今年もやっとこさで新年を迎えられました。古来の和時計には12刻を表す短針1本ばかりであったという事です。今やスポーツ界では0.01秒単位ですから、当時は時間がとてもいい加減とも言えます。その時計も限られた人と所で持っていたとしかなかったと推測されます。
その結果、凄く時間が大雑把で大体、日が登り、日が沈むを基準にしていたと考えられます。そう考えると、冬は働く時間が少なくなってきます。まあ、殆どが農民と考えると農閑期ですから、それも分からない事はないですが、どう時間を計ってきたのか疑問となります。
どの時代の話でも時刻が、どうして時間を得たか書いていません。全てだいたいで、武蔵と小次郎、武蔵が遅れたことに小次郎苛立って負けたと言われていますが、遅れる事が当たり前だったらオカシイと思うのです。
いつも分からない事があります。実際、この年になって益々分からない事が年だけ増えています。そして増え続けています。済みません、今まで正直、何も知らなかったのです。
良く南米の人は時間にルーズ、反面、南米の人は時間に大らかとも言えますが、日本人は時間に几帳面で時間に厳しいと言われてます。現在の感覚からいえば、その通りと思います。
日本人は昔、推測ですが、人の集まっている村なら、お寺の鐘が時刻を知らせたようです。お寺の無いような所では?ところでお寺もどうやって時間を知ったのでしょう。
しかし世界中の国で日本が一番時間に厳しい国と言えます。電車の時刻は、これ又以前にブログで言いましたが、関西に帰ってから気づいたのですが、環状線の大阪駅で2-3分に来る車輌に毎回、何時何分発と告げるのは驚きです。東京の山手線はそんな事は考えることがなかったです。
時間だけでなく、私は昭和と平成だけで自分の年が分からなくなってしまいます。明治以前の人は多分自分の年を直ぐに言えなかったか、早く死んでしまって、そんなに年の事など言う間も苦労しなくて済んだのかも知れないと思っています。(291話で詳しく...)
学生の頃、欧州に行って‘何年生まれだと’聞かれて、西暦に直すのに時間を取られた事を思い出します。その時、エンペラーエイジを日本では使っていると言った事を思い出します。それ以来、西暦で生まれ年を言う様になりましたが、昭和の年に25を足すと西暦なるのも何時の間にやら平成になり、平成も27年となりました。平成生まれが27歳です、もう驚いていられません。カレンダーにも年号は西暦が一般に言われる様になりました。
大正生まれの最後の人が、90歳を超えるようになり、私の疑問も増えるばかりです。 喪中の為、 年始のご挨拶をご遠慮させてただいてますが、今年も宜しくお願いします。
その結果、凄く時間が大雑把で大体、日が登り、日が沈むを基準にしていたと考えられます。そう考えると、冬は働く時間が少なくなってきます。まあ、殆どが農民と考えると農閑期ですから、それも分からない事はないですが、どう時間を計ってきたのか疑問となります。
どの時代の話でも時刻が、どうして時間を得たか書いていません。全てだいたいで、武蔵と小次郎、武蔵が遅れたことに小次郎苛立って負けたと言われていますが、遅れる事が当たり前だったらオカシイと思うのです。
いつも分からない事があります。実際、この年になって益々分からない事が年だけ増えています。そして増え続けています。済みません、今まで正直、何も知らなかったのです。
良く南米の人は時間にルーズ、反面、南米の人は時間に大らかとも言えますが、日本人は時間に几帳面で時間に厳しいと言われてます。現在の感覚からいえば、その通りと思います。
日本人は昔、推測ですが、人の集まっている村なら、お寺の鐘が時刻を知らせたようです。お寺の無いような所では?ところでお寺もどうやって時間を知ったのでしょう。
しかし世界中の国で日本が一番時間に厳しい国と言えます。電車の時刻は、これ又以前にブログで言いましたが、関西に帰ってから気づいたのですが、環状線の大阪駅で2-3分に来る車輌に毎回、何時何分発と告げるのは驚きです。東京の山手線はそんな事は考えることがなかったです。
時間だけでなく、私は昭和と平成だけで自分の年が分からなくなってしまいます。明治以前の人は多分自分の年を直ぐに言えなかったか、早く死んでしまって、そんなに年の事など言う間も苦労しなくて済んだのかも知れないと思っています。(291話で詳しく...)
学生の頃、欧州に行って‘何年生まれだと’聞かれて、西暦に直すのに時間を取られた事を思い出します。その時、エンペラーエイジを日本では使っていると言った事を思い出します。それ以来、西暦で生まれ年を言う様になりましたが、昭和の年に25を足すと西暦なるのも何時の間にやら平成になり、平成も27年となりました。平成生まれが27歳です、もう驚いていられません。カレンダーにも年号は西暦が一般に言われる様になりました。
大正生まれの最後の人が、90歳を超えるようになり、私の疑問も増えるばかりです。 喪中の為、 年始のご挨拶をご遠慮させてただいてますが、今年も宜しくお願いします。