旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

456 介護施設での転落死 (毎週土曜日に更新しています。)

2016-02-27 04:37:02 | 高齢者
 川崎の高齢者介護施設で入居者3人が転落死した事件がありました。犯人はそこに勤める職員でした。夜間、入居者80人に3人の職員が世話していたと、過重労働によるストレスが、さも原因のように伝えられました。しかし、このようなシフトはほかの施設でもあると思います。

 深刻な職員不足で、質の低下があります。でも質の問題以前の事だと言う人がいると思います。その通りです。無抵抗な人を次々とビルの上から落として殺すなど当然許されるものではありません。

 職員41人のうち経験が5年未満は32人、3年未満24人と経験の浅い職員が大半で、26年度は退職者21人に対し、採用は18人。職員の定着率の悪さが分かります。
「風呂介助を拒まれた」と介護にストレスを募らせいたそうです。その施設チェーンでは暴力、虐待が後を絶たない。夜の巡回で、「うるせえ」吐く様子も確認されていました。確かに、入居者の繰り返し同じ話に付き合い、時によっては約10分おきに職員を呼びつける等々。職員の忙しさを考えない、これらの言動に耐えなければならないのです。この状況を考えて働いて貰いたいものです。

 介護施設がここ数年に私の近辺だけでかなり増えました。結果、職員の不足による過重労働につながるのも事実であります。自分が何に向いているかと考えず今や介護員を目指して就職活動をしている若い人が多いと思います。職員は若い人が多く、直ぐ辞める定着率の悪さ、それが職員の質の低下につながって行きます。

 この他の施設でも虐待があったそうです。この事件を興した職員のことをよう護するわけでは全く無いですが、慢性的に職員の不足、これは職員数の問題だけでなくその質を兼ね備えた人が少ないと言うことが大きいと思います。
 比較的に新しく急激に伸びた業界、どの施設も新しいです。慢性的な経験者の不足等、色々問題あると思います。勤めて初めて知る業務の厳しさ、適性を考えずに、老齢者を手助ける事を全く考えす、底辺に儲かるから参入する所もあると思います。

今思うと、私も学生時代は、何でもできると自分の持っている能力を余り考えずにいました。当時、まだまだ福祉と言う言葉自体一般化していない時でした。実は、休学理由に福祉を勉強すると北欧を目指しました。デンマークで、老齢者介護施設視察、その後、生後直ぐ、学校に入るまで、学校からの落ちこぼれの子供等、色々な施設で職員の仕事を手伝いました。そこでも、目の回る様な忙しさでありました。知ったのは施設の良い事は当然ですが、職員の質が問題だとその時に思った事を思い出しました。

 
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455 QOD =Quality of Death   (毎週土曜日更改しています)

2016-02-20 04:19:34 | 高齢者
  女優の樹木希林さんが、川の中に横たわって「死ぬときぐらい、好きにさせてよ」の文字。又、同じく女優の岸恵子さんが「これほど寿命が伸びると、きちんと尊厳死を認めるべきだと思うの」長寿をかなえる技術ばかりが注目される中、いかに死ぬかが問題だといったいます。

 余談ばっかりですが、かなり前、樹木希林さんは悠木千帆と言う名前でした。何も売るものがないので、悠木千帆(ゆうき ちほ)という芸名を売ることにしますと宣言し、芸名を競売にかけたのです。その結果、悠木千帆という芸名は2万 2千円で、樹木さんの知人に落札され・・・ その後、樹木希林を名乗るようになったのです。自分の名前を売った人、売れた人は彼女だけだと思います。今なら凄く高く買われたのに、全身病に侵されていると言う話です。

 QODとは、QOL(quality of life)ではなくて、Quality of Death=死の質が人間一様に経験しなくてはならないのが、死と言う現実です。死は誰でも経験し、1度だけしか経験できない貴重なものです。だから、大事にしたいと思います。しかし、私は経験を避けられないものと分かって、考える事も無く今日迄きました。その死ですが、知っている分かっているように、どの人にも平等にあります。幸せに死ねれば良いですが、10人10色でいろんな死に方があります。

ただ、面白いのは「死生観がありません」と書かれた「103才ので分かったこと」篠田桃紅さんの本も、樹木希林さんの宣伝も同じ出版社、 幻冬舎です。想像ですが、老齢者が多くなりそこにターゲットを持っていったのは流石だと思います。
 
 103歳になった篠田桃紅さんは、「どうしたら死は怖くなくなりますか」それに対して「考える事をやめれば、怖くない」「ただ、無になる」。そして、こうも書いています、「人生は、なにが一番ほんとうにいい生き方なのか、はっきり言える人はいないと思います。でも最後にいろいろあったけれども、やっぱり私はこうでよかったと思える人生が一番いいだろうとおもいます。死を考える事を止めると言う事は今の私には無理ですが、見習い、納得する所が、多いです。又、この様に人生を思えれば最高です。

 明日の世の中も分からない私ですが、100年も前にアインシュタインは宇宙と言うものを分かっていたのは流石です。やっぱり考えもしない想定を超えると事を言い当てることは、一般人にはできないし、私には想像つかないです。

明日の事さえ分からない、でも日々健康にと願っている今日この頃です。
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454 私には死生観がありません (毎週土曜日 更改しています)

2016-02-13 05:01:59 | 高齢者
 死生観が無い、私が言うはずありません「103歳になってわかったこと」篠田桃紅著//で書いていたのでした。面白いというか考えさせられる本です。2度読みました。多分読んでいない人が殆どだと思いますが、読みやすく興味深く面白い本ですので是非読んで下さい。まず初めのページを紹介します。

 〘これまで私は、長寿を願ったことはありませんでした。死を意識して生きたこともありませんでした。淡々と、生きてきました。
 今でも、死ぬ時はこうしよう、死ぬまでにこういうことはしておきたい、などなに一つ考えていません。いつ死んでもいい、そう思ったこともありません。なにも一切、思っていません。
 先日、死生観は歳とともにかわるのかと、若い友人に尋ねられるました。
 私には死生観がないと答えました。
 彼女はたいへんびっくりしていました。
 考えたところでしょうがないし、どうにもならない。どうにかなるものについては、私も考えますが、人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではありません。現に、私になにか考えがあって生まれたわけではありませんし、私の好みでこの世にでてきたわけでもありません。自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。
 さすがに病気にならないようにしようということぐらいは考えます。しかし、死なないようにしようと思っても、死ぬと決まっています。死んだ後の魂についても、さまざまな議論がありますが、生きているうちは、確かなことはわかりません。

 人の領域ではないことに、思いをめぐらせとも真理に近づくことはできません。それなら私は一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。〗

 1世紀以上、生きている人は何かが違うと思います。驚くのは、終戦後暫くしかたっていないのにアメリカに行った事です。この期に、女一人海外に出る人がいたとは驚きです。そして、この人の交友関係が又、凄いとしか言いようがありません。

 私は死んだ後に何も残せないと思っています。8畳ほどの部屋に身の回り品と着替えだけ持ってくる人達をほぼ毎日のように見ていて、最後に自分の必要なものは数枚の着るものだけだと思って毎日整理しています。でも片付かないかないから、人に迷惑掛から無い程度の思い出位持って行きたいと思っています。

 103歳まで到底無理ですが、健康に気をつけながら精一杯生きて行きていきます。「目標は ギネス長寿 世界一」、でも空気を吸って生きているだけでは仕方ないし、何にでも好奇心を持って人生を楽しく送りたいです。
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453 はやり (毎週土曜に更改しています)

2016-02-06 06:05:56 | 目標
  恵方巻は私が25歳を超えるまで知らなかったです。この様に流行が定着したものも多くあります。代表的なものとしてはカラオケがあります。できた当初ニュ‐スであったのですが、こんなにも広がるとは思ってもいなかったです。作った本人も世界用語になるとは思って無かったはすです
 覚えている一番古い流行はダッコちゃんです。その当時は、みんなが持っているから自分も欲しいと思ったのだと思います。黒人の女の子が両手で腕や何処でもぶら下がってるのがヒットしました。母が京都の四条迄行って買い求めてくれました。フラフープも流行りましたが、パイプを繋いだだけのものも出て、かなり重いものでした。

 この年になれば誰でも様々な流行を経験しています。それにつられて偽物も同じ様に出ていました。現在の中国の有様でしたが、その後、商品登録がうるさくなりました。

 マンボズボンが、そしてラッパズボンが出て、ビートルズ、そしてロングヘァーが流行りました。「ビートルズがやって来た」以来、不良になると学校で思われていました。最初は非難されましたが、中学生の時、凄く熱狂的なファンがいました。今どうしているか会いたいです。音楽の先生もビートルズに否定的な人でした。今から思えばビートルズの最初の頃は雨上がり決死隊の蛍原徹より髪が短かったでした。時代を感じます。

 それぞれの時代を生きて来た自分ですが、流行りとは、おかしなもので、その時代は凄くかっこ良く憧れて、真似をしたりしていました。それが時と共に変わります。他の国は知れませんが、流行とは企業が興すものが多くなったと思います。日本人は何でもみんな一緒という雰囲気を企業が上手く利用したとも言えます。我も我もと、その昔はもっとあったのです。

 しかし、私の様にテレビを見ない人間が増えたのか、多種多様な好みが出て、その影響は少なくなっています。車の流行はもっとわかり易いです。その昔を知るのに分かりやすいです。今まで乗っていたらクラッシックカーと呼ばれたのに、販売会社に乗せられて毎回、車が3年経つと買い替えていました。今は退職してから現在に至ってますが、車は変えずに乗って6年目。現在は壊れるまで乗れれば良いと思います。
 
 常に車を売る必要が会社には必須条件ですが、人口はそんなに多くなっていかない。全ての事にいえますが、島国日本は海外に販路を広げなければ生きていけない状況です。国内での販売をおろそかにしている訳で無いですが、趣味が雑多になり、若者の車離れが著しいでようです。
 
 私の場合は遅すぎますが、今までの私の人生を経験して、皆さんも流行に流されず人生を送って下さい。

 
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