旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

547 地言葉 (毎週土曜日に更改しています)

2017-11-25 04:24:45 | ブログ
 何か目標を持ってやる事も必要ですが、今の所と言うよりは、この年になってみては、あるがまま、楽しく朗らかにすることが一番かとも「冬のカエル」方がいいかも。(大阪のシャレで冬のカエルとは「カンがえる」、大阪に住む事になって聞いた事が無いシャレで、多分、船場の方で言っていたと思うのは、私だけでしょうか?誰も話題にしてない (🙇))。
 
 子供の頃、よその家から帰る時に「おやかまっさんどした」とか、せんど だんない ひざぼし(膝頭)等々、京都でも余り使わなくなったと思います。「ほんねき」以前お話ししたように、30年程前に大阪から京都高島屋に駐車場はありますか?と聞いた時に、交換使が「ほんねき」(すぐ近く)にあります。と聞いたのが最後でした。 
 阪神の選手が「必死のパッチ」語呂合わせですが、パッチの意味(ズボン下)分かっているのかな、兄が東京のデパートで「パッチは何処に売っていますか?」通じ無かった事を「必死のパッチ」と聞く度に思い出します。

 地方言葉は、いいものです。テレビの普及と共に、その地方の言葉が段々と標準語に近くなっていると思います。しかし大阪弁も、殆ど「吉本弁」になっています。サンマさえ、奈良出身ですから、「船場言葉」など良い言葉が無くなっていきます。又、聞いて頂きますが、大好きな雷蔵様が映画「ぼんち」で聞かせた「船場言葉」はヒビキがとても良かったです。

そもそも日本語は漢字仮名交じりので書かれますが、中国から入った漢字を使い勝手の良いように読み方まで替えてしまと共に、その漢字を崩して平仮名カタカナに替えてより使いやすくしてしまうという事を昔の人がやったのでした。素晴らしい、それが日本語を様々な状況により使いわけできるようになったのです。

 イロハ48文字でも、アルファベット26文字よ倍近く多くあります。それに漢字は幾つあるのか知らない、漢字の読み方は色々、我々はなんと語彙が多くなるとは思いませんか。26文字だけで表すのが、如何に大変か分かると思います。単純な話しかしていないと思うのですが、そんな訳はないです。

 昔、資生堂が海外進出で、英仏独伊蘭それと中国語と6カ国語で説明を表示したそうです。その長さが、中国語だけが噓のように極端に短い説明となったらしいです。それは漢字が表意容量の多さで、少ない文字量で多くの意味合いを示しているのです。

 このように漢字を読み言葉を核としている日本語が、どれだけ情報量を豊にしてくれたか、先祖に感謝しなくてはいけません。
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546 高齢者 NO.?(毎週土曜日に更改しています)

2017-11-18 04:09:42 | ブログ
 新聞に60才以上の6割超が自分を高齢者と思っていない。この数字を見て、おかしい4割近くの60才を超えた人が高齢者と思っているのか、会社を退職して直ぐに高齢者です。65才で「敬老会」の案内が来てもマッタク問題無い人が、普通の事なのに大変驚きました。

今まで考えもしない身体の節々が痛くなってきました。若いと思っても、やっぱり年かなと思う事が、最近ごく偶、まれにあります。だるい、むくむ、こむら返りがありますが、幸い日常的には問題はありません。覚えていますか、忘れている方は認知症では無く今の所「もの忘れ」ですが、私は忘れてもサイトから一年前前のブログに何を書いたかを知らせて来るのです。

 「要介護となる原因は、骨折・転倒が11.8%、関節疾患が10.9%、両方合わせると22.7%で、1位の脳卒中の18.5%、2位の認知症の15.8%を上回って、骨関係が一番多くなっています。一番に気を付けることは、そうならないことです。」1年前に言った事が現実味を帯びてきて、整骨院通いが日常生活の一部になるかもと恐れ始めています。

 10年程前に病気で入院して以来、どうも反応というより即答するときの言葉が見つからないことが多くありますが、日頃会話が短いので問題ありません。これは病気に関係ないと言う声が聞こえてきますが、考えてみると、多すぎますが、済みません、済みませんも多い、御もっとも。それまでにも良くありました。それが酷くなっただけです。高齢者ホームで、耳鳴りがする人に、耳の中にセミが住んでいると言った意味が良く分かる様になりました。

そもそも認知症とは、脳の神経細胞が死んで行ったり、働きが悪くなったりすることで、記憶障害や判断力がというものらしいです。オリンピックから3年後、2025年には5人に一人が認知症患者になる、その3分の2をアルツハイマー病が占めるとされています。まだ生きていたら、その中に入らない様にしなくては...

 その前に、痛風の痛みは20年以上前にかかり掛けたのですが、為になる?話が「朝、起きたら急に足が痛くって」と「そんなの痛風ではありません。大体あの痛みの中でそんな平和な顔はできません。2週間は部屋にこもりひたすら泣きながら痛みに耐えるだけですから」

 この話、この頃朝起きると足のかかとが痛くて歩きづらいのが、痛風のなりかけかもと気づきました。初めて有効にそして有意義にブログを書いていると感じました。箸がこけても、何でも心配です。今日から1週間に一箱の焼酎を飲むのを多少控えめにしなくてはと毎朝、思っています?
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545 ビルマ(毎週土曜日に更改しています)

2017-11-11 04:20:38 | ブログ
 京都に住んでいた頃、今より、ずっと前に銀閣寺の「のんき」というスッポン料理をメインにして出す料亭に良く行きました。床はガラス張りで床下に鯉が泳いでいると言う2階建ての洒落た店でした。そこで出すのは、従業員が猟に行って獲ったものを料理するのが殆どで、熊を料理したり、スッポンの血を飲みましたが、決してゲテモノ料理を出す店ではありません。
 私は許されてと言うより勝手に帳場で主人が帳簿をつけている横で鯉の刺身で一杯飲むのが好きでした。今、考えると随分と厚かましい時を過ごしていたと思います。いい時でした、全ての行いがこんなだったと思い、現在、恐縮しています。(遅い!)

 どうしてそんなに親しくさせて貰ったか、またまた色の変わった本、「ビルマ敗戦行記」岩波新書の本を整理して頂いたままにして今まで読まなかったのです。その方に頂いた本で、読んでいく内に、行った地名やその頃聞いた悲惨な有様を聞いた事を思い出したのです。

 ミヤンマーとなる前、戦友会128連隊の方々と共にビルマに行った事があります。その店主はビルマでの戦争で、勝新の映画「兵隊やくざ」以上の人で、包丁を持って部隊長の所に怒鳴りこんだり、馬の背中に投網を乗せて行軍したりしました。中尉の人が仲間に入っていました。そこで「中尉とは怖かったのでしょうね」と尋ねた所、「全然」。「弾は前からばっかしとは限っていない」と言われた事は今でも覚えています。
 帰国後も戦友会に誘われたりして、若い私はみんなに可愛がられました。一度は先斗町で芸子さんと、お座敷で一緒した事があります。その時は、今も同じ状況になっても、三味線で歌うこともなく、飲むのが私の行う精一杯の事でした。 

 現地の戦傷者が同乗していたプロペラ機で、草原の地に着陸した事もあります。ランディングが凄くなめらかな感覚を覚えています。バスでの旅、途中でトイレを探しても何もない状態が長く続き、最終的に道路から30メートル程行った所に藁が積んで会ったところ、草原のど真ん中に、女性は行って用を足すとなりました。ホテルではヤモリがいてました。
 戦争中の話、逃げる時、ビルマの人は軒に食べ物を置いてくれたそうです。川を渡ると、ヒルが体に付き、取れずに、タバコの火で取ったとか色々な話を伺ったのですが、もっと詳しくノートすべきだったと後悔しています。

  男女全てがロンジン(長いスカート状の巻物)を着て、女性の頬の一部が白くて、皮膚病かと思い恐ろしい所に来たのだと思いました。本当は日焼け止めだったと分かりました。

  ビルマは未知に満ちた素晴らしい所でありました。その地でビルマ人を無視して、英軍を相手に戦争。忘れてはならないです。
 
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544 錆びない鍬 働ける内は働きたい(毎週土曜日に更改しています)

2017-11-04 05:28:38 | ブログ
 家の前の坂を10メートル程、後ろ向きにゆっくり鍬を杖替わりにして降りて畑に行く事を、日課にしている一人住まいの97才のお婆さんがTVで映っていました。家の中はバリアだらけ、ニワトリに餌をやり、料理は70年前にご亭主(享年81才)が創ったテーブルで食べ、風呂は自分で火をおこし、入る生活をしておられました。
 
 籠を背に、鍬をを杖に、それを地面に、そして芋を掘り出す、とても97才とは思えない。若い時は、先生でしたから近所の70才を超えた10人程の生徒を前に公民館の黒板に漢字を列記して教えられていました。立派な新しいお墓にお参りして、自分の生きている限り田畑を守って行くという強い意志も持っておられました。
 昔の生徒達だと思える人が4年も前から田植えを代わって、食べ物は常に冷蔵庫に誰ともなくものを入れていくと言う暮らし、その人達もいい年でしたが、97才の人が元気に畑仕事をしているので若く見えたのです。
 トイレが見たかったです。山村ですから和式トイレだと思われますが、97才、凄い事です。据え膳上げ膳の施設でそれよりズート若い年寄りばかり見ていますが、嘘の様な映像が紹介されていました。確か、尾道放送が撮影したもので、朝四時台の放送で殆どの方がご覧になったいないと思い紹介しました。

 以前ここで紹介したた93才を筆頭の三ババ(三人の産婆)も凄いと思いましたが、年もですが、それ以上です。ところで、あの3ババは、その後どうなったか知りたいです。

 最近、バリアをつけると言うか、それを売りにしている施設が紹介されていました。それも入居者が重度でなければ良いアイディアだと思います。

 現在、770万人65才以上の人が働ているそうです。皆さん年金を当てにしていてもダメですよ。今回の選挙で分かりますが、借金幾らあっても直ぐに返せるという政権が続投となりました。代わりの政権がなっても、今までの借金の重みに耐え兼ねてどうしようもなくなってしまうのは、目に見えてきます。庶民は働ける間は働く、これしかありません。

 バイト先のマンションでは、週に何度もゴルフに行く方等、旅行に行ったり気楽に暮らしておられますが、毎日、何をされているのか出たり入ったり、「こんにちは!」とか「お帰りなさい!」、そうかと思うと「お帰りなさい!」と行ったら、又、出て行く。結構大変です。 
 
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