瀬戸内晴美=寂聴「信じるという能力は、文明の進化につれて失われる。つまり教育が高まるにつれて失われる。信じる能力は文明とは逆行するのである。」凄く納得しますが、半面淋しい事を知らしめしています。
両手に荷物を持っているのでお持ちしましょうと言うと、両手持った方がバランスが良いと断られた事がある。それは、生きる目標としてしている尊敬する日野原さんとの瀬戸内さんの思い出話です。(老人ホームで、できる限り自分で行う様にしているのは、間違っていないと思います。)
その日野原さん、延命治療を断り天命を全うされました。痛みだけは御免ですが、延命治療は受けたくないです。大兄が延命治療を断った時に、生きる事を拒否したと思っていました。施設で沢山の老人を見ることになって、ただ生きているだけの人もいますが、本当にそうなのか未だ分かりません。
難しい判断ですが、ハッキリと言える間に、別れを聞くのは耐えられない辛さがありますが、この頃「一期一会」という事を改めて認識しています。
「人間は忘れるという知恵を持ってる」いい言葉です。私の場合は豊富な知恵が内在していると言えます。哀しい事等、少しでも忘れて淋しさ悲しさを和らげてくれるでしょう。兄は私のボケに心配してくれますが、そもそも認知症と老化による変化は違うというのです。
忘れると言うと、京都も遠くなりました。「行ってらっしゃい」という事を「おはよおOお帰り(やす)」と言いますが、親が生きている時に普通に言ってたことです。大阪に住んで、私にとっては死語になっています。その言葉を使っていたのが、30年以上、いや40年近く使っていない、残念ながらもう使わなくなりました。
ついでに学生時代に「いいやんね~」(標準語では、言ははる?)と言う大阪の娘(こ)の言葉を聞いて、可愛いいな!いい言葉だなと思った事を思い出しました。大阪を見直します言葉です。
余り聞かなくなった、ぼんくら(盆暗)!この言葉の語源を今になって知りました。丁半博打で、掛け金が、どちらに足りないか、どれほど足せば同じになるか、瞬時に見て声を発する。これを「盆に明るい」と言い。その逆を盆暗と言うとの事で、共に知らなかったです。この言葉も死語と言えるかも?
「かんてき」忘れていました「七輪」分かりましたが、五徳、これも死語になると思います。もう既になっているかも。生きている間に死語が増えてます。そして新しい言葉が増えてます。時代に遅れない様に頑張ろう。
両手に荷物を持っているのでお持ちしましょうと言うと、両手持った方がバランスが良いと断られた事がある。それは、生きる目標としてしている尊敬する日野原さんとの瀬戸内さんの思い出話です。(老人ホームで、できる限り自分で行う様にしているのは、間違っていないと思います。)
その日野原さん、延命治療を断り天命を全うされました。痛みだけは御免ですが、延命治療は受けたくないです。大兄が延命治療を断った時に、生きる事を拒否したと思っていました。施設で沢山の老人を見ることになって、ただ生きているだけの人もいますが、本当にそうなのか未だ分かりません。
難しい判断ですが、ハッキリと言える間に、別れを聞くのは耐えられない辛さがありますが、この頃「一期一会」という事を改めて認識しています。
「人間は忘れるという知恵を持ってる」いい言葉です。私の場合は豊富な知恵が内在していると言えます。哀しい事等、少しでも忘れて淋しさ悲しさを和らげてくれるでしょう。兄は私のボケに心配してくれますが、そもそも認知症と老化による変化は違うというのです。
忘れると言うと、京都も遠くなりました。「行ってらっしゃい」という事を「おはよおOお帰り(やす)」と言いますが、親が生きている時に普通に言ってたことです。大阪に住んで、私にとっては死語になっています。その言葉を使っていたのが、30年以上、いや40年近く使っていない、残念ながらもう使わなくなりました。
ついでに学生時代に「いいやんね~」(標準語では、言ははる?)と言う大阪の娘(こ)の言葉を聞いて、可愛いいな!いい言葉だなと思った事を思い出しました。大阪を見直します言葉です。
余り聞かなくなった、ぼんくら(盆暗)!この言葉の語源を今になって知りました。丁半博打で、掛け金が、どちらに足りないか、どれほど足せば同じになるか、瞬時に見て声を発する。これを「盆に明るい」と言い。その逆を盆暗と言うとの事で、共に知らなかったです。この言葉も死語と言えるかも?
「かんてき」忘れていました「七輪」分かりましたが、五徳、これも死語になると思います。もう既になっているかも。生きている間に死語が増えてます。そして新しい言葉が増えてます。時代に遅れない様に頑張ろう。