旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

504 年寄りの向こう側!(毎週土曜日に更改しています)

2017-01-28 04:20:23 | ブログ
 年寄りの話は飽きた方もいるのでは、その通り殆ど最近はその話ばかりです、済みません。もういい加減にしろ、でも若い時は考えもしない1秒ごと日々1日1日を早く感じるようになりました。1月が嘘のように早く過ぎてもう2月、みんな生きている限り公平に年取っていくのです。

TⅤで丁度、丁度いいと。人生振り返って自分の生きた道、失敗、成功どちらかと言うと、失敗が殆どです。成功したことが稀、それが丁度自分の人生、でも有り難い事に良い人々に囲まれて丁度いい。死んだら年寄りの話もできない、面白い、今まで考えもしなかったです。
 
 淀川中津に「ご安置ホテルリレイーション」築30年のホテルをリノベーションした「遺体ホテル」と言うものがあるんだそうです。故人と過ごす遺体ホテル。6階建てで24時間対応、1階は受付、2階は10-15人で通夜、葬儀を、3-5階は安置室や家族が寝泊まりできる控室。遺体を納めるカプセルは、ドライアイス不要でも十分な保冷効果があり、バストイレも完備しているのです。
 システム化されて、料金は安置室の利用料は3万円、安置と火葬のみが18万5千円、通夜・葬儀伴う場合、45万。ちなみに全て税別です。皆さんは家族が優しいから利用する必要が無いので関係ないかも知れないです。

 超高齢化社会は火葬も追いつかない所までなっています。ここでも、やっぱり長蛇の列になるのかな、その通り、団塊の世代はつらい事を今から覚悟しなくてはならないです。本人は死んでしまうから、勿論家族の事です。京都にも北山の方に1つあったのです。人口が増えたのに大谷さんの後ろにあるだけになったのです。兄が亡くなった時は、随分待たされました。それは人間焼くのに時間がかかるのだと思ったのです。

 名古屋に営業に行っていた時に、親しいY航空の旅行会社の、確か「やつはか」?(だったと勝手に思っています)に住んでいて、死者を焼く為に村中で3日かかって焼いたと言っていました。その後どうなったか、飲んだ話なので不確かですがそんな事を思い出しました。この話は本当だと思うのですが、噓の様な話ですが、これがそもそも日本における埋葬の仕方なんですね。野坂さん確か「とむらい師」と言う本で、戦争で死ぬ人が多くなったので火葬するようになったと書いていたのと違いますが、そんなことはどうでも良い...
 
 両親の時代は、家で葬儀を行うのが当たり前、普通の事で、樒(しきび)が家の前に多く並ぶのが普通でした。しかし現在、葬儀場で葬儀が普通になったのでした。現在、家族葬は必ずしも経済的ではありませんが分かりました。兄の葬儀は、友人の人からの忠告を受け入れて、やったお陰で沢山の人が来る事のになりました。結果として、こういう場合もあるんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

503 子供は宝 (毎週土曜日に更改しています)

2017-01-21 06:07:09 | ブログ
103歳の、このブログで再々紹介した聖路加国際病院名誉医院長の「日野原重明」さん。新幹線への何十段の階段を使い、エスカレーターに乗った人と競争をして、自然に1段跳びになって、追い越すと快哉を叫びたくなると100才を過ぎて言っています。講演の予定は5年先まで決まっていると言う人で、まさに鉄人です。

近頃、年寄りの話題が多いですが、どうしても周りにすごく影響されます。その反対子供ですが、維新の頃に我が国を訪れた米国人モースの子供の事を書いた本「その日その日」(講談社が学術文庫)の中で、日本は子供の天国である。世界中で日本において子供が親切に取り扱われている国は無い」しきりに繰り返しています。「日本の道は子供達ちの遊び場でありる。遊びに没頭していても危険が無いのは、通行人、人力車、荷車などが子供たちの駒を踏んだり羽子板や竹馬の邪魔にならない様によけて通るから」と記しています。今では夢の話と言えるかも知れないです。

 子供の頃、車が今から思うと殆どなかった、滅多に通らないちょっと広い黒門椹木町下がるで、石けり、そして石あては、知らないでしょうが、3~4メートル程、向こうの敵方の幅2㎝程の立てた石を滑らせ当てて倒すという遊びも良くしてました。ろーじ(路地)の土に三角形を書き、それぞれが5寸釘を刺しそこまで線を引き、段々と相手が線を引けなくなって動けないようにすれば勝ち、自分でも書いてるのが通じていないと思いますが、そのような遊びでした。五寸釘を手に入れるのが大変でした。今やこんな遊びは忘れ去られたでしょう。
 紙しばいも楽しみの1つでした。当時は2人の紙しばい屋さんが町内に廻って来たのですが、一人は爺さんの紙芝居屋と言っていたのですが、爺さんと言っても若かったに違いありません。ある日、同じ日に2人がぶち当たって紙芝居屋さん同市が喧嘩になった事は忘れられないです。今や、私の子供の頃は今やドラマにしか思えないような、又、ドラマにもならないような事が沢山あったと思います。

 いつの世の中でも子供はいつも宝だと思います。しかし宝を宝にしていない人が多すぎます。新聞では日替わりまではいかないけれど、大阪府堺市では、3歳児遺棄事件が最近ありましたが、繰り返し引っ越しを繰り返して、分からない様にしていたのでした。米国では子供を公園で一人にすると直ぐに警察沙汰、警察や自相にあたる機関が過去の虐待歴などのデータベースを共有し、事例があった際の対応の判断材料にしているというのです。そうありたいものです。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

502 スキー 今昔(毎週土曜日に更改しています)

2017-01-14 04:29:36 | ブログ
 夢の2日間でした。三浦雄一郎氏が80才でエベレスト登頂から思えば何を大層なと言われそうですが、スキーに20年ぶりに行って来ました。そもそも高校時代、京都の花背スキー場に行ったことが、不確かですが人生、初めてだったと思います。岩倉の友人の家に泊まり、初めて見る棒状のガスストーブで瞬時に暖まり、今思うと寒々するウィンドブレーカーにGパンでトラックに乗って行きました。そこで毎回、山登り、そして滑ると言う事の繰り返しだったと思います。手作りの固く冷めたお餅をお昼に頂いたことは良い思い出です。

 同じ時期、滋賀の函館山に行こうと言われて、北海道に行くのだと思った世間知らずでした。そこで三浦雄一郎がエアターンをデモンストレーション見ましたが、これも懐かしい思い出です。

 社会人になってからは毎年、信州や兵庫の近場のスキー場、アメリカのアンカレッジ、クリスタルマウンテン、ナパバレー他に何度も行きましたが、今回の岐阜の鷲ヶ岳は初めてでした。岐阜が思ったより近くにあり、長いゲレンデがあちこちにあったとは驚きでした。通常、関西からは夜出て朝着く着く、バスでも車でも信州がポピュラーでしたが、3時間半で着きました。
 
 スキーに行く為、まず靴は買ったままで新品、大丈夫。しかし履くとプラスチック部分が割れ、ウェアーはファスナー開かず、クレ556は生地を傷めるのでダメと言うので、他のを買って、どうにか着られました。結局、スキー道具はレンタルにしました。そこで、ビックリ。スキーの長さが昔に比べ極端に短いではありませんか。初めてスキーをした頃は、立って右手を伸ばしてその高さ、210㎝、20年前は身長プラス10㎝、今回はと言うと身長マイナス10-20cmと言うではないですか、余りに短いので2日目に身長の長さに変えて貰った程、驚きました。それとスノーボードの様に先が丸くなっていました。これも驚き。

 スキー場はスノーボーダーが殆ど、ボーダー100人vsスキーヤーが1人か2人と言うありさまでした。スノーボードパークと言った方がしっくりすると思いました。スキーは直ぐ慣れて、もう朝から、リフトが終わるまでは、自重しましたが、スピード命と言う滑りで楽しかったです。

 娘の子、1歳半と一緒しましたが、イタリア語でノンノと私の事を呼ぶようにしているのですが、「ジージ、ジージ、ジージ」とのべつ言うので今回は諦めて、もう少し大きくなってから教育しなおそうと思っています。

 帰りに、温泉にツカリ、心配した筋肉痛も年寄りの証の3日後も無くて済みました。また、来年で無く、来月誘われたけれど...
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

501 本年も宜しくお願い致します。(毎週土曜日に更改しています)

2017-01-07 06:43:54 | ブログ
 初めて海外に出た頃は、単純に海外に出るにはどうすれば一番安い方法で出られるかとその方法を1番に考えていたと思います。現在の3倍以上の1ドルが360円、海外持ち出しの総額は500ドルの時にプランしました。それだけで海外出るのは諦めた方がましだと思うのですが、若いときは何でもやれるものです。大体それが普通の当然と、今の様になるとは思いも考えもしなかったです。

新聞広告等を見ると、今や海外旅行は信じられない安さ、今の時代に自分が学生だったらどうしたでしょうか、想像できないし、想定以外だと思います。海外に行ってないかも、誰でも簡単に海外に行ける事は羨ましい時代になったと、そう思ったら中々そうはいかないようです。
 海外に行くのは超簡単、ネットで何でも情報が得られる。でも、現在はやっぱり安全第一主義で行かなくてはならない様になりました。行けば生命の危険を一番に考えなければいけなくなりました。別の意味でというより、大変な時代になったものです。世界中何処でも、テロ、殺人事件で多くの人達、日本人を含めて悲惨な残酷な事件が多発しています。日本でも毎日の様に、殺人事件や自殺が報道されています。何処でも身の危険がありますが、余りに多くあって、直ぐに忘れるのは、年のせいばかりでは無いと感じています。
 
年末に、それまでに来た年賀状を整理していて懐かしく見ていて、昔の同僚がブログの作り方を聞いてきたのを改めて読みました。このブログでも丁度一年前書いたことですが、自分の記録として世界を旅した事をまとめて整理しようと思ったのが最初でした。比較的に時間があった退職後に書き始めたことでした。最近は忙しいので朝、早ゃーく更新しています。
 一回に1,000~1,200文字を、現在書くようにしています。三つの文章を常に書いて持っています。以前は四つ書いてありましたが、最近は三つ、自分的には余裕が無くなったと焦っていると思います。書くことは、自分の身の回りの事が多くあります。日々、書こう思っていても忘れることが多いですが、忘れないようにメモ、記事など面白い話題があれば取ってますが読む暇が無いのでそのままです。いつまで続くか分からないですが、皆さんの後押しがあるからだと思っています。

 読んで下さっている方には迷惑かも知れないですが、面白い事に、年末に「時」というタイトルで書いたのですが、丁度、1年前に〇っきり同じタイトルで書いたのをサイトの主催者からメールがきました。どうも年末になると時が気になるようです。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする