旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

769 残暑お見舞い申し上げます(次回更新予定日 9月7日 第一土曜日)

2019-08-17 02:52:27 | ブログ
 毎週ブログを更新しまいましたが、一年前から第一、第三土曜日にしました。UPした後も書き直していますから、もっとこうして良かった事も多々あったと思います。やはり1話1話をもっと考えて書きます?
 「今年は異常に暑い!」異常が普通になるのも近い様です。地震、豪雨の後、暑さ、去年の逆回り,今年は後追い台風で夜中2-3時に暴風雨と、まさに災害日本。やっと8月も半ば、夏本番?へとへとです。猛暑日が続き、体が熱いです。暑いと熱い、漢字一語でその感じが分かるのが素晴らしいです。来年は普通に40度以上、猛暑日でなくて殺人予防日とか...来年の心配しても仕方がありません。 
 京都にお墓参りに行こうと思っていました。多分、町中は確実に40度に達するに違いありません。この暑さやっぱり躊躇(こんな難しい漢字変換便利です)して行くのを止めました。偶にゆっくり、8月15日は敗戦記念日で父親の誕生日、亡くなってから、もう直ぐ半世紀に。時が過ぎるのが早いです。
「他人より優れているのはその美貌だけ、だが年をとれば容色は衰えていく、そうなった時、?には何も無いのだ」。?は残念ながら私では無く小説の中の話です。若い人に、私が何歳に見えるか聞いてみると、少なくとも50才代を期待、「若く見えるけど60才、最高70才位」とガッカリ。高齢者ホームに入居している人に私の年を言うと驚いて「ヅート若く見える」。年上の人に若く見られるようですが、実年齢に驚かされる日々です。
 映画「ザ、ファブル」を見て、出ていた佐藤浩市がファンで、亡くなった友人の勝俣さんを思い出しました。浅田真央選手も好きで何時も活躍を心配していた所は私と同じでした。メキシコ育ちで、明るくメキシコ人に似た体格のいい女性で成田空港の搭乗口でいつも丁寧語を話し。大阪の家も直ぐ近くにあり、気楽にお互い話はしていましたが、実は成田新人にとって近寄りがたい存在でした。初めてその本人を本当に知ったのが退職前、色々話をした時でした。私と違い将来の事を考えていた彼女を、もっと気楽に早くに心を開いて話すべきでしたが、遅すぎました。
 又、2回のブレーキ換え、タイヤのチューブ交換とママチャリ修理代に2万円近くを使う自分に、若い頃テニスを、退職した後、毎週卓球で一緒にプレイした亡くなった栗園さんを同じように思い出しました。その彼が、同じように古いママチャリに2万円以上を費やす事に驚いていた自分を思い出しました。二人の頭文字、勝俣さんKaと栗園さんKuの間に私の北のKi、かきくと二人に見守られて長い生きさせて頂きます。お盆に亡くなった方を色々思い出しました。
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768 昭和!良き時代 (次は8月17日 第三土曜日)

2019-08-03 03:14:01 | ブログ
 ノーベル賞作家、川端 康成氏がテレビ「あの人に会いたい」で「私は怠け者なのです。凝り性な面もあります。」同じではありませんか!誰と?岡八郎、東八郎、七郎さんは有名人では思いつきませんが高齢者施設に、野口五郎、伊東四朗、北島三郎、名前の流行りもありますが子供にその様な名付ける人は周りにはいません。つまり一人っ子が普通になったことにあると思います。
 「貧乏人の子沢山」最早死語、橋下さんは七人の子供がいるとの事で金持ちの子沢山となりました。 「自分が一人っ子だったので一人っ子が良い!」そう言われればそうかもしれません。その感覚は分からないではありませんが、その人たちは兄弟姉妹があるのを知りません。共働きで子供を保育園に預けて仕事に行かなければならない。実際、自転車が三人乗りで二人の子供を持つと言うのが精一杯です。

 現在の人口が半分以下であったのは、約100年前の1910年(明治43)50,984,840人。1億越えたのは、私が万博でバイトやっていた約50年前1970年(昭和45) 103,720,060。しかし2015年(平成27)前回よりー0.8%下がり127,094,745人。
 人口が減少すると、物が売れなくなり、身近な事で公共乗り物等、弊害が出てきます。日本全体が限界集落化、先ず70年に帰ればいい事だけですが、又、昔の生活に戻れりば良いのですが?不可能でしょうね!
 体重268グラムで生まれた世界最初の子、既にそれより小さい子が順調に育った事が、ニュースになって伝わってきました。兄は3才の女の子持ち、もう一人と思ったら病院で二子と言われてビックリ。出産時、二人の女の子を産んだ後、余りに苦しむので麻酔を打った後、三人目が!今度は必死に起こされて、600グラムの目出度く男の子(ダラスで良く食べたステーキの大きさ!)、一度に4人の子持ちです。医者もドア越しに電話で学会(?)に報告するのが聞こえたそうです。
 昔ですから紙オムツが無く、1日80枚のオムツの洗濯、可愛い盛りの3才のお姉ちゃんが哺乳瓶を持って右往左往を!縁側から一人落ちても落ち着いたもの、今なら大騒ぎです。京都の叔母が着られる様なもので無かった古着等、感謝して受け取ったとの事。それ以来、私は生活の基本として、何でも与えられたたものは感謝して受け取るようになりました。埼玉の山の上の新興住宅地から都内まで通勤した兄、でも思い切り泣けた子供たちは幸せだったと思います。
 
 兄の話で1話完了です。1000話迄目指して行きます。とりあえず769話を...






    
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