旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

12話 突然ですが、安芸の宮島に行ってまいりました。2010/11/20

2010-11-26 22:15:27 | 思い出日記
 若い時(今も若いつもり)、欧州から帰って直ぐに一度は行ったはずなのに、行った事を殆ど忘れてしまいました。そんな所の一つに行って来ました。

 日本三景の一つ宮島迄フェリーで行きました。降りた所から直ぐに鹿の出迎えを受けましたが、奈良の鹿より小ぶりでノンビリ、大人しく感じたのは、私だけでしょうか?餌を与えてはいけないとの考えが浸透していたのかも知れません。昔にこの鹿だけ、窓の外に見たのを鮮明に覚えています。

 今回はどこも観光客で一杯でした。安芸つまり秋の宮島は紅葉真っ盛りでした。海沿いに歩いて行くと厳島神社、何年前か忘れましたが、台風で被害にあった世界遺産の厳島神社もほぼ元通りになっていました。建物自体が土に埋められずに、その重みだけで建っている素晴らしい物ですが、渡り廊下の板が何故か工事現場的でやすっぽかったです。
注目は鳥居の向こうの海を挟んだ山側に、何やら近代的な建物、新興宗教のビルと友人が言っていたのを思い出しますが、世界遺産にとって対面の山も神社の持ち物に出来なかった事を残念に思いました。早速、神社の前で記念写真ですが、鹿が4頭来て座ってくれると言うサービス?が付きました。本当に良く慣れていました。

 そこから大聖院まで歩いて5分と聞いていたのですが、とんでもありません。その門から大聖院まで長い階段が待っていました。願い事を1つだけかなえてくれると言う一願大師がまつられています。階段途中の紅葉が、そのキツサを忘れさせてくれました。
手すりに円柱の20cm程の回るものが連なっていて、それを回すと10回お参りした事になると後ろの人の言う声が聞こえて来ました。無精者の私にぴったり。又、そこから見た今さっき渡った海は、それは美しいものでした。それと可愛い小さな石の地蔵さんが彼方此方にあって日本も良いなあと思いました。

 紅葉谷公園を目指して行くと又、鹿が置物の様に立っていたのでした。実際優しい鹿でした。看板で眺望が素晴らしいと書いてあったので、歩いて行くと、10段程の階段になっていて、雅子妃殿下が来る時にできたと言う茶店がありました。お茶の時間でも無いので、中には入らず、結局そこからの眺望を見なかったのでした。
しばらく行くと、やっと紅葉谷公園に着きました。そこで他のツアーガイドの説明を聞いて山の下から楓を植えた為に上の方は木が小ぶりと聞きました。この年になって(ならなくても)分かる色とりどりで美しかったです。

 すこし歩くと、27.6メートルの五重塔があって、古く1407年に建立されたしそうなのです。それを左に見て、お店で紅葉饅頭のできたて熱々のを食べ、又、屋台で実に美味しい焼き立ての草もちの団子を買い食いしました。にぎやかな表参道商店街の土産物屋さんをのぞいて見たりしました。それから世界一大きな長さが7.7mある杓子を、世界の他の国で杓子があったかな、日本一でも問題無く良いのにと思いながらフェリー乗り場迄歩きました。

昔なら何でも日本一だったのに、世界は狭くなったのでしょうか?
          この前来た時は、冬でこんなに人も多く来ていなかったです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11 話 日暮里から白山まで、東京は寺町でした

2010-11-19 17:54:34 | 思い出日記
 日暮里と言うと関西人に取って都会の感じがしますが、都会とは?駅裏(どちらが表か裏かわかりません)を降りると直ぐに細い階段があり、紅葉坂(坂の上り階段に紅葉の印あり)、登ると右手にビジネスホテル3,500円は駅から直ぐ徒歩1分、これは安いと思いう間も無く谷中(やなか)霊園に入りました。
本日は、何故か長谷川一夫のお墓を探しに来たのでした。この大きな墓地には横山大観、渋沢栄一などの有名な方たちのお墓があるのでも有名?です。駅裏にこんな広い場所があるのにも驚きです。関係ない事ですが、私は古いですが、唯一テレビに出ていない俳優の市川雷蔵のファンです。
 名優長谷川一夫のお墓なら簡単に見つかると思いましたがとんでも無く広い為、結局 墓守のおばさんに聞いて、やっと先にある交番前の公衆電話の後ろなので直ぐ見つかると知りました。しかし、思ったよりも小さかったので結構見つけ難かったです。誰が行くものかと言う声も無く、次に行かれる方の為に墓番地、甲9号2側メモしました。墓探しにこだわり横山大観の墓も探していたのですが、さっきのおばさんに又あったので、長谷川一夫を探して迷っているように思われると困るので捜索断念して終了。

 谷中霊園は都会にあるとは思えない程、大きく樹木も多かったです。私と同じような探訪者を多く見ました。実は、このコース実に30以上のお寺があります。その他にも神社が沢山ありました。今までの東京で見た神社仏閣よりも比較的古さがあり戦災を免れたのか裕福なので立派なのを立て替えたのかも知れませんがナカナカのものが多かったでした。
東京は神社仏閣が多い、これは数では京都より多いと思います。ましてや勿論大阪とは比べものにならない程神社仏閣が多いのには毎回驚いています。緑も断然多い。

 大阪、通天閣に大阪城どれも中途半端やないですか。好きだった法善寺横町も火事で焼けて、お笑いの吉本も今や東京が本場になりつつあり関空は無常にも沈んでいく。阪神タイガースは甲子園で兵庫にある。本当に残念ながら大阪には何にもありません。ありました理不尽な我々に対するクレイム罵詈雑言。これも最近は関東人に取って変わられている。

 そんなことを考えながら今回のお昼は谷中の〔薬膳カレーじねんじょ〕、お店は細長く表の薬膳と言うのぼりの表示が無ければ見過ごしてしまいそうでした。入ると左手に半円のテーブルがあり5人がけ、右手に一人か二人が座れるテーブル、奥の左手に無理して4人がけのテーブル3つだけ。右側は狭い厨房がありました。お店は多分母親が注文取り、息子が料理専門と言う役割分担でしたが東京には似合わない愛想の良さは感じ良かったです。
 私はランチサービス薬膳 野菜カレー:高血圧、動脈硬化、美肌に良効、1,330円でデミカップのコーヒーと抹茶ムース付きを注文しました。海鮮カレーは不安、心臓、偏頭痛、めまい系に良く。鶏肉カレーは疲労、風邪、血の道、冷え症に良。隣の人が注文した特性カレー1,930円は体質改善、糖尿、動脈硬化に良いとの事。一人が中国から帰って来たとのことでSARSの話しなんかしていました。
 成田で感染せずにこんな所で感染したらたまらないのですが愛想の良いおばさんが特製カレー注文者には何故か熱いだろうと大きな団扇を貸したのでその扇ぐ風がSARSが気になって不気味に怖かったです。なかなか面白い味でしたが香りは薬と言うかなんと言うか独特でした。皆さんも一度食べて見てください。明日の私は美しい。

 ここを終わるとペルシア&トルコレストランのザクロを左に見ながら安物映画のセットのような下町情緒一杯のナカナカにぎやかな道幅2メートル程のポエムナード 谷中銀座へ!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10 話 町屋 から 日暮里

2010-11-13 20:08:22 | 思い出日記
 町屋から日暮里までは、大阪で言うと松屋町筋の裏、京都なら千中周辺か三条商店街裏と言うような細い通りが縦横斜めに入り込んでいました。勿論家の前には下町の定説 鉢植えの草花があり。なんと豪華?マンションの一階のスペースにはこの時期に鉢植えの桜迄咲いていたのには驚きました、それも背丈程の鉢植え桜が3本もありました。3月7日東京は小雪が舞いました。


 京成町屋から町屋2丁目は何かなつかしの路面電車の走る一駅を私の足で3-4分程で軽く歩きました。そこから町屋銀座商隆会(商店街)を歩きましたが、日曜の朝12時前には開いていないお店が多かったです。目立ったのは荒川区と言う表示、そうですここが荒川区。

 新三河島駅を越えると、ここは韓国の人が多そうでハングル文字が溢れ、信号待ちでは韓国語も聞こえてきましたが大阪の鶴橋とは比べようも無く淋しいです。コリアマーケットと言うのが地図に表示していましたが通り過ぎる程度の規模で、行き止まりの路地で一軒しか開いていなかったのでトテモ入れませんでした。実際大したことなさそうでした。そこから少し行って折角なので韓国料理でも食べようと思いましたが入ろうと思ったレストランはハングルのみの表示だったのでさすがにパスしました。ここは福祉センター等あるような地区でした、荒川仲町通り(商店街)も12時頃にもかかわらず殆どの店が開店前で人通りも少なかったですが、スーパーでの地域物価のチェックの結果は比較的安かったです。

 しかし日暮里中央通りの繊維問屋街に入ると急に人通りが多くなりその値段(カットソー等99円等)の安さに人の多さを納得、ただ殆どの開いていたのは女性子供物販売店でした。 

 昼過ぎていたのでお腹がすいていましたが食後に予定していた芋坂の羽二重団子を求めてまっしぐら。泉鏡花や夏目漱石の我輩は猫であるでも紹介されているかなり有名なお店です。店内は混雑していましたが持ち帰りの人が多くて殆ど並ぶことも無く一人テーブルをゲットしました。団子セット、お代わり自由の煎茶、あん、焼きの団子が4個づつ串さしにされているのがついて420円を注文しました。他に100円高で団子の数が半分になる抹茶セットがあるだけでした。あんは甘くなく赤福餅の丸いのを串刺し、焼き団子は柔らかで食べ易いのをイメージして下さい。甘党?の私にも食べやすかったです。

 支払いの時に、前の人が腹がすいたので何処か食べる所を教えて欲しいとの厚かましい問いにレジの方が丁寧に答えておられた上品な態度にこの店が好きになりました。私はその情報を厚かましく採用、昼ごはんを駅の反対側、御殿坂の蕎麦屋に決定しました。東京は蕎麦とてんぷらが一番と言われた知人のDr.Fの忠告で東京では蕎麦を極力食べる事にしていますがモリ蕎麦を今まで中心にべていましたがこれは蕎麦そのものの特製を発見できますがつゆに関しては余り違いが分らなかった為、今回は舞茸と鴨のつゆ蕎麦1,000円を注文。この店の名はそば川むらと言いますが店の前に列ができていました。中に入って分りましたが注文後から調理にかかるので待つ時間が長かったのです。その分その細めんと色の濃いつゆも大変美味しく満足できるものでした。機会見つけて皆さんも是非行って下さい。

 最後に又駅の東側の駄菓子屋街、20m程の路地にひしめき合う昭和の歴史を知るよう場所、この年の6月には区画整理で無くなりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと一休み 疑問に思う事!

2010-11-13 04:53:09 | 日記
 今日は疑問に思う事があるので、本題からそれますがお許し下さい。最近古い時代の本を読む機会が多いので、時間の概念ですが、例えば、"暮れ六つ"とか言っているのがとても気になります。どうやって時間を知ったのでしょうか?今になって、昔の人は時間が凄く大まかでなかったかと思い始めてます。近代とは、時計が作ったのかなと思います。

 時間に厳しい人間として、昔はそんなに時間にこだわり無かったと言う事なのが最近になって分かって来たのでした。昔は家に時計があった訳で無いし、お寺の鐘でみんなが時間を知って仕事をしていたのでしょう。そのお寺はどうして時間を知ったのでしょう。こう考えて行くと凄く時間と言う物がいい加減だと言う事です。

 田舎にいた人は、朝夜が明けて起きて、暗くなったら寝ての毎日だったのでしょう。今の様に、時間を時分とか秒とか関係無い時代だったので、本当に大まかな、それなりに良き、また苦しい時代だったと思います。

 そして、時代小説、現代小説を書いている人も、想像力がたくましいと思います。その場にいたような会話で話を続けますが、結果から想像して全て自分の想像として書いていますが、本当に素晴らしいと皆様は思いません。

 私も小説を書きたく思ったのですが、その様な想像力は出てきません。結局、本当にあったように物語は書けない自分に気づくと言う訳です。どれだけ調べたとしても、自分で体験した世界しか本当の会話とかが分からないので、小説そして映画にいったても作り上げた人は本当に素晴らしいと感じます。

 改めて自分の限界に気づき(遅いやないか!済みません)ました。話がそれたけど、疑問に思ったのでした。
 
  時計無き 時代はどんな 世界かな?

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9 話 東京の田舎家は違いました、田舎家 (INAKAYA 03-3408-5040)

2010-11-06 04:55:50 | 思い出日記
 Country Style Pub-Restaurant INAKAYAと言う英文名の方が似合う炉端焼きのお店です。と言うのも店に入ると評判通り(どこでや!?急にすみません=関東ではあまり突っ込みが無いので自分で処理慣れ)外国の人がやたら多く客の半数以上が外国の方と言うナカナカ洒落たお店、とんでもなく田舎ではありません。
 ガイジンと言う言葉の響きについて:昔、京都での事ですが 知人のアメリカ人が、初めて覚えた日本語が、ガイジン外人と言うのを聞いて、何か差別されている思いをしたと感じた。と言う話を聞いて以来つかい辛いです。

 さてさて、こんなところにひとりで行くのは成田一年生の私には無理でアミーゴのロペスさんに連れて行ってもらいました。納得していただいたと思います。もちろん、C級グルメの私が行けるようなお店ではありません。なお、C級グルメとは安いのはあたり前、美味しくて珍しいものを食べるのを基本としている私の食哲学? つまり裏返せば高くて美味しいのはあたりまえ。実は高級なものを食べられない人間の言い訳、旗印で負け惜しみです。まあ、皆さん知っての通りです。 

 しかし、実際に美味しいものを 安く食べるのは大阪に住み始めてから身に付いたものです。大阪は皆さんご存知かどうか関西圏でも嫌われている土地ですが私も大阪に住むまで嫌っていました、念の為に。成田では実際、特に嫌われています。大声で良くわめく人が多いそうなのです、ちょっと頑張りすぎるのです。しかし、食べるのはやはり大阪です。ロンドンにいた時、ネタは大阪、センスは東京と言っている友人の大阪の女板前がいた事を思い出します。

 前置が長くなりましたが、田舎家は六本木でアマンドのすぐ近くです、私は既にこの辺りに行ったのは麻布めぐり以来2度目なので土地勘もばっちりでした。既にかなりの東京通になっている私ですが、ここで新しい発見をしました。

 今回教えられたのはその掛け声なのです。初めて知りましたが、オーダーを取って大声でそれを確認して繰り返すのは日本人以外にとっては非常に珍しいことで、何か非常に日本らしさを感じるのだそうです。
 考えてみれば海外のレストランでは静かにオーダーを取るのが普通、大声で言うのはビストロSMAPの中井君位しか思いつきません。なるほどと思われるでしょうが、他のアジアのレストランでもうるさいが意味が分からないので同じことを言っているのかも知れませんが、その声にアジアを感じるのも確かです。

 けむりがたたない工夫がなされていて、陳列した素材で見えませんがその焼き場の前がケムリの吸引口になっていて上に煙が上がらないようになっているのです。そんな訳で店内は綺麗で広いものでした。

 また、田舎とはとんでもないナカナカの高級食材でした。えびも生きていました(久々に見ました、情けない)、肉も霜降りでした。遠慮なく注文しました。名前の由来は聞き忘れましたが、田舎スタイル?雰囲気、イメージで店のつくりのことだと思います。夜の5時から翌朝5時までの開店時間も東京です。
 朝の5時までやっている炉端の店大阪にあったかな?あっても朝の3時4時に行くことはあり得ないですが、東京では商売になる。さすがメトロポリタンン東京でした。ロペスさん有難うございました。

 ★住むところ 生き方変わる 食べ物も★ ★好き嫌い 基準が違う 土地柄で★
  ★ろばたやで こんなに話 つづくとは★ △ Я ▲ R.CONTI


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする