スキーに航空業界の大先輩が連れて来た女性を嫁に!(G平さんに紹介してもらった??ご恩は忘れていません!)「出会い」は人ばかりでは無く、その時に目にしたもの例えばチラシ1枚かも。それが人生のターニングポイントになる事もあります。それに上手く乗っかかって生きてきました。しかし他人の事を考えない、自分勝手な人生を送ったのを後悔して深く反省しています。では、50年前に戻ります...
野宿の朝、寒さで起きると、横には以前、私が寝ていた所に後輩?が、寝ていました。違うのは、それだけでした。エリザがアポを取ってくれた施設の訪問があったので比較的に早く出かけました。(エリザと気安くいっていますが、当時、私ぐらいの子供がいました。考えられないのが野宿から施設へ..)最初のソーシアル ミニストリアム(全く何か良く分かりませんがメモに?)では、10時迄待たされ後、場所間違いが分かり、少し離れた所へ...
午後に同じくエリザがアポを取ってくれた学校、地図を書いてくれたのですが、迷いに迷って駅から歩いて約1時間程だと言っていたのですが、それ以上離れた丘の上にある所で、非常に素晴らしい建物でした。その時点で、全く何の学校かも分かりませんでした。(予備知識無し、本当にいい加減でした。)
そこはなんと非行少年達の更生施設でした。丘の上にあって非常に美しい所で、非行少年達がいるとは思えない程でした。(何も知らないとは言え、簡単に行けない所に良く行かしてくれました。)
施設内を色々と見学していくうちに、一人の少年が私に親しみを持ってくれました。その少年は他の子供たちと年齢が違い少し大きく孤独そうでしたが、デンマーク語が分からない私を、身振り手ぶりで説明と案内してくれました。
余談が多いですが、周りにいる友人は他人から見て少し変な方が多いと思われています。この時、少年に好かれたのも、関係しているのかも?私は変わり者では無いのに、不思議な現象です。
デンマーク語が分からない私ですが、人と接する事が如何に大事な事かを学びました。勉強不足で北欧の人達が何語を話すかなどは、日本にいる時、考えもしませんでした。色々説明があって、施設内の中迄案内、なんと厚かましくも夕食迄御馳走になりました。遅かったので、あわててユースへ、ギリギリに8時前に到着、どうにかベッドで眠る事ができました。
余談、私が思う典型的デンマーク語、ゴッドゴッドメッドフルーウデポ!イチゴジャムに牛乳を入れて食べる?懐かしい、合っているかな?年と共に忘れている事が多いです。あれから50年、エリザに会わなかったらこの様な機会は無かったでした。人との出会い、超、恵まれています。感謝一杯です。