面白い話を見つけました。それは1966年、ビートルズが武道館公演のために来日した時のことでした。宿泊した東京ヒルトンホテルの貴賓室に「103歳で分からなこと」を書いた篠田桃紅さんの絵が飾られていました。『無題』と題されたその作品に感動したジョン・レノンが「これは誰が描いたんだ」と支配人に聞いたことから、彼女のところへ連絡があった。篠田桃紅さんはその時の様子をきっぷのよいしゃべりで、
「これは誰が描いたんだ”と支配人に聞いて、支配人が教えたわけよ。電話がかかってきた」「“とにかくその筆屋さんを教えてあげるから、行って筆を買いなさい”って、そう言ったの」
「それで、…あの連中は、そこで筆をいろいろ見せてもらって、すっかり有頂天になっちゃってね、そこで紙を広げてもらって、みんなで描いて遊んでんの」「それがテレビジョンに映りましたの。それを私は家で見てました」 その後、ビートルズは筆を買って持ち帰ったそうです。
芸術家の篠田さんにすれば、どんなん気でその電話を受けたか知りようがないですが興味深い話です。又、東京ヒルトンホテルの貴賓室の趣味の良さが良く分かります。夢ですが、そこに泊まりたくなりました。
価値観は、時代によって移り変わるものだとも書いています。100年も生きていると、あらゆるものが時代と共に移り変わり、100年間でも、その変わりようは激しく、いったい、この世に、人類とともにその価値が失われないものはあるのだろうか、と考えさせられると書いています。文学、芸術などありますが、未来永劫、人類が愛するのかというと、それもまた良くわかりません。
私の生まれる100年前には侍が刀を腰に徳川幕府の時代、その100年超を生きた人がいます。大昔でもありません。今や50年でも激しく変わっています。
彼女が全人類がその価値を認めざるを得ないものは無いでしょうか。ある人は母と言いました。母がいるから、人は生まれ、母性に見もまれて育つ。未来永劫、人類が存続する限り、尊い価値である事に変わりありません。
自分自身は母親で無い一生独身であったけれど、結婚する以外の選択肢を持たない明治生まれの母親を持つ彼女が、自らに由って生きて行く道を選んだとき、やりたいようにやりなさいと言ってくれたのは、お母さんと述べています。
淋しいですが、父親というものは、どうなるのでしょう...やっぱり母親が一番のようです。人間103歳で、まだまだ分かる事があるんです。とりあえず、100歳を目指します。
「これは誰が描いたんだ”と支配人に聞いて、支配人が教えたわけよ。電話がかかってきた」「“とにかくその筆屋さんを教えてあげるから、行って筆を買いなさい”って、そう言ったの」
「それで、…あの連中は、そこで筆をいろいろ見せてもらって、すっかり有頂天になっちゃってね、そこで紙を広げてもらって、みんなで描いて遊んでんの」「それがテレビジョンに映りましたの。それを私は家で見てました」 その後、ビートルズは筆を買って持ち帰ったそうです。
芸術家の篠田さんにすれば、どんなん気でその電話を受けたか知りようがないですが興味深い話です。又、東京ヒルトンホテルの貴賓室の趣味の良さが良く分かります。夢ですが、そこに泊まりたくなりました。
価値観は、時代によって移り変わるものだとも書いています。100年も生きていると、あらゆるものが時代と共に移り変わり、100年間でも、その変わりようは激しく、いったい、この世に、人類とともにその価値が失われないものはあるのだろうか、と考えさせられると書いています。文学、芸術などありますが、未来永劫、人類が愛するのかというと、それもまた良くわかりません。
私の生まれる100年前には侍が刀を腰に徳川幕府の時代、その100年超を生きた人がいます。大昔でもありません。今や50年でも激しく変わっています。
彼女が全人類がその価値を認めざるを得ないものは無いでしょうか。ある人は母と言いました。母がいるから、人は生まれ、母性に見もまれて育つ。未来永劫、人類が存続する限り、尊い価値である事に変わりありません。
自分自身は母親で無い一生独身であったけれど、結婚する以外の選択肢を持たない明治生まれの母親を持つ彼女が、自らに由って生きて行く道を選んだとき、やりたいようにやりなさいと言ってくれたのは、お母さんと述べています。
淋しいですが、父親というものは、どうなるのでしょう...やっぱり母親が一番のようです。人間103歳で、まだまだ分かる事があるんです。とりあえず、100歳を目指します。