大阪を散策し始めて、今までの吉本、大阪のおばちゃん、豹柄等々、それもあるけど違う大阪もあるんだと気付いたのがここ2-3回でした。お寺の数は、大阪府の方が、京都府より多いのに気付き、まだまだ知らない地域が多いと改めて見直しました。この前、初めて降りる駅として、玉造駅で降りましたが、玉造稲荷神社に行っていないので今日はそこから始めました。
同じ駅で降りるのも芸が無いと、1駅手前JR森ノ宮で降りました。この駅も初めてで、先の方が便利と思いましたが出口は後ろ側に一つだけでした。右手に大阪城公園を見て信号を渡り、結局お城を後ろにして玉造神社へと行きました。
途中幹線道路を外れて、いい加減に公園を横切って歩いて見て気づきました。大阪には公衆便所の数が少ないと、東京との違いが分かりました。東京は公衆トイレが多いのに、公衆道徳が悪いのか、比較的に広い公園にもありません。別にトイレに今行きたいのではないのでしたが、大阪維新の橋下さんなんとかしないといけません。
ここにも坂があって(大阪にも坂があります、総て今までの坂は上町台地です)道路も片側1車線あり歩道もあって広くて良く整備されていて、今までの大阪のイメージが次第に変わったて来たのでした。坂の上に玉造神社があり裏から細い道を登って入って行きました。丁度、1組が七五三のお祝に社殿の中で祈ってもらってました。大阪城に行こうと思って正面で無く反対側から出ようとして、秀頼が奉納した鳥居があるのを思い出して又戻りました。
戦災にも倒されずに来たのが、私の本によると、先の阪神淡路大震災で倒れたとの事で半分埋もれていると書いてありました。境内の端に沢山の石が置いてあるのでこれかなと思いました。やっぱりこの古い柱に違い無いと、反対側を見ると、鳥居の2メートル程上だけが頭を出していたのでした。
一度はそこから出ようとしたのですが、見逃すはずが無い程大きな銅像、残念ながら見逃していましたが、今まで何を見て来たのか、大きな秀頼の立像があり公家服を着ていました。この辺りは良質の水に恵まれたと千利休居士顕彰碑があって、住居も近くにあったとの事でした。伊勢迄歩講起点と言う指針があり横に神宮まで170キロと書いてありました。‘笑いを大切に’と言う秋田実の石碑もたっていましたが、総てを見逃す所でした。
舗道もある比較的に広い道を行くと陸橋を渡るとピース大阪があります。大阪にこの様な立派な施設、つまり戦争の悲惨さを伝える物があるとは知らなかったでした。入場料も、多分みんなに見てもらいたいと言う250円でした。入口入ると、大きなきな爆弾が目の前に、こんなに大きな物が何度も50回以上、数限りなく落とされた大阪が何も無くなるのは当然と思うように飾れていました。靖国神社と比べて見て、戦争の悲惨さがずっと分かるものでした。
そこを出て大阪城のお堀の石垣は特に立派なものでした。その堀のそばに梅林があって満開で沢山の人が鑑賞してました。昔昔、多分小学生の時に一度来て天守閣に上がるのにエレベーターで上がって、その鉄筋コンクリートに大阪城はツマラナイものと決めてそれ以来きてません。しかし、この年になって、大阪人がお金を出し合って大阪城を再建したと、今なら素晴らしい物と思えるようになりました。外国の人、それも中国系の人が多く、そこで、大阪土産に何かないかと思いましたが、殆ど街中で買えるありきたりのものでしたが、もう少し大阪城を主体に考えれば売り上げ伸びるのに残念な事でした。とりあえず大阪城の形をした、もなかを買いました。
特に外観は特に一見に値すると思いました。ちなみに外観だけで、中は今回は止めておきます。
同じ駅で降りるのも芸が無いと、1駅手前JR森ノ宮で降りました。この駅も初めてで、先の方が便利と思いましたが出口は後ろ側に一つだけでした。右手に大阪城公園を見て信号を渡り、結局お城を後ろにして玉造神社へと行きました。
途中幹線道路を外れて、いい加減に公園を横切って歩いて見て気づきました。大阪には公衆便所の数が少ないと、東京との違いが分かりました。東京は公衆トイレが多いのに、公衆道徳が悪いのか、比較的に広い公園にもありません。別にトイレに今行きたいのではないのでしたが、大阪維新の橋下さんなんとかしないといけません。
ここにも坂があって(大阪にも坂があります、総て今までの坂は上町台地です)道路も片側1車線あり歩道もあって広くて良く整備されていて、今までの大阪のイメージが次第に変わったて来たのでした。坂の上に玉造神社があり裏から細い道を登って入って行きました。丁度、1組が七五三のお祝に社殿の中で祈ってもらってました。大阪城に行こうと思って正面で無く反対側から出ようとして、秀頼が奉納した鳥居があるのを思い出して又戻りました。
戦災にも倒されずに来たのが、私の本によると、先の阪神淡路大震災で倒れたとの事で半分埋もれていると書いてありました。境内の端に沢山の石が置いてあるのでこれかなと思いました。やっぱりこの古い柱に違い無いと、反対側を見ると、鳥居の2メートル程上だけが頭を出していたのでした。
一度はそこから出ようとしたのですが、見逃すはずが無い程大きな銅像、残念ながら見逃していましたが、今まで何を見て来たのか、大きな秀頼の立像があり公家服を着ていました。この辺りは良質の水に恵まれたと千利休居士顕彰碑があって、住居も近くにあったとの事でした。伊勢迄歩講起点と言う指針があり横に神宮まで170キロと書いてありました。‘笑いを大切に’と言う秋田実の石碑もたっていましたが、総てを見逃す所でした。
舗道もある比較的に広い道を行くと陸橋を渡るとピース大阪があります。大阪にこの様な立派な施設、つまり戦争の悲惨さを伝える物があるとは知らなかったでした。入場料も、多分みんなに見てもらいたいと言う250円でした。入口入ると、大きなきな爆弾が目の前に、こんなに大きな物が何度も50回以上、数限りなく落とされた大阪が何も無くなるのは当然と思うように飾れていました。靖国神社と比べて見て、戦争の悲惨さがずっと分かるものでした。
そこを出て大阪城のお堀の石垣は特に立派なものでした。その堀のそばに梅林があって満開で沢山の人が鑑賞してました。昔昔、多分小学生の時に一度来て天守閣に上がるのにエレベーターで上がって、その鉄筋コンクリートに大阪城はツマラナイものと決めてそれ以来きてません。しかし、この年になって、大阪人がお金を出し合って大阪城を再建したと、今なら素晴らしい物と思えるようになりました。外国の人、それも中国系の人が多く、そこで、大阪土産に何かないかと思いましたが、殆ど街中で買えるありきたりのものでしたが、もう少し大阪城を主体に考えれば売り上げ伸びるのに残念な事でした。とりあえず大阪城の形をした、もなかを買いました。
特に外観は特に一見に値すると思いました。ちなみに外観だけで、中は今回は止めておきます。