旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

794 福祉施設訪問 (次回更新予定日 11月7日 第一土曜日)

2020-10-17 05:02:09 | 人間

 スキーに航空業界の大先輩が連れて来た女性を嫁に!(G平さんに紹介してもらった??ご恩は忘れていません!)「出会い」は人ばかりでは無く、その時に目にしたもの例えばチラシ1枚かも。それが人生のターニングポイントになる事もあります。それに上手く乗っかかって生きてきました。しかし他人の事を考えない、自分勝手な人生を送ったのを後悔して深く反省しています。では、50年前に戻ります...

 野宿の朝、寒さで起きると、横には以前、私が寝ていた所に後輩?が、寝ていました。違うのは、それだけでした。エリザがアポを取ってくれた施設の訪問があったので比較的に早く出かけました。(エリザと気安くいっていますが、当時、私ぐらいの子供がいました。考えられないのが野宿から施設へ..)最初のソーシアル ミニストリアム(全く何か良く分かりませんがメモに?)では、10時迄待たされ後、場所間違いが分かり、少し離れた所へ...
 午後に同じくエリザがアポを取ってくれた学校、地図を書いてくれたのですが、迷いに迷って駅から歩いて約1時間程だと言っていたのですが、それ以上離れた丘の上にある所で、非常に素晴らしい建物でした。その時点で、全く何の学校かも分かりませんでした。(予備知識無し、本当にいい加減でした。)
 そこはなんと非行少年達の更生施設でした。丘の上にあって非常に美しい所で、非行少年達がいるとは思えない程でした。(何も知らないとは言え、簡単に行けない所に良く行かしてくれました。)
 施設内を色々と見学していくうちに、一人の少年が私に親しみを持ってくれました。その少年は他の子供たちと年齢が違い少し大きく孤独そうでしたが、デンマーク語が分からない私を、身振り手ぶりで説明と案内してくれました。
 余談が多いですが、周りにいる友人は他人から見て少し変な方が多いと思われています。この時、少年に好かれたのも、関係しているのかも?私は変わり者では無いのに、不思議な現象です。
 デンマーク語が分からない私ですが、人と接する事が如何に大事な事かを学びました。勉強不足で北欧の人達が何語を話すかなどは、日本にいる時、考えもしませんでした。色々説明があって、施設内の中迄案内、なんと厚かましくも夕食迄御馳走になりました。遅かったので、あわててユースへ、ギリギリに8時前に到着、どうにかベッドで眠る事ができました。

 余談、私が思う典型的デンマーク語、ゴッドゴッドメッドフルーウデポ!イチゴジャムに牛乳を入れて食べる?懐かしい、合っているかな?年と共に忘れている事が多いです。あれから50年、エリザに会わなかったらこの様な機会は無かったでした。人との出会い、超、恵まれています。感謝一杯です。



  

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471 認知症、そして思い出 (毎週土曜日に更改しています)

2016-06-11 04:33:24 | 人間
 高齢者が5人に1人、10年後には約700万人が認知症になるらしいのです。ボケ老人に比べ優しく、まだまだ新しい認知症、生きているかもどうか怪しい10年後、私はそのグループに入らないように努力をして願っています。

 認知症、それは能の細胞が壊れることで、記憶が抜け落ちるなど様々な症状が出るとの事。世界に5000万人に迫りますが、未だに特効薬は生まれて無いそうです。元々壊れている私は、ご心配無く(誰も心配してない!お許し下さい。偶の一人突っ込みです)暫くは大丈夫だと思っています。

 そもそもアルツハイマー型認知症が報告されたのが、今から100年以上前1906年、戦前は50才に届かなかった日本人の平均寿命がいまや80歳を超えました。80歳を超えると5人に1人が認知症になるらしいです。発見から100年経っても良い薬が出て来ない、何も分からないなら、そうなる前に死にたいものです。しかし、認知症になっても幸せそうにしている方を見ると、今までの幸せな人生が分かるかも知れないです。

 いつまでも健康にいたいものですが、護施設には明らかに認知症と分かる人がおられます。認知症ではありませんが、施設で亡くなった様々な人を見ています。

 その中でも親しくして頂いた方、毎日、私がカーテンを開けて、起こすと「もう、そんな時間」と起きられる方がいました。起きているとベットで足を上げて健康に人一倍気を付けていた人が突然救急車で運ばれてそのまま帰って来ませんでした。病院に運ばれる数日前に、夢を見られて、その夢の中で幾つもの棺桶から中の人が笑っていたという話を楽しそうに語ってくれました。そんな事もあるのですね。

 かと思えば、毎朝、明日は来るのかと聞いて、毎日会うのを楽しみにしてくれる方がいました。「明日は休みです」と言うと、残念そうに毎回のように毎日着てくれたら良いのにと答えられました。
 先日、不思議に何故か順序を変え早めに行ったその部屋で倒れられていました。ベットから倒れて両足をベット掛けてポータブルトイレの間の床に倒れているのを発見しました。一番にマイクで助けを呼びました。それから直ぐに両足を抱えて床に下ろしました。意識がはっきりしていましたが、この方も、翌日亡くなったと聞きました。

 今考えると、この方の心臓がその時止まっていたら、AEDが届くまで習った心臓マーサージを行う事になっていたのかと思い冷や汗ものでした。訓練はキッチリやっとくべきだと改めて認識しました。
 
 その訓練を忘れた時分、しかも、こんなにも早く再認識させられるとは...
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463 あれから3年 (土曜日に更改しています)

2016-04-16 04:52:27 | 人間
 「103歳になってわかったこと」を書かれた篠田桃紅さんは、死を意識したこともありませんと、死に関して、人のかかわる事で無い、又、かかわれない人の領域では無い事に思いをめぐらせても心理にちかづくことはできません。毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。 実際その通りです、素晴らしい考えですし、良く理解もできます。

しかし、毎日ニュースでは何十人、何百人死傷した、そして毎日のように国内外で凶悪な事件が報じられています。この3年間、考えられない程、異常に多く人の死に目にあっています。あの人達がもうこの世に存在しないとは不思議な気持ちです。

 早いもので、兄の3回忌にお参りに行って来ました。最後に会った時、楽しく話そうとしたのですが、涙が出そうで声を出せませんでした。兄は延命治療を拒んで死を選びました。

 私が初めて亡くなった人を見たのは叔父でした。確か、50年もっと前、肺の手術で亡くなりましたが、キリスト教会で執り行われた葬式でした。棺に横たわった叔父さんに花を一人ずつ捧げました。その印象が残っています。その時、生まれて間も無い子と小さい子二人を抱えた叔母は今も元気です。想像すらできない程、それから半世紀以上は大変な苦労で育てたと思います。

 親が死んでかなり立ちます、父は肝臓を悪くして、その母は1年後、ハワイから帰って来たその日に脳溢血で倒れました。そして、ここ3年の間に、自分の周りの方が次々と亡くなっています。

 偶に会って話すだけなのに不思議に何となく気があった人がいました。同い年の方でしたが、余命2ヵ月の癌と言われて入院しました。そして本当にあっけなく亡くなりました。
 亡くなる少し前に箕面市民病院にお見舞いに行きましたが、カーテンで区切っただけのせまい4人部屋に特にする事も無く退屈そうにしていました。亡くなるその日、4時間前でも普段通りだと聞きました。知る人の中では一番気楽に亡くなられたと思います。

 先日亡くなった先生は、大腸癌で孤独死だと聞きました。半年前、甲子園に行くから会えないと元気よく言われていました。信じられません、癌で病院で亡くなったなら分かりますが、孤独死??本人は、そうです末期癌と分かって最後を自由にカッコ良く生き抜き、1人で死を迎えたに違いありません。そうでなければ、オカシイです。本当にいい先生でした。

 人、様々な亡くなり方があるものです。今の私にとっては、死を考えないのは難しいことです。

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460 いまどき   (毎週土曜日に更改しています)

2016-03-26 05:00:00 | 人間
 「今時の若い人は!」そう言う年になって来たかと感じています。 バイトで忙しくしていて、そこで介護施設の世話をしている若い人と接して日々その言動に接しています。そして若いエネルギーを彼らから貰っています。若い人ばっかりです。年配者には厳しいハードな仕事だと思っています。
  ただ、そこでは、それは違うだろうという事をほぼ毎日、若い人に発見して体験しています。しかし、それを注意する間も無く忙しく働いています。また、注意する立場でもありません。残念ながら、アドバイスの仕方が下手だとも言えます。

 「今時の若い...」しかし、待てよ!自分の若い時はどうだったのだろうか、彼らと同じ様に自分の事が精一杯だったという事をと思い始めました。そして、まるっきり他の人の事を見ていなかったかも知れないと感じました。今更遅いことですが残念ながら、私の場合、全くその通りで、それに違いが無かったと思いました。皆さんもそうならない様に気を透けて下さい。実際は、不思議に年をそう真剣に感じていないのは困ったものです。

 そうです、どの時代でも、どの世代でもある程度の年になってくると、自分の若い時のことを忘れて言っているのではと思い始めました。もう少し早くきづけば良いのですが、ある程度の年になってわかることが多く、日々接している若い人に感じていたストレスが無くなってきました。

 年を感じるのは寂しいですが、目を掛けて面倒をかけて可愛いがってもらった人達の多くが鬼籍に入られた事です。現在、はたからどう見られても いまでも20代のつもりです。

 自分が、その年になって初めて気付くことが多くあります。あの時、こう言っていれば良かった。こうしてれば良かったと、気づかなかった未熟さ馬鹿さ加減に、反省すばかりです。その時々に関係した多くの人に不愉快な思いをさせて、迷惑の数々をかけて、昔を思い出し本当に済まなく思っています。今、読んでいる方に改めてお詫びします。

  人との付き合いで、最初の印象でその人を嫌いになる、合わないと改善できない場合が多いです。これが今まで対人関係が上手く行かなかったと人が多くいたと反省しています。反対に好印象を抱いた人に、騙された経験が多くあります。全ての過去を思えば、反省ばかりで生きていけないです。と言う訳で、済みません、これからも生きていくために、考えれば元々ストレスとは縁が無かったです。

 そもそも自分の第一印象はどう思われていたのか、また、別の項で...
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