森下駅の出口A7番の直ぐ近くのカトレアのカレーパンは諦めたのですが、お腹が減ったので、今日の目的の一つ‘深川めし’の老舗のみやこを目指しましたが、これもまたまた見つけられずに苦労しました。私の方向感覚がいいのも怪しくなりました。
やっとのことでちょっと趣きのある店構え(大阪の‘みみう’本店の古民家風建物)を入るとそのまま縦に廊下があり左側が30畳位の大広間に和テーブルが幾つも並べてあるのが見え右手は厨房、手前に階段がありました。お腹の減るはずで、1時と言う事もあり人はまばらでした。
そこで、お昼のメニューの深川飯を注文、深川めしはかって深川で江戸前のアサリが沢山取れていた頃に魚師が好んで食べたお手軽料理と言う事でしたが、現在は千葉のアサリで復刻版をここのご主人が近年になって始めたとの事です。
味はさっぱりしていて丸いセイロで小鉢(青背の魚の味噌漬け)とみそ汁と漬物付きで1,200円でした。他にてんぷら又は刺身付きになるとそれぞれ2,200円で両方付くと5千円となります。懐石になると8千円からですが、お店のメニューはそこら中に紙で表示してあるので参考にして下さい。良くこれだけの事を調べたなと今思いました。
居酒屋風のお店で、味はまずまずなのですが、量が少なすぎましたので、その雰囲気と合わせて総合60点と言う所でした。アサリの煮汁でご飯を炊いていると言う事ですが、貝のかけらが入っていたので特に採点が厳しくなりました。
この量の上品さにカレーパンを食べられなかった事を悔みました。まだパンのできるまでの時間があり過ぎるので、残念ですが再び諦めました。
私の採点は低かったですが、話の種に一度は行って食して下さい。お店の名は割烹‘みやこ’(3633-0385)月曜は休みですからご注意して下さい。再現江戸時代の一品料理を売り物にしています。
まだ、最初の七福神の寿老人を祭ってある深川神明宮を訪れていないので戻り、さすがにこれは比較的簡単に見つけられました。そこで深川の謂れを勉強しました。
16世紀の末から17世紀のの初めに深川八郎さん(友達ではありません、念のため)がこの地域を開発して深川と名付けられたとの事でした。八郎さんは正しくは八郎右衛門と言うそうでした、つまり深川の八ちゃんが住み始めやはった所だそうです。比較的大きな石の鳥居で、また少し大きめの社殿は戦後造られた東京では他の神社と同じ鉄筋でした。
残念ながら歴史的な建物は期待できないので毎度説明書きを読む事にしています。小雨の中、隅田川の支流の小名木川沿いに高橋を渡り清州白川駅を経て深川稲荷へと行きました。
深川稲荷は布袋さんを祭ってあって、石囲いのそれぞれに寄進者の名前が赤文字で書かれているのは、私的には趣味が悪いと思いましたが東京人は変な所で目立ちたいのかも知れません。この後、この地域の殆どが多分同じ様に仕上げてあるのを発見しました。
近くに大鵬部屋、北の海部屋、尾車部屋と相撲部屋がありますが、雨がヒドクなったのでスキップしました。芭蕉の碑も見落としてしまいました。残念!
霊験寺を過ぎて中通商店街、ここは街灯に模造の中商店街の桜があってなんとも寂れた所で思わず‘頑張って’と皆さんに声を掛けたくなる所でした。そこを過ぎるとマタマタ深川資料商店街で、ここが歩道もあって少し活気があり本物の桜並木がありました。ここで雨が降って来て、傘が気になり深川江戸資料館を見落としてしまいました。つづく
やっとのことでちょっと趣きのある店構え(大阪の‘みみう’本店の古民家風建物)を入るとそのまま縦に廊下があり左側が30畳位の大広間に和テーブルが幾つも並べてあるのが見え右手は厨房、手前に階段がありました。お腹の減るはずで、1時と言う事もあり人はまばらでした。
そこで、お昼のメニューの深川飯を注文、深川めしはかって深川で江戸前のアサリが沢山取れていた頃に魚師が好んで食べたお手軽料理と言う事でしたが、現在は千葉のアサリで復刻版をここのご主人が近年になって始めたとの事です。
味はさっぱりしていて丸いセイロで小鉢(青背の魚の味噌漬け)とみそ汁と漬物付きで1,200円でした。他にてんぷら又は刺身付きになるとそれぞれ2,200円で両方付くと5千円となります。懐石になると8千円からですが、お店のメニューはそこら中に紙で表示してあるので参考にして下さい。良くこれだけの事を調べたなと今思いました。
居酒屋風のお店で、味はまずまずなのですが、量が少なすぎましたので、その雰囲気と合わせて総合60点と言う所でした。アサリの煮汁でご飯を炊いていると言う事ですが、貝のかけらが入っていたので特に採点が厳しくなりました。
この量の上品さにカレーパンを食べられなかった事を悔みました。まだパンのできるまでの時間があり過ぎるので、残念ですが再び諦めました。
私の採点は低かったですが、話の種に一度は行って食して下さい。お店の名は割烹‘みやこ’(3633-0385)月曜は休みですからご注意して下さい。再現江戸時代の一品料理を売り物にしています。
まだ、最初の七福神の寿老人を祭ってある深川神明宮を訪れていないので戻り、さすがにこれは比較的簡単に見つけられました。そこで深川の謂れを勉強しました。
16世紀の末から17世紀のの初めに深川八郎さん(友達ではありません、念のため)がこの地域を開発して深川と名付けられたとの事でした。八郎さんは正しくは八郎右衛門と言うそうでした、つまり深川の八ちゃんが住み始めやはった所だそうです。比較的大きな石の鳥居で、また少し大きめの社殿は戦後造られた東京では他の神社と同じ鉄筋でした。
残念ながら歴史的な建物は期待できないので毎度説明書きを読む事にしています。小雨の中、隅田川の支流の小名木川沿いに高橋を渡り清州白川駅を経て深川稲荷へと行きました。
深川稲荷は布袋さんを祭ってあって、石囲いのそれぞれに寄進者の名前が赤文字で書かれているのは、私的には趣味が悪いと思いましたが東京人は変な所で目立ちたいのかも知れません。この後、この地域の殆どが多分同じ様に仕上げてあるのを発見しました。
近くに大鵬部屋、北の海部屋、尾車部屋と相撲部屋がありますが、雨がヒドクなったのでスキップしました。芭蕉の碑も見落としてしまいました。残念!
霊験寺を過ぎて中通商店街、ここは街灯に模造の中商店街の桜があってなんとも寂れた所で思わず‘頑張って’と皆さんに声を掛けたくなる所でした。そこを過ぎるとマタマタ深川資料商店街で、ここが歩道もあって少し活気があり本物の桜並木がありました。ここで雨が降って来て、傘が気になり深川江戸資料館を見落としてしまいました。つづく