旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

556 健康長寿、骨折(毎週土曜日に更改しています)

2018-01-27 04:29:52 | ブログ
 年取ってからの見本の様な気楽な生活を送って、傍目に何の心配も、何不自由無く、一人住まいの気軽さで毎朝、箕面の滝まで散歩。その後、買い物。年に何度も海外国内に船旅、優しいお婆さんが居られました。

 その方が管理員室に旅行先で鍵を失くしたと言われ、鍵屋を紹介。暫くして珍しくバス旅行に行かれました。息子さんが来られ、旅先のお風呂でこけて足の骨を折って入院しましたと言われたのです。そして、このマンションには階段があるので、売りに出すとの事で、極端な変わり方に本当に驚かされたのです。病院に1ヵ月、その後、リハビリに2ヶ月程入ると言われましたので、先日お見舞いに行きました。 

 足を骨折して、そのまま寝たきりなられるのかと心配したのですが、本人は文庫本を裸眼でのんびり読書されていました。年は88才と知り、元気にされて、話の中で息子さんが貯金通帳を見て、こんなに使ったのかと驚いたそうです。本人は平気で明るく笑って言われました。気軽に生きるのが一番だと思います。

 気を付けても、気を付ける過ぎる事はありませんが、この様に書いていても、私はコケて腰や足を骨折の部類になるでしょう。太腿の付け根部分を「大腿骨近位部」骨折が高齢化と共に増加しているとの事です。60才迄は、転倒時にとっさに手がでるので、手首や腕の付け根の骨折が多いのです。高齢者は手が出ない、結果、腰の部分を打ち付ける事が多くなり、要介護で30%が寝たきりとなるようです。一年後には、なんと15-20%の人が無くなっているとの統計もあります。

 研ナオコも60代前半で舞台でコケてから杖を持って歩いているらしいです。これは自分が杖を持つという事は、自分だけでなく周りの人も注意してくれるという事。正に転ばぬ先の杖を実践しています。カルシウムとビタミンDを多く取る、納豆1日2パック等々。

 やろうと思えばできる、(1)片足立ち、目を閉じないで1分間、上げる足は床につかない程度(必ず、体を支える為の、机や重めの椅子を横に)
               左右1分間を3回ずつやるのが効果的
            (*)軽いスクワット運動も効果的、まっすぐ前を向き、足を肩幅よりちょっと広め、椅子に座るようにお尻を下ろし、
              そこから立ち上がるのを、5回の上げ下げを3セット。難しい場合、机に手をついたままやるのも方法です。

 若い時に比べ身長が3㎝以上縮んだ人は骨粗しょう症の疑いがあるという事。今からも人間続けていかなくては、気楽に頑張りましょう。


555 1月20日(毎週土曜日に更改しています)

2018-01-20 06:05:24 | ブログ
 今日、1月20日は特別な日です。デンマークの避暑地フリボーで子供の為の施設で忙しくてる時に、父の死を知りました。57才でした。一人で大泣きしました。翌年、54才の母が逝きました。あれから約半世紀が過ぎました。時が過ぎるのが早すぎます。

 その時以来、私は無神論者。元々、考えると、考えなくても、そう信心深い方では無かったです。我が家の宗教は雑多なもので、家は真宗で、父は結構な位で、母は金光教、子供の頃、船岡山にある教会に行き「高天ヶ原にかしこみかしこみもうす」未だに覚えています。裏庭には巳(み)さんの社がありました。又ある時から母は、世界救世教に入信。それを不思議と思わなかったです。父は並べてある、仏壇、金光教、世界救世教と毎日お祈り。
 従業員の依頼でモラロジーの集まりに貸したり、中には、創価学会員がいたり、兄はキリスト教で、お婆さんは霊友会、我が家は何でもありでした。ある時、上の兄は、義姉さんの実家に行って確か天理教に入って来ました。節制が無い日本人らしい家庭と言えます。それよりももっと全く特別な特殊な宗教家庭と言えます。

 その宗教環境が底辺にあって、一度、正月にキリスト教の元旦礼拝に出て、八坂神社、そしてお寺、知恩院さんと周りました。まあ、この熱心さ?が両親が早く亡くなったかなと思います。

 それよりも生きたくても、若くして亡くなった方達は、もっともっとやる事、やりたいやりたい事があっとたと思います。逸見政孝(アナウンサー)さんの様に、生きたいとテレビで訴えた映像が忘れられないです。豊中の我が家に近くにお父さんが住んでいた、若くして亡くなった成田空港の仕事の先輩Kさん。今、その方達の事を考えると、父親が57才で無くなって、もっともっと話をしたかったですが、その後の家の没落等見なくて良かったと思いたいです。

 長く生きているとは、いいものだと思います。しかし、もっと何かを、やりきる事を考え続けていかなくては早く亡くなった方には申し訳ないです。

 現在は新語ばかりで、情けないですが、私も良く分からないです。今、両親が生きていたら時代に付いて行くのが大変だったと思います。多分、約半世紀の進歩は想像以上です。後10年もすれば平均寿命はもっと伸び、世の中、昼間歩いているのは年寄りばかりとなってしまいます。我々年代、高齢者施設も満杯、死ぬ時は沢山すぎて焼くのを待たなくてはならないのです。最後までこんなものです。後、10年生きるのもどう無く分からないですが、50年経ったら世の中どうなっている事やら...想像もできないです。

554 正月そうそうBelowな お話

2018-01-13 04:06:54 | ブログ
 空港で働いている時、テニスで走り回っていたのが夢のようです。今は卓球を楽しんでいます。退職してから、一時、競馬の場外馬券場で警備のバイトを開催日に、公営なので週末7回も行くと今の給料の半分以上でした。警備はそこそこで馬券を買う方の機械の使い方を説明するのが主でした。馬券を買った事が無いのに3連ちゃんとか訳も分からず説明していました。

 その時、below、いえ、尾籠(びろう)な話、仲間の一人が、トイレに行く、つまり小便をする時に、出るのに時間がかかり、出ても勢いが無く下に落ちて行く有様。後から来た人達がどんどん先に出て行く、そして自分がやっと終わって出なければならないとぼやいていました。最近、そのケースが多くなって、上映時間の長い映画を見る時は覚悟がいるのです。まあ、年取って来たと諦めています。

 「尿が出ずらい」「残尿感がある」「トイレが近い」「尿漏れする」「夜中に何度もトイレに起きてしまう」等々、急激に我慢できない尿意が訪れる、これを「切迫性尿意」言うんだそうです。その結果、間に合わず漏らしてしまう「切迫性尿失禁」、トイレが近くなる「頻尿」、これらは全て「過活動膀胱」の特徴的な症状とされています。男性が前立腺肥大症、女性は骨盤底筋の衰えが大きく影響、どちらも加齢現象の1つと考えられていますが、その心配迄しなくてはならない事になるとは、年は黙っていても取るようです。

 過活動膀胱は男女ともにみられる疾患で、有病者は全国に推定で、1,000万人以上と言われ、70才以上は3人に1人の割合と、男性は「尿が出にくい」、女性は「漏れやすい」と大まかな尿トラブルの特徴となということです。
 頻尿とは、起床して就寝するまでに1日八回以上の排尿がある場合を指すと言い、アルコールや過剰な水分をとった時は参考にしないものの、その八回は午前中にクリアー、喜んでいる場合では無いです。
 
 最近、大人のオムツのCMが目につきますが、オムツは楽な反面、尿を我慢する事も無くなるので、膀胱に尿がたまった事を感じる必要が無くなって、トイレに行く為の気力や体力を失うと認知症も進むという事になります。オムツを使うのは十分に気を付けるべきだと思います。自分の事になったので一応勉強。

 2015年。イグノーベル賞の物理学賞を受賞した研究に「体重3㎏以上の哺乳類は体の大きさに関係無く放尿時間はほぼ21秒」とあります。計測するのですが、そんなの誰も気にしていないのに賞を取るのが分かります。本当にユニークな人の研究です。
 

553 時代を生きています (毎週土曜日に更改しています)

2018-01-06 05:34:29 | ブログ
それぞれに自分の時代を生きて来て、同じもの、生活する事等を多く共有する世代があります。ただ住んでいる地域が違うので、一概には言えないですが、共通するものを見聞きした世代があるに違いないです。私が分かりあうのは経験上、昭和29年(1954)生まれ位が精一杯かなとお思います。人それぞれに生き方は違いますが、同じ世代は共有する事が多いです。

 分かりやすいのがテレビ、初めてテレビが京の家に来た時(何故かそういうのが当時でした。私だけかも?)、襖を開けるとそこに、あれほど感激したことはありませんでした。それまでは近所の家に行き、部屋を暗くして、正座して座り、帰る時には「おやかまっさんどした」(お邪魔しました)と挨拶しと言って帰ったのでした。その家で、ある日、水を入れたような3段になった三色カラー版を画面に付けてカラーテレビ(?)を見せて貰ったのでした。実写版の鉄腕アトム等思い出が深いです。

 テレビがカラーに変わった時は、印象に残らず、薄型受像機になった事も丸っ切り何も感じないかったです。ブラウン管テレビは廃棄、今は古物商に行き。カラー以外のテレビが存在したとは信じないに違いない時代になりました。掃除機を初めて、忘れもしない敦賀にある親戚で見た時は、こんなもので掃除できるかと思いました。我が家の仕事上、車を使ったのですが後ろがホロであったのですが、それがワンボックスカーになった時も嬉しかったです。

 家の前の道路で、車がどぶ板にはまった事もあったのですが、その蛆が一杯住んでいる「どぶ」も埋められて、下水道ができました。車社会、今なら大変な工事でした。それができる前、向かいの家が水洗便所にする為、堀川迄下水道を自分の家の為だけに工事を行ったのは、やはり京都の財力を無視できないです。我家は財力なかったのでしょう。

 このように今、当然と思っているものが、便利にある状態に変わった時に生きて来て幸せだなと感じない訳にいかないです。オリンピックを境に急成長して、便利が当然になっている世代は、反面可愛そうだなと思う事もありあす。

 例えば、家の電気(蛍光灯)を点ける時、その当時は、蛍光灯の下まで行って、蛍光灯からぶら下がっている紐を引かなくてはならなかったのでした。未だにそんな家があるかも知れないですから御免なさい。この1例を考えると、全ての現在の生活は大きく変わりました。

 現在、タブレットについて行けなくて、スマホに四苦八苦の私ですが、今年も宜しくお願い致します。