
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