旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

21 話 ふぐを食べに九州へ!

2011-01-29 05:31:09 | 思い出日記
 1月15日まだ夜明け前にも関わらず既に新大阪の待合場所には大勢の人が集合していました。安いツアー(1泊2日で2万円二人部屋3食込み)であるとこんなにも人が集まるものなのですね。早速添乗員に我々の到着の確認、そこで何と参加者が総勢でバス7台になると聞き驚きました。
 再集合の後、添乗員に付いて改札を抜けていよいよ出発、7時12分発のぞみで小倉へ、九州がこんなに近くなったと思うまもなく小倉へ、そしてその足でレトロ門司港までバスで行きました。

 当日は風強く残念ながら余りいい天気でありませんでした。跳ね橋が工事中でしたが、前回が夜に来たので凄くその古さを充分に味わったのですが、今回は朝でライトアップがなされていないので今一つでした。この町を知る為に隣接する栄町銀天街商店街に行きましたが、日曜と言う事か寂びれていて今2つでした。やっぱり、古き良き門司駅を旨く現在に生かした駅に戻りました。駅舎も古いですが、トイレもレトロで一度使ってみると良いと思いました。かなり無理して古いものを残すなら、その周りも協力して町並みを立て替えないと思いました。テーマパーク化はその回りからだと良いのですが、やれば儲かるのに、日本にそんな金が無いのでしょう。

 またバスで、関門海峡を渡って下関迄は、あっという間5分は掛っていないうちに着きました。思いもしなかった事が、本州から680mと、直ぐそこに九州が見えたのでした。
 その間にかの有名な巌流島が現在の5分の1であったという事で、かなりの小島であったとは、見て見ないと分からないものです。これなら、武蔵が船を乗る所や遅れて来るのを小次郎は充分に見えたはずで、小次郎、心に余裕があったはずに違いなかったと思い、映画ではこんなに近くに島は無かったはずと考えさせられました。
 そして、目の前が壇ノ浦の古戦場、この様な狭い海峡で合戦をしたのでした。京都からここまで落ち延びてきた人たち、遠く鎌倉から攻めて来た人たちどんな気持ちだったのでしょう。ここ迄来たら同じかと思いました。維新前の英国との戦い、いろいろな事がここであったのでした。

 お昼は、そうツアーのハイライトである河豚(ここではふく)のフルコースでした。このツアーの目玉、ひれ酒で値打ち物のテッサ(ふぐの刺身)や揚げ物、鍋等々を頂きました。
 昼からは、城下町長府見学に行きました。お城は無かったけれど馬に乗った高杉晋作の像がある功山寺や長府毛利別邸とかあって中々見ごたえのある城下町でした。九州がこんなに寒いとは想定外の事で、取り敢えず寒いのでバスに戻りました。

 泊ったホテルが玄海ロイヤルホテル、ここの夕食は期待していませんでしたが、和食のフルコースでこのツアーのもとが取れる位に良いものでした。ちょっと飲みすぎました。

 翌朝は大雪で湯布院へいけずに柳川と大宰府と言う事になりました。柳川川下りのオプションに参加しましたが、コタツに入りながらの船旅は川の氷を割って船頭さんの唄を聞きながら中々情緒あるものでした。小野ヨウコさんの家跡がこんな所にあったのも驚きでした。昼は柳川藩主別邸御花で柳川鍋とうなぎを頂きました。ただ、残念な事にドジョウはこのあたりでは、採れないので浜松あたりから取り寄せていると言う事でした。 

 最後に菅原道真の大宰府に行って人の多いのにまいりました。人が多かったが、多分受験シーズンが近いのでお参りに来ているのだと思っていたら、その人ばかりでなかったのでした。我々、7台のバスで人が溢れるようになったのでした。

 京都の北野天満宮は小さい時に、父親に連れられて良く堀川電車に乗って行きましたが、現在は規模が半分になって手前に警察署ができて昔の賑わいが懐かしく思われます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20 話 ワインの話し

2011-01-22 06:55:21 | グルメ
成田に勤めていた時は、変則勤務の為に良く平日が休日になりました。そこで昼間に良く開催され、テレビで見る田崎さんとかも良く来ていて盛大なワイン試飲会にソムリエ協会会員(私の会員ナンバー4045番)として参加していました。一流ホテルでの話です。

 一度目はフランスワインそれもブルゴーニュワインと本格的グラスRIEDEL(since1756)での試飲でした。前から2列目(好きで座った訳ではありませんが早かったので順番)、前列1列目のいかにもソムリエ風さんは隣のグラスの汚れを指摘して変えさしました。
 こんな人の横に座らなくて本当に良かったと思いながら多少緊張。横のオジサン(私より若いかも)がきさくに狭いですがいつもこんなのですかと質問されて、〔わたしも大阪でしか参加していませんので東京は初めてなのでどうも...〕と答えお茶を濁す。これは本当のことですが看板を見ると東西合同大会となっていたので一安心、その数、総勢250人の参加者でした。

 ワイングラスが深く素晴らしく8種類のワインを飲んで9種類目をブラインドテースティングで名前を当てると言うものでした。勿論当てました、素晴らしい感と推測でした。
一人で満足しています。

 ところでワインの飲み方ですが、演壇上の公演者の真似をすれば良いのです。又、だまされたと思わないで下さい。これが分っていても意外に難しい。何故かと言うと。
前には9個の立派なグラスと大き目の紙カップと小さなラスクが4切れ(パンの場合もあります)と水。さてどうしましょう。
ラスクと水は口蓋洗浄(こうがいせんじょう)用で違う種類のワインを飲む前口の中を中和する為に用います。紙カップは飲んだワインを出す為、私はもったいないので勿論
ワインを飲んで水を出しました。

 さてさて、グラスの持ち方です。正式には左手でグラスの足部分を左にして右底を浮かしてそこへ右手の親指と人差し指二本で持ち上げますがこれは気障過ぎるので、グラスの足部分を持ってかまいません。
さあ、やっと始まりですがまだ飲んではだめです。
(1)まず色を見る、見方はテーブルクロス(白)の方に少し傾けて色合いを見る。
   間違っても光(ライト)に向けるようなことは止めたほうが良い。
(2)そしてグラスを戻したときのグラスの中のワインの側辺の戻り具合でアルコール度の強さを見る
   (ゆっくり程、度が高い)
(3)グラスに鼻を近づけて香りを嗅ぐ。
(4)次にワイングラスを回す、基本的には時計と反対方向の方がこぼれ難い
   (これでワインがまろやかに変身します。)量が多いとこぼれ易いのでご注意ください。
(5)そして又香りを嗅ぐと初めと違うのが分ると貴方は素晴らしい感覚をお持ちです。
(6)やっと口に含みゆっくり舌の上を転がす。
(7)飲まずに(私は飲みます)ワインを吐き出しその余韻が長い程良いワインとされています。

 まあ、こんなものですが場所を変えた2度目のJETRO主催のアルゼンチンとウルグアイワインはなんと34種類の飲み比べでしたがさすがに酔ってはカッコ悪いのでそれでも12種類程飲みましたがその時のポイントはボトルの前におかれたコルクの長さと色艶です。そうなんです、高いワイン程上質なコルクが使ってあるのです。4cm以上あれば5cmあれば文句無し。そもそも長い、いいコルクを安物のワインに使うはずが無いのです。

 事前に自分の指で長さの目安をしって人前でこのコルクは4cmもあるなんて言って見て本物の定規(じょうぎ)で測る。なんでこんな所で定規持ってくると問われたら...?

 ワインの話はこれからです。   ★ 好きなもの もっと美味しく 楽しんで★
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

19 話 食道楽大阪

2011-01-14 22:13:48 | グルメ
 比較的に食べ物が安く、その点が大阪を好きになった理由です。そこで私のお薦めなお店を紹介します。

 北のお初天神の前にオリジナルしゅうまいにスープを付いたのを630円で頂きまして、レトロな中之島公会堂の中之島倶楽部でお茶をして、適塾(淀屋橋から1筋南、東に2筋)の隣の福仙楼。
 淀屋橋の福仙楼は良く行ったお店ですが、タイムスリップに陥った昭和の昔を思わせるような中華のお店です。昔通りお婆さんが今も元気でいたので少しも変わっていませんでした。そこで注意点、大人しく目立たないといつまでも注文したものが届きません。常に見張って無いと後から来た人に注文品を取られてしまいます。又、2人以上で一緒に食べるつもりなら、同じものを先ず注文する必要があります。違うと出てくるのが極端に遅いのです。今は無きチャンポン(ここの店の焼きそばに汁がかかったもので大好きでしたが、面倒なのかやめたと思われます。)が520円ですが、お婆さんだと500円になることがあるのでした。昼に行くと焼きそば、カレー焼きそば、焼きそば、焼き飯、カレーライス以外を注文した場合は何時来るか分かりませんのでご注意下さい。1時近くになるとご飯類が無くなってしまうので注意。一品ものを注文する時は夜来て下さい。

 本町でお金に余裕がある時、吉野すし(すしの漢字が見つからないですが、本当は寿司、鮨ではありません)が、大阪の押し寿司の有名店が御堂筋の平野町3丁目を東へ入った裏手にあります。大阪瓦斯御堂筋を西に入った所にある美々卯 本店も捨てがたいです。ご存知の通りうどんすきが登録商標された店です。その古い建物も一見の価値があるのです。うどんすきに出されるエビは別の入れ物で、生きて出されるので是非味わって食してみて下さい。本町店よりガスビル入った本店で召し上がって下さい。

 心斎橋は大丸の南の道路を東へ、そこで明治軒のオムライスを頂きます。銀串とセットを美味しくビ‐ルと共に頂きます。勿論、食べるだけでも大満足です。

 御堂筋道頓堀角に立派な肉屋のはり重がありますが、その南側に、はり重の小さなレストランがありますが、そこでの牛丼がお薦めです。この頃私は、ビフカツを注文しています。

 難波の道具屋筋を通り抜けて、一筋裏側の一芳亭のしゅうまいが有名ですが、鳥の空揚げ、豚天等も捨てがたいです。B級グルメとして是非とも食べて下さい。

 一番のお薦めが、出雲(いずも電話06-6211-2559)です。千日前を一筋北にパチンコ屋を東に少し入った所、ピンク店の向かいにある8人で一杯になる串焼きの店です。私が30数年前に間違って入ったお店で、それ以来多い時は週に2,3度行っていました。そこでの冷酒は私が頼んで置いてもらったもので、串焼きと言っても、鉄板で焼くものです。まあ、説明辛い普通と違うので行って下さい。行く前には私の名を言って予約をして下さい。気の良いおじさんが出ます。

 そこから、法善寺を抜けて、御堂筋を渡り一筋目を西に行った所にある昭和を今に残した吉田バーは昔に良く行った所です。

 昔、北のOSビルができる前に、ビルの横でやっていたたこ焼き屋は忘れられない味です。ソースとかマヨネーズ無しで食べるのですが、酔って帰って冷えた状態でも美味しいものでした。現在は会津屋がそれに近いたこ焼きをだしていますが、やはり今までで最高でした。今はどこにあるのか知りません。

 甘い物でしたら、出入り橋のきんつば屋がお薦めです。そこでも食べられますが、お持ち帰りの時に箱に詰めなかったら安いですので、ご家庭用にどうぞ!

 スーイーツは、堂島ロールが有名ですが、並んで買うほどではないのでやっぱり豊中にあるムッシュマキノかNatsuro、五穀、30%値上げしたので買わないけどEFLATのロールケーキが一番です。マダムシンコのバームクーヘンと色々あります。

 こんな具合で大阪には美味いもんいっぱいあるんやでー♪ いつの間にか大阪かぶれです(^v^)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

18話 忘れられない京都 京都も様変わり!

2011-01-08 20:52:35 | 思い出日記
  2003年、祇園八坂神社から祇園界隈と先斗町と歩き新年の挨拶回りの祇園で舞妓さん、多分自己満足でしょうが、先斗町で本物の芸子さんにも遭遇できました。こんなことでも無かったら良き京都を見つけるのも難しい今日この頃。今回もいつもの如くかなり歩きました、実際はいつもよりかなり少な目。よく歩くのは同行者もよく知っています、多分。

 実際は、丸山公園、八坂神社、祇園界隈、四条から先斗町、木屋町から祇園迄歩いて戻りました。最近、私は昔より比較的自分ではゆっくり歩いているつもりです。いつもは清水から祇園まで歩きます。ここのコースは三年坂、二年坂と私の一番好きな道で昔より唯一良くなった道ですが、今回は丸山公園地下駐車場に30分250円で駐車しました。平日で空いていました。

 ただ、年々景観が悪くなる京都でやっと昔から私の念願である電柱撤去が花見小路通りでなされていました。想像した通りになっていたので、車の通行が多いのが気になりましたがまず良かった 良かった。 
 いよいよ私が30年も前に予想した京都の倉敷化が進みました。30年数年前に倉敷に行った時に京都もこんな風になるのだろうと予想しました。
 実際、京都では格子戸のある立派な家は改築されるか更地化されて駐車場。我が家も同じく、貧しい家のみ市内に残り祇園のテーマパーク化現象が進みました。どこもかしこも格子戸だった昔が懐かしいがまあ仕方なし。でも格子戸はメンテが大変!なのは前回でもちょっと触れました。
(余談:情報として古き家を残している下立売りの山中油店は見る価値あり/同じく下立売り大宮下がったとこの、今は無き我が家の近くの拾得(じゅっとく)は私が高校時代にできて、外人がオーナーであり(確かめた訳でありません)ヒッピーの集まり場所だと近所で噂の店でしたが、友人と行っていた所でところで、蔵を改造したお店で行って見たら面白いです。日本人がオーナーなら蔵も無くなっていたはずです。ただ、隣の大きな家で9つもおくどうさんがある友人の家が無くなったのは残念です。共にホームページがあるので見て下さい。)
 
 皆さんに味わって頂きたいのが西利の漬物店の漬物料理。祇園(2軒あり)の1店舗のみ漬物料理が食べられます。
本店は西本願寺前ですが料理が食べられるのは祇園店のみ。機会があればお茶漬けもあるので(漬物寿司も)是非行ってください。食べ応えがあります。
 西利メニュー見て参考にしてください。やっぱり漬物は京都です。
◆京漬物懐石      
【先付】京の和(やわらぎ)三種
【向付】生ゆばのお造り
【煮物】大根のぜいたく煮
【八寸】千枚漬とサーモン(夏はあっさり漬け大根)
【和物】健康京つけものラブレ
【油物】京つけものフライ
【汁物】生ゆばの味噌汁(白味噌仕立)
 ごはんと旬の京つけもの盛合せ
【水物】健康京つけものラブレりんごラブレヨーグルト添え

間逆の真夏の暑い厚い日には是非とも貴船の川床へ!
 ★ふるさとも 観光気分で 遠くなり★           △ Я ▲ R.CONTI

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

17 話 思い出いっぱいの京都 

2011-01-03 11:24:31 | 思い出日記
 京都に行けば先ずお墓参り、清水さんの裏手にありますが今回はそこから始めます。電柱が無くなって良くなっている数少ない回りの風景と同化しています。
 昔、新丸太町通り(円町―嵐山)の道路が出来る前、封鎖されていた道を車で自由に走っていました。田畑のかなり向こうに見える、緑にマッチした西山は本当に綺麗でした。電柱一つ立っていない、そして車が一台も通っていない美しい京都の山並みを知っているのは私位といつも自己自慢、心の宝の一つにしています。開通と同時に出来た家々に、山に至るまで田畑がある緑の風景が全くなくなってしまいました。
 昔、我が家の前で、多分ガイド(2人に説明)と思われる人が、本当かどうか分かりませんが、応仁の乱、京都が乱れて格子戸の家になったのですと説明していました。子供心に言葉は良く覚えていますが、我が家は、窓のある家にリホーム、それはそれは住みやすく明るくなったのでした。古い家を守るのは大変な事です。太秦映画村にお城ができて二条城のお城も映画の舞台にならなくなりましたが、今あるお城の駐車場で凧揚げをしたことが夢のようです。

 その頃から、京の町が近代化して行ったのでした。こんな具合に町は悪くなる一方ですが、その中で良くなっているのが今日行った所です。

 先ず、清水裏手から入ると始めに子安の塔があります。そこは現在修理中ですが、裏手から見る清水寺は最高のビュウポイントで、友人のスイス人命名kita’s viewと呼ばれています(誰も知りませんので、悪しからず)。下っておとわの滝、今日は意外に観光客が少ないですが、ここを訪れるのが定番です。何時も清水さんを上に見て、その下を歩きます。池がありますが、心と言う字になっていると言う事ですが、同行者の説明です。私にはその字は、読めないです。
 ちなみに今日は同行者がいるので、観光を兼ねています。と言う訳で、どういうわけや、(一人突っ込み)体内廻りを案内する事にしたのでした。門の左手に随求道(ずいぐどう)がありますが、多くの人がそのまま真っ直ぐに進んでこの建物に行きませんが、お参り料も1人100円と手頃ですので一度は行ってみて下さい。入り口でお金を払い、靴を入れるナイロン袋を受け取り、地下に入る様に一歩中に入ると漆黒の闇、つまり本当に1寸先が見えなくなります。前の人が見えませんので、左側の数珠の様な手すりを(どの手すりや!済みません!その手すりさえ見えません)持って前に回りながら、ゆっくり回りながら進むと薄明かりでまわるい石の台を触って回しながら念じると願いを一つ思うと叶うと言われています。面白いです、是非一度。

 清水坂の土産物屋さんを見ながら下りて、右に折れると3年坂があります。同行者が前を一人で行くので、私も歩くのは負けていないはずなのに置いていかれます。2年坂で回らずに行くと八坂の塔が見えて来ます。
 舞妓姿をした2人ずれが、足が痛いのか、こっぽりをぬいで草履に履き替えていますが、ぬいだ物はどうするか見たかったけど前に同行者がいるので急いでついて行きました。神社で見ざる聞かざるの3猿を見て、同行者が日本で一番古いと以前、横にいたガイドが言っていたとの事ですが、ホントかなー。そんなに価値のあるものを手で触れる距離にある、やっぱり信じられません。
 そこで見た舞妓姿をした2人ですが、内1人はどう考えても50代(60かも?)に乗っている人でした。その後会った2人はすれ違った人が、オカマと言っていたけれで、この頃だったら本物のおかまの方が結構美人が多いと言う程どうかなと言う2人でした。ちなみに、お多福さんの様な人も写真を撮られていました。みんなスター気分が味わえます。

 ねねの道、円山公園を過ぎて知恩院、ここは立派な建物の中が無料ですからお薦めです。出て左手天井に左甚五郎の忘れ傘を見て、殆どいない観光客に驚きながら平安神宮迄歩きました。  

 夜は同行者の奢りで三条麩や町と通りの名をつけた、前を通り過ぎた程で間口の狭い、町屋そのままの奥行きのある店で、自分のお金で食べられない料理をカウンターで頂きました。現在見る事が無くなった、大黒柱もある(我が家もあった)古い建物でいつまでも残って欲しいお店でした。帰りにその家のモダンな2階も拝見しました。

 それから、又、祇園に行ってFINRANDIRと言う、私が昔良く行ったショットバー、これも入り口が格子戸で入り難いです。中は昔ほどではありませんが行って下さい。祇園にはこの様なお店が何軒もあるのですが、暫く行かないと忘れてしまうようです。
 同行者の人つきあって頂き、本当に有難う御座いました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする