旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

849 北欧美人のウラ (次回更新予定 3月4日 第一土曜日) 

2023-02-18 05:03:22 | 目標

 歴史小説で無く剣豪モノの時代小説が好きですが、侍映画、侍ドラマに興味が無くなりました。と言うのは先ず目にするのが着物、殿様、そして侍から長屋の人迄、全て新品か洗濯済みアイロンのかかった綺麗な着物を!頭髪は、これも長屋の子供迄凄く整って!昔、私でも夏はガラパン・ランニングシャツで遊んでいました。黒沢監督は、それを避ける為に白黒で撮ったの違い無いです。まして侍だけでなく女性剣士迄、片手で剣を振り回し重い剣を「寸止め」!全く重量感が感じられない刀!そんな暇な事は考えもしなかった半世紀前のコペンでは...

9月29日 曇りがち晴れ/目覚まし時計のかけ忘れで今日も8時30分に起きる事になりました。(日替わりで色々良く寝過ごしの理由があったものです。現在目覚まし時計無しで4時起きです(';'))
 昨日言われていた重要書類をシュレダーする事が仕事?それをしているとヤンがカッステェンの服を買いに行くと誘ってくれたのでした。マリアンも一緒に行く事になって町中を歩き回ると言う事になったのです。彼の肌着から靴迄みんな新調する事になっていたのでした。
 12時にベントと警察に行って貰う約束が!時間を気にしながらの買い物でした。ヤンその事を言うと時間内に帰ってくれたのでした。(半世紀前の事、良く言う事が通じた事?多分、海外に行く為に勉強したYMCA英語だと思います?)

 12時半を少し過ぎた頃にベントに同行してもらい警察に!そこは以前と違い人であふれていました。取りあえずウラのオフィスに立ち寄ってから出直す事にしました。彼女は暖かく我々をいつもの様に気持ち良く悩ましく迎えてくれて、ベントに爽やかなキッスを!北欧美人で非常に美しく優しかったばかりでなくハスキーな声で、全てに満点。彼の奥様でした。
 ビールを御馳走になって彼女にも手伝ってもらいながら今日警察に持って行く書類を書きました。どこでも昼はビールを出すと理解しています。
 その後、警察に行ってベントの助けを得たビザ申請の結果は金曜日に分かるとの事で、もう一度来る必要がありました。取次した事務員の態度は生意気で腹が立ちましたが、同じ様にベントも頭に来ていたのでした。
 夜にウラについてスポーツジムへ行った所、みんなが苦しむのを見ていると無理に誘われて私もやる事になったのです。全ての機器をやり終えてシャワーを浴びました。こちらの人間は全く前を隠さないので恐れ入りました。他人事の様に何の縁も無い人間に色々と世話になっていたとは...素晴らしい人達ばかりでした!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

848 コペンで警察に?(次回更新予定 2月18日 第3土曜日)

2023-02-11 07:59:25 | 

 「アマチュアスポーツ界での暴力!」未だにニュースに! 亡き長兄は立命館高校時代に甲子園にショートで!未だテレビが我が家にない小学生低学年の時、ラジオに耳を寄せ!時に神棚と仏壇に一生懸命拝んでいた母の姿を思い出します。その後、監督としても甲子園に!(上司に許しを得、観戦に(^^)/) しかし昔人間の兄は、後に部員を平手で⁉監督を辞めてしまう事に!でも兄の葬式には何人もの元部員が泣いていました。現在、暴力で話題になる監督が選手だった時に、自身が体罰を受けたのか?その時の感情が多くあったと思います。いずれにせよ良くない事です。全く偶然にも不思議にも来月このブログの公開日前の17日が兄の命日との知らせ!そんな兄が存命中の半世紀前のコペンでは...

9月28日 火曜日/ カステンの「グッモン!」おはよう、と言う声に飛び起きたのです‼が、眠かったので再び寝る事にしました。(信じられない事が多くありますので(._.)自分の事と違うのではと本当に気楽にしていました。)
 ビザ申請に警察に行く予定で、午前中はオフィスに行く必要も無く勉強!(ボーダンハーズデイ→ヤハデゴッツ!How are you!I am fine. 多分、今でも言えるのでデンマーク語を?)
 マリアンも今回は一緒に警察へ同行して、一緒に公共の施設で無給で勉強していると説明しました。以前にも説明した滞在理由を何も分かってくれず、一向にらちが開かないので仕方が無く諦める事に...
 帰ってオルフに説明した所、ベントが助けてくれるはずだから「アドバイスを求めれば良い」と!彼は忙しくしていましたが説明すると、方々に電話で問い合わせ!明日に出直す事になったのです。
 近寄り難い融通の利かない人だと思っていたベントですが、本当は頼りになる優しい人でした。勿論、彼以外の全ての人達の温かい手助け親切に感謝一杯でした。(書いて行くと名から思い出す事も多くあり、信じられない程お世話になりました)
 夜にTVで大島渚の「少年」を!これは日本の当たり屋の家族の物語で、少し暗く難し過ぎでカステン、ステェファンは早々と部屋に戻りました。今なら日本も良く紹介されて特別な話と分かるんですが、半世紀前の話です。

 当時は固定相場制1ドル360円!余り知られていない東の端の国から来て、幸いにも受け入れられたと思います。何も知らず出たとこ勝負!現地で会った日本人皆がこの調子で、私にとっては幸せな時代でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする