旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

468 様々な人 (毎週土曜日に更改しています)

2016-05-21 04:50:37 | 高齢者
 「80歳で若々しい感性の人間もいれば、その半分の年で人生を捨てている奴もいる、どんなに若くたって素晴らしい人間もいるし、年ばっかり重ねてずる賢いだけってやつもいる。日本人は、どうしてこう年齢とか、銘柄にこだわるかね」本当にそう思います。

 本の中で池波正太郎は「ああ一日も早く死にたい、死んでしまいたい。などと暇さえあれば口に出す爺様や婆様が道を歩いていて、向うから暴れ馬が飛んできたりすると、お助けえと大声を張り上げ逃げたりする。人間だからである。」老人介護の現状を知って、尚更その考え方をもっともだと思う様になりました。

 少し違いますが、不思議な縁で、その方の家族を知っているので親しくなりました。脱臼で何度か救急車で運ばれて、その痛さに、いつ死んでもいいと言ってました。
 ある日、食事を「いつ死んでもいいと自分で死ぬと言っていたのに完食、オカシイね!」と明るく言っていた事を思い出します。韓流大好きで翻訳無しでビデオを見ている大変大きな腕で血圧を測るのが難く、太って凄く足がむくんでいました。以前大阪に来ている曾孫に会ったことがありますが、2歳でも、その方にそっくり、よく似て大きく愛想抜群の子でした。そのひ孫が東京から次に会うのを楽しみに最後と決めていました。そのひ孫と会ってから先日、亡くなりました。合掌

 そうかと思うと、体温が常に37度を超えていましたが、本人には平熱が高い方もおられるから心配しないようにして下さいと言っていました。それ以外はお婆さんというよりオバサンと言った方が合っているようなおとなしい方でした。「最近足がむくんで来るのです」と相談を受けて、足を動かしていますか等と聞いたりしていました。休みの明けの日、名簿の名前が消してあるので、スタッフに聞くと亡くなったと言うのでした。どう考えても分からない程、簡単に亡くなられました。合掌

 部屋にいるとコケて危ないから、食堂で皆が見やすい所にいる方がいます。車椅子でスタッフを見つけては、いつも車椅子から常に立ち上がって「あのーもしもし」とか、「先生、先生」声を掛けてくるのです。先日、私の名札を覚えて、私を向かずに他のスタッフに何度も声掛けていました。ある日、アルバイトをやりたいから雑誌を見せて欲しいと要望されました。本人の持っていた週刊新潮を渡しました。私もバイトですと言っても分からない困った方です。

 認知症の人、こんな方にならないようにどうすれば良いのでしょうか?自分はそうはならないと言えますが、今の所、考えが及びつかないです。
 




 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

465 あれから3年 Ⅱ 「難しいが信念」 (毎週土曜日に更改しています)

2016-04-30 04:21:12 | 高齢者
 私の経験してきた事、楽しい話や愉快な事をこの場で紹介しょうと思っています。しかし環境がそうはさせない様です。103歳以上生きるのは無理かも知れないです。

 高齢者ホームから、救急車で病院へ運ばれる方が多くあります。帰って来られるとほっとして良かったと思いますが、そのまま戻らない方も多くあります。 

 丁度一年前、この欄で言いましたが、何時も朝ベットの上で足を上げて運動しておられる方がいました。一番にお通じはありましたかと聞くと、楽しそうに、ちょこっと、ホンの少し出たと言うのが日課になっているお婆さんです。私の顔を見て、朝を知るといっていました。
大きな大きな分厚い本「聖徳太子」持てるかなと言うのを読んでおられました。私と会う短い時間に聖徳太子について語る元気な人でした。その方が、肺炎を興して救急車で運ばれました。その数日前、棺桶に入った人達がみんな笑っている面白い夢を見たと言っていました。こんな事もあるんですね、多くの人と同じように帰って来られませんでした。

 最近に亡くなった高校の先生のセピア色の昭和42年、当時35才当時の新聞の切り抜きが出てきました。高校野球の公式記録担当者としてやられていた当時の記事でした。「人」の欄で、「むずかしいが「信念」」と真剣な目つきで白球を追いスコアブックに鉛筆を走らせる。と紹介されていました。

 忘れていましたが、実は先生の前に公式記録員でした。西京極の一日の試合を京都新聞に報告するのです。その時の間違いを訂正したと言われていました。何も知らないのは怖さ知らず、あんなボール取れて当然、即、スコアボードに自分が取れるはずが無いのにエラーにしていましたが、ヒットにすればバッター、守り人にも共に良かったと悔いています。まあピッチャーがエラーの方が、いいから良しとしましょう。

 実兄、年はズ~と若い真央ちゃん大好き仕事の先輩、高校の先生と立て続けに3年の間に亡くしました。それ以外にも親しくした人、高齢者ホームでも度重なる死、バイト先のマンションでも何人も亡くなっています。その中には、手弁当で応援しようと思っていた、まだ若い市会議員の方、最近こんなにも多くの方の死と関わっています。

 考えると先生は病院でなく、自宅で亡くなったのです。その場合に警察が入りあれこれ残った人に質問されて大変だったと思います。孤独死、かっこいいと言いましたが、決して自宅で死ぬとは考えないで下さい。まあ、死ぬ時は考えなくても死ぬものです。

 やっぱり、余り考えない方が良さそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

456 介護施設での転落死 (毎週土曜日に更新しています。)

2016-02-27 04:37:02 | 高齢者
 川崎の高齢者介護施設で入居者3人が転落死した事件がありました。犯人はそこに勤める職員でした。夜間、入居者80人に3人の職員が世話していたと、過重労働によるストレスが、さも原因のように伝えられました。しかし、このようなシフトはほかの施設でもあると思います。

 深刻な職員不足で、質の低下があります。でも質の問題以前の事だと言う人がいると思います。その通りです。無抵抗な人を次々とビルの上から落として殺すなど当然許されるものではありません。

 職員41人のうち経験が5年未満は32人、3年未満24人と経験の浅い職員が大半で、26年度は退職者21人に対し、採用は18人。職員の定着率の悪さが分かります。
「風呂介助を拒まれた」と介護にストレスを募らせいたそうです。その施設チェーンでは暴力、虐待が後を絶たない。夜の巡回で、「うるせえ」吐く様子も確認されていました。確かに、入居者の繰り返し同じ話に付き合い、時によっては約10分おきに職員を呼びつける等々。職員の忙しさを考えない、これらの言動に耐えなければならないのです。この状況を考えて働いて貰いたいものです。

 介護施設がここ数年に私の近辺だけでかなり増えました。結果、職員の不足による過重労働につながるのも事実であります。自分が何に向いているかと考えず今や介護員を目指して就職活動をしている若い人が多いと思います。職員は若い人が多く、直ぐ辞める定着率の悪さ、それが職員の質の低下につながって行きます。

 この他の施設でも虐待があったそうです。この事件を興した職員のことをよう護するわけでは全く無いですが、慢性的に職員の不足、これは職員数の問題だけでなくその質を兼ね備えた人が少ないと言うことが大きいと思います。
 比較的に新しく急激に伸びた業界、どの施設も新しいです。慢性的な経験者の不足等、色々問題あると思います。勤めて初めて知る業務の厳しさ、適性を考えずに、老齢者を手助ける事を全く考えす、底辺に儲かるから参入する所もあると思います。

今思うと、私も学生時代は、何でもできると自分の持っている能力を余り考えずにいました。当時、まだまだ福祉と言う言葉自体一般化していない時でした。実は、休学理由に福祉を勉強すると北欧を目指しました。デンマークで、老齢者介護施設視察、その後、生後直ぐ、学校に入るまで、学校からの落ちこぼれの子供等、色々な施設で職員の仕事を手伝いました。そこでも、目の回る様な忙しさでありました。知ったのは施設の良い事は当然ですが、職員の質が問題だとその時に思った事を思い出しました。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

455 QOD =Quality of Death   (毎週土曜日更改しています)

2016-02-20 04:19:34 | 高齢者
  女優の樹木希林さんが、川の中に横たわって「死ぬときぐらい、好きにさせてよ」の文字。又、同じく女優の岸恵子さんが「これほど寿命が伸びると、きちんと尊厳死を認めるべきだと思うの」長寿をかなえる技術ばかりが注目される中、いかに死ぬかが問題だといったいます。

 余談ばっかりですが、かなり前、樹木希林さんは悠木千帆と言う名前でした。何も売るものがないので、悠木千帆(ゆうき ちほ)という芸名を売ることにしますと宣言し、芸名を競売にかけたのです。その結果、悠木千帆という芸名は2万 2千円で、樹木さんの知人に落札され・・・ その後、樹木希林を名乗るようになったのです。自分の名前を売った人、売れた人は彼女だけだと思います。今なら凄く高く買われたのに、全身病に侵されていると言う話です。

 QODとは、QOL(quality of life)ではなくて、Quality of Death=死の質が人間一様に経験しなくてはならないのが、死と言う現実です。死は誰でも経験し、1度だけしか経験できない貴重なものです。だから、大事にしたいと思います。しかし、私は経験を避けられないものと分かって、考える事も無く今日迄きました。その死ですが、知っている分かっているように、どの人にも平等にあります。幸せに死ねれば良いですが、10人10色でいろんな死に方があります。

ただ、面白いのは「死生観がありません」と書かれた「103才ので分かったこと」篠田桃紅さんの本も、樹木希林さんの宣伝も同じ出版社、 幻冬舎です。想像ですが、老齢者が多くなりそこにターゲットを持っていったのは流石だと思います。
 
 103歳になった篠田桃紅さんは、「どうしたら死は怖くなくなりますか」それに対して「考える事をやめれば、怖くない」「ただ、無になる」。そして、こうも書いています、「人生は、なにが一番ほんとうにいい生き方なのか、はっきり言える人はいないと思います。でも最後にいろいろあったけれども、やっぱり私はこうでよかったと思える人生が一番いいだろうとおもいます。死を考える事を止めると言う事は今の私には無理ですが、見習い、納得する所が、多いです。又、この様に人生を思えれば最高です。

 明日の世の中も分からない私ですが、100年も前にアインシュタインは宇宙と言うものを分かっていたのは流石です。やっぱり考えもしない想定を超えると事を言い当てることは、一般人にはできないし、私には想像つかないです。

明日の事さえ分からない、でも日々健康にと願っている今日この頃です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

454 私には死生観がありません (毎週土曜日 更改しています)

2016-02-13 05:01:59 | 高齢者
 死生観が無い、私が言うはずありません「103歳になってわかったこと」篠田桃紅著//で書いていたのでした。面白いというか考えさせられる本です。2度読みました。多分読んでいない人が殆どだと思いますが、読みやすく興味深く面白い本ですので是非読んで下さい。まず初めのページを紹介します。

 〘これまで私は、長寿を願ったことはありませんでした。死を意識して生きたこともありませんでした。淡々と、生きてきました。
 今でも、死ぬ時はこうしよう、死ぬまでにこういうことはしておきたい、などなに一つ考えていません。いつ死んでもいい、そう思ったこともありません。なにも一切、思っていません。
 先日、死生観は歳とともにかわるのかと、若い友人に尋ねられるました。
 私には死生観がないと答えました。
 彼女はたいへんびっくりしていました。
 考えたところでしょうがないし、どうにもならない。どうにかなるものについては、私も考えますが、人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではありません。現に、私になにか考えがあって生まれたわけではありませんし、私の好みでこの世にでてきたわけでもありません。自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。
 さすがに病気にならないようにしようということぐらいは考えます。しかし、死なないようにしようと思っても、死ぬと決まっています。死んだ後の魂についても、さまざまな議論がありますが、生きているうちは、確かなことはわかりません。

 人の領域ではないことに、思いをめぐらせとも真理に近づくことはできません。それなら私は一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。〗

 1世紀以上、生きている人は何かが違うと思います。驚くのは、終戦後暫くしかたっていないのにアメリカに行った事です。この期に、女一人海外に出る人がいたとは驚きです。そして、この人の交友関係が又、凄いとしか言いようがありません。

 私は死んだ後に何も残せないと思っています。8畳ほどの部屋に身の回り品と着替えだけ持ってくる人達をほぼ毎日のように見ていて、最後に自分の必要なものは数枚の着るものだけだと思って毎日整理しています。でも片付かないかないから、人に迷惑掛から無い程度の思い出位持って行きたいと思っています。

 103歳まで到底無理ですが、健康に気をつけながら精一杯生きて行きていきます。「目標は ギネス長寿 世界一」、でも空気を吸って生きているだけでは仕方ないし、何にでも好奇心を持って人生を楽しく送りたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

452 日本 VS  (毎土曜日 更新)

2016-01-30 04:38:50 | 高齢者
 頑張れ日本、そうです島国日本は他の東洋の国より今の所、一歩進んでいます(と思います)。同じ様な島国の台湾、フィリピン、インドネシア等と、どこがどう違うんでしょうか?

 長い鎖国をしていたから、ユニークな発想ができた。しかし、それ以前、国の成り立ちを見て、そもそも大昔から違っていたのかも知れません。そうに違いないです。

 他の地域と一番違うのは、気候だと思います。夏の暑さをしのぎ、冬の寒さを迎える前、台風があり、秋、そして春の良い季節がやってきます。それが感情、情緒、生き方を作り出したのではと思っています。
素晴らしい桜が咲くのは、確か、台湾でも珍しいと言っていたと思います。(今や、品種改良が進んで、ビルマ=ミヤンマー、アフリカ等、桜が植えられています。)ロンドンで見た綺麗な桜は、一番印象に残ってます。
 デンマークで冬の外ではオーバーを家の中ではTシャツ1枚に驚いた事がありましたが、日本では多くの地域では極端には寒くないから、冬でもおろそかになっています。

 今では日本の家屋は、我が家でも入ると真冬でもデンマークと同じ様になりましたが、70年代では、まして戦前戦後、それ以前、ガラスが無く風が吹き込む隙間だらけの所に住んでいたと思われます。今でものその状況の人がいたら、お察しします(成田時代がそうでした(笑))。
 ただ、せんべい布団、それさえも無い水飲み百姓と言われた人達は冬にはどうやっていたのか想像もできません。

 暖かな国では、食べ物が豊富にあり、着る服も何も苦労もしないと想像できます。一方日本では想像以上に冬が厳しかった思います。書物の伝えるのは知識階級のもだけ、残された家具、民芸品から推測するより仕方が無く、昔がどのような厳しさか想像すらできないです。江戸時代でも、手火鉢だけが暖房であったに違い無いです。昔、京都の我が家は掘りごたつと火鉢がありましたが、暫くして石油ストーブがその横であったのを覚えています。
 そして、教育水準が高かった事もあると思います。漢字が日本に伝わって、その漢字だけでは日本語を表すのに大変と平仮名と片仮名を作った様に、フレキシブルな日本人、それを又、使うと言う所に何か日本人のたくましさがあるのでは無いかとおもいます。

 近代化は、温暖化は止めようも無くなってきました。数々の災害はそのせいである事が多いです。今や地球が変になり始めています。日本だけで無く、これからの事をモット世界を考える必要があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

450 「かきくけこ」 (毎土曜日 更改しています)

2016-01-16 07:49:03 | 高齢者
 このブログサイトは1年前に書いた事を伝えてくれます。コシノジュンコさんの「かきくけこ」について、か(今あることに)感謝、き、希望(を持って)、く(何事にも)、くよくよしない、け(自分自身の)健康管理、こ(思ったら)行動、の事を書いていました。この精神を忘れずに、お互い頑張って行きましょう。お互い?済みません。ひょっとして、この心得を持つ必要のあるのは、自分だけかも...毎日、同じ言葉を聞かされていて老人を見て、いつも感謝をしなくてはと思っています。

 去年の年賀状に元気が一番と書きました。高齢者施設で働いてみて、それでは駄目だと気づきました。「け」健康一番です、ボケれば本人は分からないからいいですが、元気だけであってもはた迷惑になることが往々にしてあります。毎日、同じ話を聞かされている私ですが、頭も健康でいくように頑張りたいものです。

 もう一つ「かきくけこ」、「か感動」「き緊張感」「くつろぎ」「け決断力」「こ好奇心」、これも机の横に書いて人生の指針にしています。

 「感動」は未だに十分にありますが、ただ何にでもすぐ感動、そして涙が。凄く涙もろくなるのは気をつける必要があると思います。「緊張感」が少し足らない面もあり、「決断力」はありますが、間違っている事が多くあり、「好奇心」は年と共に強くなったみたいです。
 
 「好奇心」、マンションの管理員をしていて、広い庭を掃除して蟻が塵取りに入り、かわいそうだから出しています。でも、間違って蟻を塵取りに入れたままにして捨てに行った場合、帰巣できるのか心配しています。蟻のさすらいとは聞いた事が無いんでどうなるんでしょう。毎度、そのような心配もしています。こんな具合で、まだまだ、色んな事に好奇心はあります。

 年取って来て、人の言葉を前よりも良く聞くようになったのです。その反面、いかに自分の意見を通すために人の意見を聞いていなっかたと思います。遅いですが、今から人の話す事を良く聞いて行かなくては、将来、うるさい老人と思われるだけになります。そんな心配はいらないと思いますが、皆さんは若い内から、その事を。大事にすると良いと思います。

 不思議なもので、今までそんなに気にしていなかったことが、気になります。そして自分自身の耐用年数が幾ら残っているか、分からない所に人生の面白さがあるとも思います。

 ついこの間、戦前まで人間50年でしたのに、戦後70年も過ぎると、健康一番100歳越えを目指しても不思議でありません。実際、何万と100歳越えの方がおられます。頑張ろう...

 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

449 介護ビジネス (毎週土曜日 更改)

2016-01-09 04:35:19 | 高齢者
 近年介護ホームの増え方は、職員がそれに追い付かない程、非常に程に多くなっていると思われます。これからベビーブームの世代がそれ相当の年になりて益々盛況になって行き、今やその前兆、自分が感心を持って見るのか、街はご老人ばかりが目立つようになりました。

 お手伝いしている施設も、できて2年を経過しただけですが、新しい同じ様な施設がドンドンできて、その反面介護ヘルパーの人材と人数は限られているのが現状です。

 今回も沢山のスタッフが辞めて行きました。資格がない簡単な仕事なら辞めても直ぐ補充も比較的に可能と思いますが、資格を持った人が何人か一緒に辞められるとかなり厳しいと思われます。
 
 責任も重く、夜勤等もあり仕事がハードで給料が安くて(マンションの管理員はモット安い)、辞めて行く人が多いのも分かりますし、それが現実です。私の様に少しだけ仕事をするだけでも大変なのに、辞めた事で緊急かも知れませんが、その為に、一日に16時間も勤務する事態あるようです。

 そして若い職員が何人も入って来ましたが、施設は目白押しで設立されていますから、資格を持っていれば売り手市場かとも思います。しかし、人の移り変わりは激しくて、将来性は疑問とも言え、継続して働くとなるとどうなるか分からないです。入って来るお金は同じですから、長く働いても実質的な給料を上げるのは限度があり厳しいと思います。

 その中で先見性のある人は、これも今の仕事の先行きに不安を抱いたのか、整体師として転職を考えて、今はその勉強をしながら働いています。さらに勉強3年間、良く頑張ると思います。

 余りに事件が多くあり、忘れているかも知れないですが介護ヘルパーの事件がありました。何人もベランダの柵を超えて下に落ちて死にましたが、その施設は全国規模にあります。これも若い人が毎日、痴ほう症等の高齢者に接していると、何をしても分からないと思う人間が出て来るようです。ハタマタ介護に疲れて良からぬ事を考えるのか分かりません。又、入居者の少しのお金をくすめると言う事は信じられないです。

 一週間見ないと顔中痣だらけの人がいました。本人がこけてなったのです。まるでいじめにあったかの様です。

 これも急激に大きくなったマーケットでスタッフ不足が一つの理由であるかもしれないとは言え、国からの補助等、これから一層考えないと今後益々増えていきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

447 時 (毎週土曜日に更新)

2015-12-26 04:28:32 | 高齢者
 過ぎ去った時は 楽しかった事を思い出し、悲しみを和らげてくれると思います。かなり前になりますが、とりあえず日本をでようと考えました。初めはオーストラリアに日本郵船の安い船で取りあえず出ようと計画しました。そうこうする内に、日本郵船が運航を止めましたので計画を初めからやり直さなければならなかったのです。

 その頃一番安いルートの船でソ連(ロシア)のナホトカから欧州へ行きました。そして父が亡くなった時にはデンマークの田舎、フレデンスボーの施設で子供達の世話をしていました。父の死は突然の国際電話で知りました。その時、混乱して何度も電話を切り交換手にたしなめられました。誰も周りに知り合いがいない状況で声を出して泣いた事が忘れられないです。でもその時の悲しみは今思い出です。

 その後、母にコレクトコールで電話をした時に自宅にいなくて、交換士が友人宅迄探して追いかけてつながった事があります。いい時代です。その家にその後、電話料金が請求され笑い話になった事もありました。
 その母もそれから1年後に亡くなりました。父親の死に目にも会えず、母親はハワイから京都に帰って、その夜に、そのまま脳溢血で救急車で、半年毎日看病して亡くなるまで続けましたが、生きていたとしても話ていないかも知れないですが、両親共に海外の話をする事なく亡くなりました。

 半世紀近くも前になった今思うのは、悲しみは年数が和らげてくれると言う事です。人間の記憶と言うものは、人によって違うと思いますが、私の場合、悲しかったことは2の次、楽しい良い思い出のみが残っています。

 会社を退職してからもう早くも嘘のように瞬く間に何年も過ぎ、この頃は一日が終るのは早く感じてきました。私の年になると 10年はアッという間に済んでいくものだと感じます。それどころか、このブログを書く、一週間、一ヵ月が猛烈に早く感じるのはどうなっているのでしょう。時間が過ぎるのが本当に早く感じます。

 時間はみんなに公平に持っているもの過ぎて行くものと分かっていても、時間が早く過ぎる時、なかなか過ぎない時があると感じています。おかしなものですが、仕事が終る迄の1-2分が耐えられない遅さ、バイトで他人の体温、血圧を計る時、時計の秒針だけ見ると、30秒がとても遅く感じています。

 益々年々、早く過ぎる一日を有効に使わなくてはいけないのに、一日一日が何もできない内に過ぎて行くと言う生活です。少し前まではそんなに時間の事を考えずに過ごしていたのに、今まで生きた人生より少なくなった将来、最近は特に時間を大事にしなくてはと思っています。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

444 呼び方で年齢不詳 (毎土曜日に更改)

2015-12-05 05:59:14 | 高齢者
 小さい時の事を考えて、自分の周りにお年寄りがいなかった様に思います。そんなはずは無いと思うのですが、同年輩の人が本に子供の時、同じ様に年寄りは見なかったと小説に書いています。
 ひょっとして昭和30年前後は、お年寄りの人が少なかったのではないかと思います。自分のお婆さんでも、遊びに行ったのは覚えていますが、周りにお年寄り、それどころか他の人がいたとは覚えていません。そのお婆さんにしても、自分の思っている年齢よりもっと若いのではとないかなと思っています。と言う訳で、今考えても、老人を余り思い出す事がありません。

 今の子供は、高齢化社会の現在において、そこら中、周りに年寄りばかりいて大きくなると思います。大体呼び方は、そもそも、幼稚園児にすれば、お姉ちゃんやお兄ちゃんとは、自分より年上の人、小学生、中学生であるに違いないです。そうすると、高校生や大学生も辛うじてそう呼ばれ、それ以上の人は、残念ながら、オバサンやオジサンと呼ばれる年が幅広くても不思議ではありません。お爺さん、お婆さんと呼ばれるのは親がそう呼ばすか、見た目に違いないです。で、私はと言うと、オジサンと呼んでくれると思います。
 
 しかし、私もオジイチャンと呼ばれるのが当然となる年になって来ました。これを言いたくて遠回しになり申し訳無いです。友人で、50才の時に実際におじいちゃんになった人がいますから、これも分かります。しかし、これ程呼び方で自分の年を知らされるとは考えませんでした。

 以前近くに住んでいた若夫婦で、現在でも信じられない話ですが、18歳の時に自宅で子供を産み救急車も呼ばずに、疲れて朝まで寝こんで胎盤をゴミと一緒に捨てた人がいます。私など真似が出来ません。

 その人の子が、親と同じ様に子供を産んだとしたら、恐ろしく早く36才でお婆さんとなるではありませんか。呼び方とは、年を表しているようで分からないものです。

 考えてみたら、小説で良く江戸時代に14、5才で嫁に行ったとか売られたと言う話か出てきます。その年でしたら中学生の子、昔でしたら嫁入りに行って不思議では無いと思います。でも、何時も思うのが、本当なのか数え年なら異常に若いので驚きます。
 今のように栄養状態が良くない時に、殆どの娘が胸の膨らみなど、見受けられないのは当然だと思います。
 人生50年、世の中がそうしないと若くして死んでしまう社会でしたのでしょう。昔、その栄養状態から言っても、その年で子を持つのは現在の私としては驚異の事です。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

443 老人漂流 老後破産 (毎土曜日に更改)

2015-11-28 05:19:54 | 高齢者
 安倍さんは景気の良い話ばかりしています。戦前を連想させられる、1億活性。一億全部が同じ様に活性化されるなら問題は無いです。しかし、同じできないなら、地球全体総活性と言えば良いのに。そのような無理な目標を立てず、1年後、3年後そして10年後にはどうすると借金だらけの現状を考えるべきだと思います。気が小さい私は、自分の懐も大変心配なのに国の借金が増えるのには我慢ができないです。

 住基ナンバーは忘れている人も多いと思います。その導入に400億円かけて、10年経った現在その普及率は何と5%とは責任者出てこいと言いたいです。そして受付終わると言いますが、幾ら掛かり、何のメリットがあったか、どうもハッキリしないです。誰も責任を取らないのが日本政府、日本流と言えます。

 今回ほど、気を重くした題材はないです。今週も葬式の費用が払えないから、遺体をそのまま、義母と死のうと放火、親が死んで、長年庭に埋め年金をだまし取っていた人が何人も検挙されています。この記事を読まなかったら、何と親不孝な子供達と思っていました。

 北海道で一人暮らしの母親を介護の為に、長男が離職して生活が困窮し親子ともに変わり果てた姿で発見。 かと思えば、60歳の夫婦と30代の息子と思われる男性が餓死しているのが発見。親子3人で餓死して共倒れ。現在社会において餓死とは...。

 親の年金しか頼れる収入がなく、親の死を隠すケースが後を絶たなくなってきています。生活保護家庭がどんどん増えて、その反対に年金が下がるという反比例の状態で抜け道が無くなって行きます。結果は問わないのが日本流なのか、総理が何年か前に言った、三本の矢の一回目はどうなったのかハッキリさせるべきです。

 親と同居の35-44歳の未婚者は、2012年の段階で305万人、同世代に占める割合は何と16.1%と激増していると警告しています。テレビで37歳の失業中の息子、36歳の独身の娘と同居する夫婦4人家族が登場。益々暗くなりますが、子供を連れて家に戻って来た場合は3世代共倒れとなってしまいます。
 
 老後破産に陥った場合、一家離散しか方法がないといいます。それを避けるには、父親は高齢者施設に移って生活保護を受け、息子は就労支援を受けながら自立の道を探すと言う事になった方が安くあがるという時代になって来ました。これらが全てが税金で行なわれています。

 年金に頼れない為、年金を払わない、払う給料を貰っていない。年金貰っても生活苦しい私、何か明るい話題を選びたいのですが、済みません、つい愚痴になりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

440 オートマ(毎土/曜日 更新)

2015-11-07 06:14:43 | 高齢者
 現在社会は確かに便利になり益々便利になり続けています。昭和の人間には夢の世界にいます。しかし、世の中ボケ老人も増え続けています。

 何処にいても携帯、スマホ電話できる。番号を覚える必要がなくなり、それが果たして良くなったのか疑問です。自分の電話番号もアヤフヤです。
 生まれた時から全自動炊飯器、全自動洗濯機など便利なものがあります。 恥ずかしながら掃除機なるものを見たのが敦賀に行った小学生の頃でした。多分京都の近所では無かったかも知れないです。その時はそんなもので掃除が出来るかと思っていました。
 全自動炊飯器全なるものは無かったです。ただ自動炊飯器なるものができたと思います。確かではありませんが、ガス炊飯器の蓋の所に、保温の為の工夫をしていましたが、暫く経つと嫌な臭いがした事を思い出します。それでも当時は、最新でした。

 それまで、我が家ではワラを筒状になったコモを保温用に使っていました。これでご飯が冷えると、適当に水分が残り柔らかい冷やご飯ができます。今の人は、アツご飯に茶漬けをするのが普通になっていますが、この冷やご飯で食べる美味しいお茶漬けをもう一度食べたいです。冷やご飯にお餅、海苔、醤油そこにお茶を掛けた茶漬け、食べたくなってきます。

 トイレに入ると、勝手に電気が点き、便器の蓋があき、便座に腰掛けて、立つと水が流れる。今や、尻を拭くところまで行っています。そして、便座に座ってする事はズボンを下げ上げするだけです。考える必要がありません。

 人間、便利を追及して何処まで行くのでしょう。小学校の頃、喜劇役者が、朝起きると、歯を磨く迄全て機械がやって人を笑わせていましたが、今はそれ以上になっています。痴ほう症の人を見ているとそこまでしなくてもと、その進歩に最近介護ヘルプをして疑問を抱くようになって来ました。

 車も全自動、ハンドルから手を離しても大丈夫、私の頭では未来の社会は想像すらできないです。ハイブリッド車が、音もしなくなって(耳が遠いので"(-""-)")、将来いずれはガソリン車がなくなると思います。多くが、子供の頃の漫画の世界より進んでいます。

 2015年、今いる自分も想像も出来なかったし、しなかったです。余りに自動で人の手を煩わせず何でもできるようになれば、確実にボケの人が増えるのです。

 しかし、寝間着を取り体温を計ろうとして、皮を一緒に引っ張っていることに気づきました。皮が布となった、その人は骨と皮になっているのでした。こんな人が、以外にボケていないのです。分らない事が多すぎます。

  

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

439 下流老人(毎土曜日 更新)

2015-10-31 05:36:37 | 高齢者
 週刊誌に、働かない失業息子、出戻り、行き遅れ娘と同居すると「老後破産」と警告していました。墓に納骨しないで「置き去り」に、神社、寺院の境内、駐車場、電車内などに遺骨を放置して警察に落とし物として処理される件数が増加傾向にあると言うのです。火葬するだけマシと言えますが、酷い世の中になって来ました。

 置き去りで今思い出したことで、話は変わります。その昔に大阪の地下鉄御堂筋線で千里中央行きの途中、新大阪駅で降りて新幹線迄人を見送った大先輩がいます。
 その方が電車の棚に、確か土産のウィスキーの瓶か何かを忘れて新幹線に人を見送って、又電車に乗って帰ろうとして棚を見ると自分の忘れたお土産があったと言うのです。その電車は5駅行って千里中央で折り返しの電車で、嘘の様な話ですが、偶々偶然にも無事に戻りました。ただ自分のモノとを引き取るのに大声で「私が忘れたものです」と宣言して引き取ったと言う事でした。世の中にはついているこのような人がいるのです。
 話がソレついでに、この方が30年程前にロンドンに住んでいた時に厄介になりました。私も久々のロンドンでしたが、コヴェントガーデンに車で連れて行ってもらった時、車の中にカメラを置いて出ようとして危ないからと座席の下に隠してくれました。

 バイトしているマンションで、車の窓ガラスを割られるという被害にあった処で、その話を思い出しました。防犯を見ると真夜中にマスク姿の若い2人が懐中電灯で車を物色する様子が映っていて、30年も遅れて日本も英国並みになったかと思いました。日本でも車を離れる時は、高価でなくても座席に物を置かないで方が良さそうです。

 突然に話は戻り、最も安価な永代供養で3万円から5万円、実はそれすら払う余裕がないという人が増えていると言う事です。その為、遺骨を自宅に保管している人が、首都圏だけで100万柱あるそうです。

 「下流老人」の定義は、「経済的困窮」「社会的孤立」その両方が要因の「遺骨遺棄」、それが増加しているのです。火葬場で遺骨の受け取り拒否はできないのでしょうか、核家族化や生活の都市化で人間関係が希薄になり、人の死に接することが少なくなりました。「
 その反面、親が死んでも、その遺体と何十年と暮らし親の年金を生活費にあてているというのです。このような生活困窮者、下流老人を何とかして少なくしたいものです。私も下流老人なるまでもう直ぐです。

 死ねば墓に埋めるのでなく、京都の昔の面影も無い、綺麗に美しくなった堀川(賀茂川と言わない所が庶民的)に粉々にして捨てて貰えれば幸いと思っています。
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

438 珍しくない「100歳で元気一杯」 (毎土曜日 更新)

2015-10-24 04:37:19 | 高齢者
 100歳を過ぎて、元気一杯の人が沢山います。墨を用いた抽象画が世界的に高く評価されている、現役の美術家である篠田桃江さん。家庭を持たず、団体に属さず、自らに由(よ)って生きる「自由」の精神を人生の軸として、そして「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)が45万部のベストセラーになっている事を知りました。
 直ぐに豊中図書館で探したところ、図書館のコンピューターで検索しても篠田さんの本が出て来ないので係員に聞きました。何と待ち数が100を超えていて、多すぎてコンピューターから外していたと知りビックリしました。因みに箕面図書館でも53番目でした。
 
それでも本屋さんでは買わないセコイ私です。本屋、出版社の多くが潰れるはずです。その時は思いませんでしたが、待ち番号103と数字が本の題名と同じで記念すべき数字だったのです。なんの記念か分かりませんが、何にでも数字を気にします。その割に宝くじは当たりません。

 同じく103歳の、このブログで再々紹介した聖路加国際病院名誉医院長の「日野原重明」さん。新幹線への何十段の階段を使い、エスカレーターに乗った人と競争をして、自然に1段跳びになって、追い越すと快哉を叫びたくなると100才を過ぎて言っています。講演の予定は5年先まで決まっていると言う人で、まさに鉄人です。

 100歳丁度のジャーナリストむのたけじ氏は「良く食べて、良く寝るだけ」、食事の時は、味がしないから入れ歯を外すようになって、その分よく噛むようになったと言っています。仰向けに寝て拍手ならぬ「拍足」を、両足を30回打ちつけるのを2,3セット行なうと言っています。

 少子高齢化の社会に入って行く最中、これらの方から比べたら、まだまだ若い「世界マスターズ陸上競技選手権」8月4日ー男子棒高跳びで、2メートル25を跳んで、銅メダルを獲得した河内市の堀野正さん80歳がいます。何と80歳が若い、100歳になるまでにマダマダという事です。

 パラリンピックの様に、オリンピックと同じ時に開催すれば、もう少し注目をされると思います。やっぱり世界から1ヶ所に集まるので体が心配なのでしょうか、ハタマタ費用に問題があるのかも知れないです。日本は世界に誇るハイスピードの高齢者化社会、マスターズオリンピックであれば、メダルラッシュも夢ではないかも知れません。

 100才元気でいるだけでなく、これらの人はみな姿勢が良くて見なわなくてはいけないと思います。背筋真っすぐな、老紳士を今後の目標します。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

436 またまた高齢者ーAED (毎週土曜日 更新)

2015-10-10 04:19:08 | 高齢者
 テレビの音がうるさいと怒鳴り合ってた二人、これからが大変と思っていた人達がいました。それが、あれだけ怒ったのに次の日は仲良くソファーで語り合っている人達を見ました。物忘れとは悪いことばかりでは無いと先日知らされました。人生も忘れる事が、このように沢山あるのだとも思いました。

 大変難しいのが、何処までこの様な人達の世話をするかと言う事です。女性が座るとすれば、当然椅子を引き座るまで面倒を見るのですが、高齢者によっては自分でやった方が自分の為になると気づきました。多少の不親切が、その方に取って良い方向に向かうと気が回る様になりました。しかし、その見極めも難しいです。目の前の人が車椅子を必死で回していたら、堪らず押してしまいます。

 AEDの使い方の講習会がありましたが、その時に人工呼吸の仕方まで習う事になりました。今までは、息をしていない人を見たら助けを呼ぶだけで良かったのですが、救助が来るまでにすることが増えました。バイトでもそこまでやると言う事は、ただ単に仕事が増えただけで無く、その方の生死を決める役目を任されたと言う事です。一生懸命に講習を聞き、積極的に人形に体重を掛けて汗しながら押しました。
 それ以来、居住者に中に、もしもと思い、急に人工呼吸が必要と思われる方が数名おられるから、ひやひやしながら部屋に入ると言う有様でした。しかし、10日もすれば慣れ。以前通りになりました。このブログを書いていて、これではいけないと心を引き締めています。

 朝昼晩と同じ事を言い、返事が気に入らないと怒鳴ると云う人の隣に座っていて返事をしている91歳の優しいお婆さんがいます。その方は、戦中、北朝鮮に住んでいた方ですが、その逸話を聞こうと思いました。よっぽど辛い事があったのか、それ以上は口を閉ざされました。別の階に、同じく男性で北朝鮮に住んでいたという男性と会いますかと聞き、その男性に話を持って行った所、ケンモホロロに断られました。

 先日、違う階の92歳のお婆さんとの話の中で終戦直前に、家財道具をみんな売って家族で東京での戦禍を避けて北朝鮮に移り住んでいたと聞きました。朝鮮がそんな風に、戦前の人が思われていたのかと初めて知りました。
 しかし終戦後2年間も現地に抑留されて、北と南の境界線である38度線、川を苦労して歩いて渡って逃げて来たと言う話を聞きました。「どうしてその話を今までしなかったのですか」と聞くと「言う話では無い」と言われました。でも、同じ北朝鮮にいた人に会う事には前向きでした。

 お節介と知りながら、又、2人が会う事をアレンジしなくてはと考えています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする