過ぎ去った時は 楽しかった事を思い出し、悲しみを和らげてくれると思います。かなり前になりますが、とりあえず日本をでようと考えました。初めはオーストラリアに日本郵船の安い船で取りあえず出ようと計画しました。そうこうする内に、日本郵船が運航を止めましたので計画を初めからやり直さなければならなかったのです。
その頃一番安いルートの船でソ連(ロシア)のナホトカから欧州へ行きました。そして父が亡くなった時にはデンマークの田舎、フレデンスボーの施設で子供達の世話をしていました。父の死は突然の国際電話で知りました。その時、混乱して何度も電話を切り交換手にたしなめられました。誰も周りに知り合いがいない状況で声を出して泣いた事が忘れられないです。でもその時の悲しみは今思い出です。
その後、母にコレクトコールで電話をした時に自宅にいなくて、交換士が友人宅迄探して追いかけてつながった事があります。いい時代です。その家にその後、電話料金が請求され笑い話になった事もありました。
その母もそれから1年後に亡くなりました。父親の死に目にも会えず、母親はハワイから京都に帰って、その夜に、そのまま脳溢血で救急車で、半年毎日看病して亡くなるまで続けましたが、生きていたとしても話ていないかも知れないですが、両親共に海外の話をする事なく亡くなりました。
半世紀近くも前になった今思うのは、悲しみは年数が和らげてくれると言う事です。人間の記憶と言うものは、人によって違うと思いますが、私の場合、悲しかったことは2の次、楽しい良い思い出のみが残っています。
会社を退職してからもう早くも嘘のように瞬く間に何年も過ぎ、この頃は一日が終るのは早く感じてきました。私の年になると 10年はアッという間に済んでいくものだと感じます。それどころか、このブログを書く、一週間、一ヵ月が猛烈に早く感じるのはどうなっているのでしょう。時間が過ぎるのが本当に早く感じます。
時間はみんなに公平に持っているもの過ぎて行くものと分かっていても、時間が早く過ぎる時、なかなか過ぎない時があると感じています。おかしなものですが、仕事が終る迄の1-2分が耐えられない遅さ、バイトで他人の体温、血圧を計る時、時計の秒針だけ見ると、30秒がとても遅く感じています。
益々年々、早く過ぎる一日を有効に使わなくてはいけないのに、一日一日が何もできない内に過ぎて行くと言う生活です。少し前まではそんなに時間の事を考えずに過ごしていたのに、今まで生きた人生より少なくなった将来、最近は特に時間を大事にしなくてはと思っています。
その頃一番安いルートの船でソ連(ロシア)のナホトカから欧州へ行きました。そして父が亡くなった時にはデンマークの田舎、フレデンスボーの施設で子供達の世話をしていました。父の死は突然の国際電話で知りました。その時、混乱して何度も電話を切り交換手にたしなめられました。誰も周りに知り合いがいない状況で声を出して泣いた事が忘れられないです。でもその時の悲しみは今思い出です。
その後、母にコレクトコールで電話をした時に自宅にいなくて、交換士が友人宅迄探して追いかけてつながった事があります。いい時代です。その家にその後、電話料金が請求され笑い話になった事もありました。
その母もそれから1年後に亡くなりました。父親の死に目にも会えず、母親はハワイから京都に帰って、その夜に、そのまま脳溢血で救急車で、半年毎日看病して亡くなるまで続けましたが、生きていたとしても話ていないかも知れないですが、両親共に海外の話をする事なく亡くなりました。
半世紀近くも前になった今思うのは、悲しみは年数が和らげてくれると言う事です。人間の記憶と言うものは、人によって違うと思いますが、私の場合、悲しかったことは2の次、楽しい良い思い出のみが残っています。
会社を退職してからもう早くも嘘のように瞬く間に何年も過ぎ、この頃は一日が終るのは早く感じてきました。私の年になると 10年はアッという間に済んでいくものだと感じます。それどころか、このブログを書く、一週間、一ヵ月が猛烈に早く感じるのはどうなっているのでしょう。時間が過ぎるのが本当に早く感じます。
時間はみんなに公平に持っているもの過ぎて行くものと分かっていても、時間が早く過ぎる時、なかなか過ぎない時があると感じています。おかしなものですが、仕事が終る迄の1-2分が耐えられない遅さ、バイトで他人の体温、血圧を計る時、時計の秒針だけ見ると、30秒がとても遅く感じています。
益々年々、早く過ぎる一日を有効に使わなくてはいけないのに、一日一日が何もできない内に過ぎて行くと言う生活です。少し前まではそんなに時間の事を考えずに過ごしていたのに、今まで生きた人生より少なくなった将来、最近は特に時間を大事にしなくてはと思っています。