旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

872 パーティ (次回更新予定日 3月2日 第一土曜日)

2024-02-17 04:40:12 | 日記

 連休に家族で長野の方にスキー!昔取った杵柄、滑りはスムーズ!倒れて自分で立つと孫がビックリ顔で「自分で立てた!」と!?そうなんです去年の最後は酷いものでした。情けなや!その事を覚えていました。今年も連休最後の日は、右足が酷く痛み小学校2年生の孫に、同じように助け無しでは起き上がれられ無くなりました。その印象を残念ながら残す事に(>_<)そんなになる事は考えもしなかった半世紀以上前のデンマークでは!

11月7日 雨 のち 曇り// ペアがドアをたたくので仕方無く起きました。今日はゆっくり寝たくて、朝は食べたく無かったが、パンとコーヒーが用意できた段階で再び起こされたのでした。起きたくは無かったけれど食べに行きました。(我が家にいるがごとし、本当に気楽にしています🙃)
 朝食後、今日は日曜で昨日会えなかったディッテマーが非番で休んでいたので彼女に会いに家まで行きました。
 彼女は暖かく迎えて紅茶とお菓子をだしてくれました。言葉の代わりにコミニケション必要とプレゼントした折り紙を大事にしていると見せてくれたのです。たまらなく嬉しかったのでした。
 今夜の送別パーティに誘ったのですが、残念ながら来られないとの事でした。パーティは結局、彼女も誰も来ないのです、淋しいものでした。
 帰ってから、カーステェンがドライブに誘ってくれました。しかし行くつもりででしたが、残念ながら彼の都合が急に悪くなって行けなくなってしまいました。
 夕食時に、疲れているのを手伝っていると、オウラが「お腹がすいたのか?」聞かれたのには参りました。多分元気そうに見えたに違いありません。
 8時過ぎにデンマークで一番世話になっている予定通りクヌードサン夫妻が来たので、施設を紹介して回ったのでした。3つの建物をみんな見て回ると、それぞれの名前は何と言うか尋ねられたのでした。
 そんな事は、初めて聞かれたので、その建物に行った時に、そこで聞くと?みんな知らないのでした。後でウラに聞いても知らないと言う事で私も安心したと言う訳でした。今まで、そんな事は気にも掛けていなかったのでした。
 その夜のパーティはそこそこ集まったのでした。ウラがクヌードサン夫妻の相手をしてくれたので本当に助かったのです。パーティは私が居ようといまいと、関係無しにみんな楽しくやっていました。
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

871 福祉? (次回更新予定日 2月17日 第3土曜日)

2024-02-03 05:42:51 | 日記

   年寄り黙らすのに刃物は要らない?「その話前に聞いた!」これを二度言えば良い!この言葉がジワリと分かる年になりました。話し相手が何を話すか分かり、そして段々と無口に!? 新しい出会いが無く毎日同じ人に出会い、同年配より若い人、著名人がドンドン亡くなっています。「いつ死んでも有難うさん!」の気持ちは変わらないですが、後期高齢者も視界に入り後20年は生きたいです。成人式は待ちどうしかったですが、今や一日一年が段々と早くすぎます。そして20年は直ぐに来るに違いないと思います。この旅に出る為に休学届出を、一旦退学?復学が可能!それでは困ると時代に先駆けて福祉社会保障の勉強を理由!極いい加減でした。次に何が起こるか考えもせずに日々を過ごした事もあったとは?ところが今も同じ🙃ツキは使い切りましたが、若いって素晴らしい!なるようになるすら考えていなかった。それが上手く働いた半世紀前以上前のデンマークでは...

10月4日 雨 時々 曇り// 最近眠れぬ夜が続きますが、今日は雨音で目が覚めたのでした。朝に薬を貰う為に医者に行く予定で、早くからオフィスにいる事になったのでした。
 朝一番に医者に行くと既に一杯でした。受付が医者の奥さんで番号札を貰い1時に出直す事になったのです。何か日本と違う感じがしたのでした。社会保障がキッチリしていたのか費用については何も書いていません。現在、薬の数では軽く上回っています(>_<)
 再度、1時頃に診察を受けると、私の悪いのが薬の飲み過ぎだと言うではありませんか、こちらはシンドイのにまるっきり何でも無いような態度に腹が立ったのでした。前回デンマークの町医者についてほめたのが嘘のように、どうしようも無い医者と思ったのでした。
 帰ってから、久々ぶりに湯ざめに気をつけて風呂に入りました。夜にインドネシアからの訪問団8人、1人だけが英語を話せましたが、そのほかの人達は英語を話しているはずだが、殆ど分らなかったのでした。。
 ここに来る前に老人ホームも訪れたいたようで、日本よりもインドネシアの方が福祉に関心があると思ったのでした。福祉と言う言葉が一般的でなく、日本ではまだまだ福祉については遅れていたのでした。
 しばらくして帰ったので、映画をTV室で見ようとしたら、内容が難しいだけでなくイタリア語で全く分からなかったのでした。
 途中にヤンが来たので次の施設を聞きましたが、まだ決まって無いとの事した。考えると他人を頼りにしていたなと思います。良い時代でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする