旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

552 正月から(毎週土曜日に更改しています)

2017-12-30 04:18:44 | ブログ
 テレビが無い時代、正月というと映画、最近では考えられない程、映画にみんな夢中、子供の頃はそれしかない娯楽の大様でした。正月特別公演、何故か分からずメロディーだけが「ひゃらぁりひゃらりこ...」東千代乃介、中村(萬)錦之助、片岡千恵蔵、大友柳太郎、それと喜劇役者の堺俊二等が頭に残っています。今思うに、全て東映映画でした。映画村ができるズート前、近所の人が働いていた、東映の太秦にも行きました。そこで見た、トップクラスは各自部屋を持っていたのですが片岡千恵蔵は、見たそれだけに感動したことを忘れないです。

 現在は正月に映画、関係無いと思うのが普通になりました。つい最近まで、と言っても随分前、私も信じられ無いですが、前の映画の終わる前に、席取の為、劇場に入る必要があったのです。この状態長く続き、そのお陰で今でも席とるのが上手と自認しています。立ち見が当然、正月の時は、映画の舞台に上がって見ると言う、そのような事が私の間違いか、本当にあったのかと思います。

 全て見たままを薄っすらと覚えいているだけで、自分の姿は勿論、誰と一緒に行ったか、どうやってその場に行ったか等、丸っ切り覚えていないのは不思議というかそんなものです。その時の印象がそこだけに集中しているせいか、その後も、少しは周りに気が行くようになったのですが、私の思い出とはこんなもんだと思います。

 その頃の遊びですが、石あて、4メートル程、向こうに10cm程のたてた石を自分の石を滑らして、相手の立てたのを同じ様ない石を倒す遊びや、ろーじ(路地)の土の上に10cm程の釘をさす釘差し遊び、回した駒を手に乗せておっかっけっこ等々、色んな遊びがありましたが、車社会になって消えてしまいました。

 昔、旅行会社の✖✖航空支店長が、京都の昔の我が家の近くに住んでいまして、私も知らない事を知ってました。それは我家で町内が持っていたと聞きました。いい事を覚えくれています。
 
 西陣空襲、聞いた事が無いと思います。死者50、重症者60人もあった空襲で、そもそも京都に空襲が他にもあった等というのは知らないのが普通です。我が家は、土間の土が座敷上がっただけでしたが、恐ろしかったのでしょう。直ぐに疎開したそうです。疎開先は今なら車で10分。家を売ったお金を、全額、お婆さんの言いつけで銀行へ、その銀行が潰れまして、何も残らなかったそうです。戦後、仕事で使っていた石鹼で食いしのんだそうです。そのお陰で私が育ったという事です。

 いつものように取り留めなき話、済みません。来年が良い年になりますように...それと新年おめでとうございます!
 
 

551 人生未完(毎週土曜日に更改しています)

2017-12-23 04:34:25 | ブログ
 「いい加減」な精神。「時間でも、お金でも、用をきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。無駄のある人生は、1+1を10にも、20にもすることができます。」なんとなく過ごす。なんとなくお金を使う。無駄には、次の何かが兆している。

 そう願いたいですが、無駄にお金を使っているのですが....何も兆しているとは思えないのは、無駄遣いが少ないと解釈すれば良いのでしょう。だから、1+1=2の人生、今の所、1-2=-1であったりします。でも、人生、付きに溢れています。

  信じられない程昔、日本出てから2週間、ハンブルグ迄たどり着いて、ストックホルム行のスチューデントフライトフライトがキャンセルされました。信じられなく空港迄行って確かめた事がありました。途方にくれて、ユースホステルに、そこで幸運にもヒッチハイクの仕方を聞き、初めて道路に立ちました。それは行き先を書いた紙を手に持てと言うもの、その時以来、ヒッチばかり、教えは簡単、その時は、有り難かったでした。

 途中、コペンハーゲンで、今度はユースホステルが一杯で、初野宿、又また、途方に暮れ、その時に親切に声をかけてくれた人がフランス人と二人を一泊させてくれました。初めテントを庭に、それをフランス人が断ったので、部屋を提供。私は初めて外国人気質を感じました。奥さんが福祉関係の方だったので、その後、旅の目的である各種の福祉関係の施設で働く事になったのでした。結局ストックホルムは手紙を受け取り行っただけになりました。ただ交通量の少ない所でヒッチハイクは大変でした。この様に、会う人会う人が皆手助けてくれて、人生上手く歩いて来たのです。感謝しています。

人生、最悪の時は、これ以上、悪くならないと言うのが私の処世術であります。本当は最悪の時は、そんな余裕というか、考えられないのが普通で、悪い方に悪い方に向いていきます。渦中いる時は、自分が最悪の時と思っていても、後から考えると、常に上手く行っているのが今までの人生です。

 この事で学んだ事、「最悪の時は上に上がるだけ、でなければそれより下がる時は、その時は最悪の時で無い」。この状態を耐えずに自殺した知り合いが3人もいます。死ぬことばかりを考えるのか、マンションで鴨居も無いのに、トイレの扉を利用して首をつった人もいます。

 私の場合、自殺を考えても思い考えるだけですが、何かきっかけが欲しいのか、ネットに自殺サイト等あるんですね。自分で死ななくてもいずれ人間死ぬのです。人生楽しく生きていきましょう。 

クリスマスおめでとうございます。
 


550 死に方は生き方で決まる (毎週土曜日に更改しています)

2017-12-16 06:26:23 | ブログ
  105才で亡くなった日野原重明「死は決して怖くはない、最後はありがとうと言って死んでゆきたい」一度、それを怖いと思われたそうです。死の数ヶ月前、死にかけて、その時、確か花畑を見て死が怖くなくなったそうです。そうありたいです。
  
  「人生は芝居ではない、二幕目はない」太宰治は、成る程やっぱりいい事言うと思っていましたが、「生涯みな芝居也」神沢貞疳、これも捨てがたいです。どちらも分かります。が、どの人にも公平と言うと語弊、死に方は人によって違いがありますが、死は必ず来るものと分かっています。

  首都圏だけで、推定100万の遺骨を自宅で保管していると言うのです。火葬場で、仏が座禅を組んでいる姿の様な、その喉仏を母親の骨として頂きました。

  遺骨を置きっぱなし、年々増加している遺失物があるそうです。核家族が多くなり、そして埋葬料が支払えない人達が、ゴミとして捨てられない。処理に困って、その様な事にするらしいです。

 死んだら、埋葬に幾らかかるか、一応、私の処理代は取ってありますが、足りないと思うので、埋葬料を一度確認する必要があります。火葬は仕方ないですが、残った骨を処理するなら、全ての骨と処理して粉々にして貰ったら火葬料だけで済むのですが、そう言う訳にもいかない様です。骨はどれも同じと思うのですがね! 無神論者の私は粉々にして川に流して欲しいです。
 
 1日前の事は覚えています(本当かな!?)2日前、3日前になると、それなりに覚えています。4日も前になると、カレンダーが必要になります。毎日、仕事をしていると、自分が1週間の何処にいるのか偶に(?)分からなくなります。そして、1ヵ月、1年過ぎるのが早すぎます。1年前、クリスマスの飾りをやったとこなのに、次から次へと、正月、ひな祭り等、目白押しで、又、クリスマスです。この様な飾り付けを毎年やっていたとは相当マメです。
 数ヶ月前、埼玉から兄が来ると、その日を待ち遠しく思っていて、これは話しなければ、この事は伝えなければとカレンダーにマークを、その日があっと言う間無く過ぎて、結局、何も言わずに過ぎてしまいました。人生そんなもんだと思いました。

 今年も我が家のビッグイベント、クリスマスの飾り付けも終わり、切れたものを新しく買う訳で無く、上手く誤魔化したと思っています。後何年、生を天から頂いだくか分かりませんが、一度はAAで、イタリアのフィレンツオーラに行けたら最高です。今は夢に終わらない事を願っています。
 

549 人様々 (毎週土曜日に更改しています)

2017-12-09 04:38:33 | ブログ
 一人住いで悠々自適自適、毎朝、箕面の滝への散歩を欠かさず、年に何度も船旅を楽しんでいた人が、旅先でお風呂でコケ、そのまま入院されました。骨折れでリハビリとどれくらい回復するか分からないとの事で、階段があるマンションから本人いないまま退去されました。気をつけても何処に災難があるか分からないもです。落ち着いたら見舞いに行こうと思っています。

  一年過ぎると、ホームでも何人も亡くなれました。八畳一間、終の住まいになるのです。私もそのつもりで整理は怠らないです。しかし、前と同じこと全然綺麗にならないです。施設に住んでいる人で、部屋一杯にものが溢れかえっている人がいます。それを教訓に何とか12月の終わりまでを目標にして片づけています。

 ホームからそのまま入院、退去される方もいます。そして自分が何処にいるのか分からない方。痴呆症の方は「おねえちゃん、殺してくれ、私死にたいのや!殺してくれ」 朝一番にこの人の部屋に行くのが日課になって、落ち着く様に話をします。私のいる間だけ大人しくしています。しかし、出て行くと、大声を出し、同じ事です。どうにかしてあげたいのですが...

 どうにかしてあげたいと言うと、行っている卓球レッスンの所に自閉症の娘さんがいます。年は不明ですが、24才位だと思います。彼女は卓球が上手くて各種の大会に出て好成績をおさめています。大会に参加する前に、皆に聞こえるように「??大会に出ます。皆さん応援して下さい」大会後は「‵何位でした。皆さん拍手して下さい」と大声で言いますから結果を知っています。練習の時は、常に声を出して独り言、練習も無く直ぐに試合形式です。全て自分のペース。慣れているから良いのですが、合わすのに大変です。ピン球が台からこぼれても遠くに行くと誰々さん取って下さい。名前は良く覚えます。
 その場にいる人は、殆ど彼女が自閉症と気付いていないのか、変わった人と困った人と思って自由にさせています。自閉症の人達は、やはりそうと分からないと付き合うのは難しいと思います。知っていても、同じですが、知らないよりはマシだと思っています。

 自閉症とは、「社会性と対人関係の障害」「コミュニケーションや言葉の発達の遅れ」「行動や興味の偏り」の3つの特徴が発達段階で現れると言わています。今まで、こんな人に会った事が無く、この様に3つが当てはまる人間に接していてつくづく家族の方はそれこそ大変だと思います。気づきましたが、私も冗談で無く、その3つ当てはまると自覚しています。

548 古希(毎週土曜日に更改しています)

2017-12-02 05:50:09 | ブログ
 鏡に映る自分の顔見て、いい男と納得、先日皆で写した写真を送って来たのを見て落胆、写真機の悪さを痛感しました。詩人の杜甫(とほ)が古来稀から、70才を古希、稀(まれ)な事として言った事らしいですが、その年が年々近づいてきます。これは誰でも言えることですから、若いと気にならなかったのです。現在古希を迎える人は、まれでは無く、普通の事となりました。

昔は、人生50年でしたが、かなり前に無事に通過して、この頃は「正月や冥途の一里塚、めでたくもありめでたくも無し」どちらかというと、めでたくない。この言葉が現実味を帯びてきました。自分が70才が手の届くところに来ているとは、信じられないです。未だ20代の事をしばしばやっています。

 「伸びるもの、つめと無精ひげ、他に無し」これが現在の心境です。今まで経験では接点が無かった仕事をしている人と出会うようになってみて、こうすれば良かった丸く収まると思う事が増えています。遅いですが、そうなっていないのが良く分かりました。マンション管理員の仕事で、チラシ配りの人の断り方も、気持ちを込めて「済みません。お断りしているんです」。
 今までだったら、どういったか忘れましたが、まーるく帰って頂けます。ゴミ収集の人にも、本当に有難く、当然ですが、挨拶は欠かしません。この前は、瓶出しの日に、中身を捨てずに出していた人がいまし。別にしていたのですが、親切に取って行ってくれたのです。何時も思うのですが、彼らは年取ったらどうするのかと余計な心配をするのでした。

 昔、正月三が日は、お店は何処も休み街で静寂が覆いかぶさるような状態でした。現在、その正月の雰囲気は全く無くなりました。昔、正月三が日、知りあいのアメリカ人家族がその期間、ものを替えずに苦労した事。それらは今は、夢を見ているようです。生まれて初めてピッツァを食べに北山通りに、アメリカの女性に連れて行って貰った事がありました。美味しいと勧められたのですが、不味かった思い出があります。その時、京都の普通の家庭に育ってチーズはその時まで、食べた思い出はありませんから当然と思います。共に、高校時代の事でした。

 その頃できた、ライブハウス「十徳」は、今は表にビラ、昼見たので、辺りも変わりました。友人宅の蔵の中を改造した土間でやっていて、山科に住んでいた高校の同級生が行っていましたので私も行った思い出があります。

 昔の事、色々思い出します。若いと思っても、年取ったなと改めて思います。