旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

478 京都嫌い(毎週土曜日に更改しています)

2016-07-30 04:34:18 | ブログ
「京都嫌い」日本中みんな憧れを集めていると思うのが京都人ですが、その京都人が京都嫌いを自認、又その話が良く分かる私も京都人。6つ年下の京都大学院をでた井上章一さんが書いた本のタイトルです。

 生まれは右京区の花園、妙心寺のすぐ南側、5歳の時、同じ右京区の嵯峨、釈迦堂の西側、そして20年ほど住み、その後は宇治に住んだその方だそうです。言わば京都の周りに移り住んだと言えます。このいい方が、そもそも「京都嫌い」の理由でした。

 洛中に住んでいると、花園、嵯峨は洛外、宇治は宇治となり、それぞれいい所と思っています。それはそれでいいかと思うのです。しかし、今はそこまでひどくは無いですが、古くは嵯峨弁を話す田舎ものだと思われたそうです。
 その通りで他の地域の人が、その感覚は分からないでしょうが、京都は碁盤の目以外、本当のこだわりはモット狭い範囲からでると京都ではないと思っているのです。昔、今や市心から車で15分で上賀茂があります。我が家でも、小学生の頃、賀茂のオバサンと言って、お米を売りに来ていました。自然に田舎と思う様になったのでした。
 
 その本の中で、婚期(今や死語になりました)を逃しそうになった京都の女性が「とうとう山科の男から話があったんや。もう堪忍して欲しいわ」見合いをする人が、東山を越した所である山科区をその様に言ったそうです。前に言いましたが、東山区に住んでいた友人が、山科に引っ越しして、いつものように日の出を見るつもりで東山を見たら後ろから太陽が上がって来たという話があるほどです。

 話はいつものように外れますが、小学生の頃は、花園まで水晶を取りに行きましたが、沢山の人が取ってもまだあったのは不思議です。途中、線路、高架を歩きましたが、のんびりしていたと思います。

 そもそも、私自身が京都駅の南側は一面田んぼと高校に行くまで思っていました。その南にある伏見区は、伏見市を改めて、京都に行くお言ったいたのが、日本で最初の市から区なったのでした。坂本龍馬で有名な寺田屋には、配達のバイトをしている時に何度も入口だけ行っています。でも、入口だけで偉そうな事を言って済みません。

 その本で、真面目に面白い事を書いていますが、京都を支えたのは江戸幕府であったそうです。明治維新で京都の寺領は激減、例えば、清水寺は寺領は10分の1以下、その他の寺院も同じ様に狭められたそうです。もうちょっと勉強し無いといけないです。
 

 


 

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477 大阪 (毎週土曜日に更改しています)

2016-07-23 05:30:48 | ブログ
  大阪と言っても豊中市に在住です。東京から来た人に「そんなアホナこと」「そうでっか」「すんまへん」「お前阿保か」「なにぬかしとんねん」等、大阪弁を話さないと不思議がられた人がいました。本当の話です。

 大阪というと特殊な地域な所と考えられていると思いますが否定しません、確かに実際その通りです。私自身、京ことばを話すのに気付いていなかった過去を忘れているのに偉そうなことを言えないのに済みません。現在は標準語を話します?

 大阪弁というよりは、私のいう吉本言葉が根にありテレビを通じて大阪弁の如く一般化しているように感じています。又、大阪一般の人達は、サービス精神豊富でそれを又、その通りにしないと悪いと思っているのに違いないです。
 テレビで大阪弁を話す典型的な人間、例えば、明石家さんまは奈良、上沼恵美子は兵庫、それも淡路島出身です。奈良は叔母さんが嫁に行ったけどイメージが無いのと同様に淡路島の言葉のイメージもありません。

 私自身昔、京都弁を知っていると言われ、その例で、何でも終わりに「~け」をつけること言われてがっくりした事があります。以前に言いましたが、母が入院している隣の人が滋賀の坂本で、女性も「~け」をつけて話していました。紳助さんが「~け」をつけて話していたのは、私など汚い言葉として教えられていました。京ことばはのんびりとしているからワザと話し言葉に「行こけ~」等と言います。くれぐれも、決して京ことばではないです。
   
大阪弁というより船場言葉は、映画「ぼんち」主演市川雷蔵を思い出すのは私だけでしょう。本当に良い言葉でした。これは船場言葉で無いかも、学生時代に「いいやんね~」(標準語では言ははる?)と言われた時は、大阪弁もいいもんだと思いました。

 雑誌で「あさが来た」を近藤正臣さんが演じた、豪商「加野家」の先代で、 柔らかな言葉を話していました。彼は京都出身です。その人が、大阪弁と京ことばの違いについて、船場では「そうだす」京では「そうどす」と言う様に、「だ」が「ど」つまり、一語の違いで与える印象ががらりと変わってしまうものだと言っています。母親が普通に「どす」を使っていましたが、自分で使う事は無かったです。

 京都より大阪で住んでいる方が少し長くなってきて、京都と大いに違うのを感じなくなってきました。京都は碁盤の目の中に住んでいるのが京都と言います。これはもうちょっと詳しく書きます。
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476 思い出色々 晴れ男と雨男(毎週土曜日に更改しています)

2016-07-16 02:52:54 | 思い出日記
 現役時代、京都に月に2度ほど営業に行っていました。たった1度か2度行くのに、その都度、雨か雪、夏にはにわか雨、何時も天候が悪いという状態でした。しかし、旅行に行く時には傘を持って行った覚えがありません。仕事に向いていない仕事雨男、反対に遊び晴れ男でした。

 その反対に、ハワイに行くと自分の直ぐ向うは晴れているのに自分の周りだけ雨と言う方おられました。仕事の先輩で、その方と一緒にマウイ島にテニスをしに行った時の事でした。テニスボールが前に飛ばない程の風が吹き、コートの横の比較的に大きな木が折れた事がありました。雨男と晴れ男が一緒になった場合の結果でした。

 学生の時、ザルツブルクで雨の中をポンチョを被っていた事。慣れない初めて一人旅で、考えると要らないもの家財道具一式奇、何でもリックサックにいれましたから重かった事をよく覚えています。一応雨対策をしていたのです。その後はポンチョは何処かへ。雨の多いことで有名なロンドン滞在中でも、勿論、コペンハーゲンでも不思議に傘を持っていなかったのです。

 雨にあったと言えば、同じアパートに住んでいたイギリス人がロンドンからベルファストへ行く時、スコットランドへ行く私と途中迄一緒にロンドンを発ちました。夜、傘を持たず、勿論ヒッチハイクで冷たい雨と風が吹くの中、彼のウィイスキーを瓶の蓋に入れて飲ましてくれた時は有り難かったのかよく覚えています。
 雨の中でも、傘をささないのは欧米人だけかと思っていましたが、最近は日本でも雨に濡れても当然のように歩いて行く若い人が見受けられます。これは都会に軒(ノキ)が少なく無くなってるかとも感じています。

 シアトルから少し行った、クリスタルマウンテンにスキーに言った時の事。途中、全く雪と言うものが無く、着いた最後の駐車場のみ雪があり、10m程でしたが、チェーンが切れました。スキーの帰りに雪が無くて助かった事ですが、そのレンタ―会社にはかなり文句を言いましたが、答えていなかったです。
 ヘブンリーバレイに行った時は、ここも雪も無いのに良く来たね!と言われました。その答えに、今日から雪が降りますと返事をしましたら、その日から大雪となりました。ただ、アメリカの場合、保険の都合上、直ぐにスキーはできなくて、お蔭で周りの3つのスキー場に行きました。

  同じところに3度目にヘブンリーバレイに行き、サンフランシスコ迄車で行く途中で、ランチを終えて外に出てビックリ、30㎝は積もりました。
 その後、大雪の中で運転、何でもアメリカは桁違いと思いました。若いと何でも怖さ知らず、何でもよくやったと思います。
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475 8020 (毎週土曜日に更改しています)

2016-07-09 04:09:54 | ブログ
 「人間は忘れるという知恵を持ってる」いい言葉です。私の場合は豊富な豊富な知恵が内在していると言えます。哀しい事等、少しでも忘れて淋しさ悲しさを和らげてくれるでしょう。兄は私のボケに心配していますが、そもそも認知症と老化による変化は違うというのです。

 老化には体重減少、歩行が遅い、握力低下、疲れやすい、体の活動の低下があります。この点、気をつけています。一方、認知症は老化現象ではなく、脳の病気でし。記憶力、思考力、自分のいる場所時間などを認識する機能、理解力、計算力、学習能力、言語、判断能力など、複数の高次大脳皮質機能の傷害がでるとです。元々、理解力や計算力は無かった者ですから、そのし心配は先ずありません。

 危険分子には、遺伝性や性差、頭部の外傷、動脈硬化、飲酒・喫煙等の生活習慣などがあげられます。遺伝、性差は変えられませんが、生活習慣は変えられるのです。しかし、認知症は危険因子が複合的に重なって起こる疾患と証明されています。

 例えば、一日に6回も1-2時間、歩くだけの人がいました。最初の頃は、毎日、私に天気の事を聞いていましたが、ある日、天気予報が外れていた時に、尋常にそして凄く怒られました。本人は何とも思っていないと思います。
 最近は名札と住所を書いたものを胸に付けて、近くを歩き回っています。朝早く近くで帰る道が分からず、同じマンションの人に見つけられて無事帰って来ました。奥さんにチェーンを掛けられたらと言うと、そうすると自分が外に出た時に中側からチェーンを掛けられるので、それもできないとの事です。
 先日、朝、パトカーに乗せられて帰って来て、その後、遅くなると本人に付いて歩くと言う事です。本人は一緒に出るのを嫌がり、後ろから怒られながら歩いて行くそうです。行くのを嫌がるディサービスに出して、その時に自分の時間を見つけられる様です。

 このような方を面倒見る施設がもっと安く増えるといいのですが、それに頼らない為に、塩分、脂肪を控えて、週1-3回の筋肉トレーニング、2-5回の有酸素トレーニングが必要です。それと認知トレーニングとして、1回10分から15分の記憶や読み取りを行いを薦めています。しかし、これを全部するのは、正直難しいです。

 そして表題の80歳で20本の自分の歯を保つ「8020」を心掛けるのです。現在、健康な歯がありますが、全て、私の人生ぎりぎりの数と言えます。

 まあ、今のところ大丈夫。そう思っている間は認知症とは無縁、でも、それに気付かなくなったっら?その心配がありますが、そんな心配をしなくてはいけない年になった自分に驚きです。
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474 15万アクセツ! 有難う御座います (毎週土曜日に更改しています)

2016-07-02 04:04:03 | ブログ
 コンピューター時代に突入する、年代としては、かろうじてパソコンを使い良い時代に生まれたと思います。あの頃は、確か金があったのか、30万円を超えるものを買っていました。今や、10/1となりパソコン3万円時代(私だけかも知れないです)に突入しています。困っているのは、大型のデスクトップの写真が捨てられないことです。身の回りに未だ5台もあって、処分しなくてはといつも思っています。一財産ですが今や価値無し、私と同じです。

 営業で航空旅客、そして貨物予約共にやって、最終的には空港業務と色々やりました。当然ですが、営業畑で当初はコンピューターとは無縁でした。初めの頃は、貨物は予約のみ担当でテレタイプを利用、それが大阪には無く、どのようなものか全く知らなっかたのです。そのシステム、それどころかホ-マットさえ知らないないのに東京に電話をかけて予約、当然、良く怒られました。かなりしてから、2センチ程の紙を円形にした紙に穴を開けて出て来る機械と分かるまで苦労しました。
 それが、今度はコンピューター化、初期勉強も無く、又あってもしない。例えば、電源を切る際もメインのスイッチを当然のように切る、それでも壊れずに、大変いい加減でした。

そんな訳の分からない人間が、現在、全然知らない方まで比べよう無く多くの人にこのブログを読んで頂いています。その数を糧に毎週書いています。積もり積み重ね、そのアクセツ数は、ビックリするほど多く延べ15万を超えるという状況です。

 毎週書いていて、日本語は特に分かりやすく、新しい言葉を発明、外国語を上手く日本語に取り入れて、それを直ぐ活かすということに素晴らしさを感じています。すでに前に書いた事ですが、本の表紙が左から、右から、どちらでもあります。そうです日本語には縦書き横書きの場合もあります。

 文頭を大文字にしないで英語より分かり易い。文頭を漢字と仮名で分けてそ見やすくなる事もあるのです。色々な方法でかける日本語、そういう意味では漢字だけの中国と比べても、日本の未来まだまだ明るいです。中国語も分からないのに済みません。でも、外国語を日本語化するのは、日本人は一番だと思います。こんなところでも日本人で良かったと思います。

 ただ、最近分からない新語が多く出てきます。又、それを調べるのはボケ防止に最適と考え、15万という数字を糧に、これからも頑張って書いていく予定ですので暖かい目で見て下さい。

 
  
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