読み始めて難しそうだったので途中で止めようかと思ったけれど、京ことばがたっぷり書いてありましたから読んだ本「雁金屋草紙」は、江戸時代の将軍4代の頃からの、ただ単に京都の店を書いた本だと思って読んでいました。尾形 光琳という知った名前が出てきて、やっと作者は尾形 光琳を書きたくて、彼を愛する人の影に光琳を表現したのだと読んで行くうちに、恥ずかしながら知りました。
その本で、「1日1日を大切に、3年前の夏はこうした、5年前の冬はこうであったと、刻の手応えを握って生きることが、この世に在るということであろうか。一年一年を積み重ねて歩くのが、この世に在るということであろうか。いつの春か秋かも判らず、どの四季も色もなく、薄墨色の中にあっという間に飛ぶように流れて行ったが、どの春も夏も、秋、冬も、ずっと自分は熱い想いを抱いてきた。これでは生きたことにならぬのか。」を難しく読みました。
「1日1日を大切に」は分かりますが、昨日の事も忘れてしまっています。自慢ではありませんが、先日歯医者に行って‘この前いつ来ましたか’に一年も経つと答えられなかったのです。耄碌(読めても平仮名から変換したから表示出来たのです。便利になった)したのか、去年の事か3年前の事か分からないです。勿論、1日1日を大切にしたいたら、5年前の冬はこうだったと分かると思うのです。云うは易しで、如何に日々をおろそかにして生きている訳かです。もう長くは無い人生、もっと1日を大事にしなくてはと思っても、さてさて...人生淋しいですが一度きり、今日一日、明日に向かって、もっと楽しむ事にします。
その本の中で、着物の着方というものは、不思議なほどに、その人が出るものである。衿の抜き方、帯の締め方等に、その人の物の見方、考え方、ひいては生き方も現れるとかいてありました。私の小さい頃は未だ、着物を着た人が京都では多かったです。思い出すと、母親世代の殆ど人達は普段着で着物を着ていました。
話は違い、靴屋が近所になくて、下駄屋さんが角を曲がった所にありました。うどん屋さんの‘達富’さんは未だに名を覚えてくれたけど、下駄屋さんはどうなったか知りたくなって来ました。
‘まんだ’(まだ)という言葉が本の中に出てきました。今まで、考えなかったけど、叔母さんが元気な頃良く使っていた事を思い出し懐かしく読みました。大正生まれの人が使ったのか、戦後生まれの、私の年になるともう殆ど使わなっていました。‘まんだまんだ15歳’という様に使っていました。おべべ(着物)は私でも使っていた覚えがあります。中学校の先生から「ひざぼし」(膝頭)と言って、たしなめられた事を思い出しました。いっちょうら(1番良い服)、でぼちん(額)やっぱり京言葉使っていました。
やっぱり、電車で今住んでいる所から40分の故郷が一番いいと思います。
その本で、「1日1日を大切に、3年前の夏はこうした、5年前の冬はこうであったと、刻の手応えを握って生きることが、この世に在るということであろうか。一年一年を積み重ねて歩くのが、この世に在るということであろうか。いつの春か秋かも判らず、どの四季も色もなく、薄墨色の中にあっという間に飛ぶように流れて行ったが、どの春も夏も、秋、冬も、ずっと自分は熱い想いを抱いてきた。これでは生きたことにならぬのか。」を難しく読みました。
「1日1日を大切に」は分かりますが、昨日の事も忘れてしまっています。自慢ではありませんが、先日歯医者に行って‘この前いつ来ましたか’に一年も経つと答えられなかったのです。耄碌(読めても平仮名から変換したから表示出来たのです。便利になった)したのか、去年の事か3年前の事か分からないです。勿論、1日1日を大切にしたいたら、5年前の冬はこうだったと分かると思うのです。云うは易しで、如何に日々をおろそかにして生きている訳かです。もう長くは無い人生、もっと1日を大事にしなくてはと思っても、さてさて...人生淋しいですが一度きり、今日一日、明日に向かって、もっと楽しむ事にします。
その本の中で、着物の着方というものは、不思議なほどに、その人が出るものである。衿の抜き方、帯の締め方等に、その人の物の見方、考え方、ひいては生き方も現れるとかいてありました。私の小さい頃は未だ、着物を着た人が京都では多かったです。思い出すと、母親世代の殆ど人達は普段着で着物を着ていました。
話は違い、靴屋が近所になくて、下駄屋さんが角を曲がった所にありました。うどん屋さんの‘達富’さんは未だに名を覚えてくれたけど、下駄屋さんはどうなったか知りたくなって来ました。
‘まんだ’(まだ)という言葉が本の中に出てきました。今まで、考えなかったけど、叔母さんが元気な頃良く使っていた事を思い出し懐かしく読みました。大正生まれの人が使ったのか、戦後生まれの、私の年になるともう殆ど使わなっていました。‘まんだまんだ15歳’という様に使っていました。おべべ(着物)は私でも使っていた覚えがあります。中学校の先生から「ひざぼし」(膝頭)と言って、たしなめられた事を思い出しました。いっちょうら(1番良い服)、でぼちん(額)やっぱり京言葉使っていました。
やっぱり、電車で今住んでいる所から40分の故郷が一番いいと思います。