SALUのin my lifeの歌声が、FM802で6月の歌として毎朝7時前に聞こえてました。年は取りたくないですが、ラップで殆ど何を言っているか分らなかったです。その中で、何度も歌う‘二度とは無い人生’だけは良く分り、改めて感じ入ります。
2度無い人生と良く言われているのですが、自分自身は余り意識しませんでした。今の所、死が何時訪れるか分らないですが、それが面白い、でも人生は楽しく終わりたいものと思います。その時その場が2度とやって来ない、そこで先ず何からと考えて、先立つものがない、時間を無為に過ごしているので時間が過ぎるのが早過ぎるのです。そこで日々のちょっとしたことを有難く感謝することから始めていこうと思います。
コシノ ジュンコさんが言っています。(か)=今ある事に『感謝』、(き)=常に『希望』を持って、(く)=何があっても『くよくよしない』、(け)=自分で『健康管理』、(こ)=思ったら『行動』。これらの頭を取ってかきくけこ、一流の人はやっぱりいい事いいます。今、やっている事は残念ながら健康管理だけです。
マンションの管理人をやっていて、本当に幸せそうな人を観察していると、その方が今まで生きて来た人生がなにかしらわかる気持ちになって来ます。反対に毎日、不平不満をぶっつける人、これはこれ別の意味幸せかも? で無ければ、ただ歩き周って、私は天気予報士では無いのですが、決まって天気を聞いて来る人。一日の内何人の人と話すのかと思うと、この方と変わらないと最近思っています。
‛どんな悲しい涙でも、いつかは乾くときがくる’ミヤコ蝶々の言葉で正論を言っていると思います。でも、その悲しみの渦中にいる人に対しては何の効力もある言葉とは思えません。はたして慰めになるかと言うと疑問です。でも、そう考え無いとやっていけない事も確かです。何事にも『くよくよしない』『希望』を持って生きなければならないと思う様にします。
‛生きていることと死ぬことは、ある意味等価なのです’考えさせられます。小説『ねむる』中で村上春樹さんは「死とは、眠りの延長線上にあるものとして、死を想定していたのだ。ふと思った。死とは眠りなんかとはまったく違った種類の状況ではないのだろうか、それはあるいは私が今みているような果てしなく深い覚醒した暗黒の中で、永遠に覚醒しつづけていることであるかもしれないのた。」誰も死後の世界を知らないから、想像するしか仕方ないので、それが正しいとか正しく無いとか言えないのです。本当にその通りです。
死んだら無になる、今の所そう考えています。人は様々な考えを持っているから、それで良いと思っています。好きな考えを他人に押し付けるので無く、自分の考えで死後の世界というものを考えれば良いと思います。まだ、死を考えるには早すぎるかも知れないですが、年と関係無く、常に死と隣り合わせにいることも確かです。
2度無い人生と良く言われているのですが、自分自身は余り意識しませんでした。今の所、死が何時訪れるか分らないですが、それが面白い、でも人生は楽しく終わりたいものと思います。その時その場が2度とやって来ない、そこで先ず何からと考えて、先立つものがない、時間を無為に過ごしているので時間が過ぎるのが早過ぎるのです。そこで日々のちょっとしたことを有難く感謝することから始めていこうと思います。
コシノ ジュンコさんが言っています。(か)=今ある事に『感謝』、(き)=常に『希望』を持って、(く)=何があっても『くよくよしない』、(け)=自分で『健康管理』、(こ)=思ったら『行動』。これらの頭を取ってかきくけこ、一流の人はやっぱりいい事いいます。今、やっている事は残念ながら健康管理だけです。
マンションの管理人をやっていて、本当に幸せそうな人を観察していると、その方が今まで生きて来た人生がなにかしらわかる気持ちになって来ます。反対に毎日、不平不満をぶっつける人、これはこれ別の意味幸せかも? で無ければ、ただ歩き周って、私は天気予報士では無いのですが、決まって天気を聞いて来る人。一日の内何人の人と話すのかと思うと、この方と変わらないと最近思っています。
‛どんな悲しい涙でも、いつかは乾くときがくる’ミヤコ蝶々の言葉で正論を言っていると思います。でも、その悲しみの渦中にいる人に対しては何の効力もある言葉とは思えません。はたして慰めになるかと言うと疑問です。でも、そう考え無いとやっていけない事も確かです。何事にも『くよくよしない』『希望』を持って生きなければならないと思う様にします。
‛生きていることと死ぬことは、ある意味等価なのです’考えさせられます。小説『ねむる』中で村上春樹さんは「死とは、眠りの延長線上にあるものとして、死を想定していたのだ。ふと思った。死とは眠りなんかとはまったく違った種類の状況ではないのだろうか、それはあるいは私が今みているような果てしなく深い覚醒した暗黒の中で、永遠に覚醒しつづけていることであるかもしれないのた。」誰も死後の世界を知らないから、想像するしか仕方ないので、それが正しいとか正しく無いとか言えないのです。本当にその通りです。
死んだら無になる、今の所そう考えています。人は様々な考えを持っているから、それで良いと思っています。好きな考えを他人に押し付けるので無く、自分の考えで死後の世界というものを考えれば良いと思います。まだ、死を考えるには早すぎるかも知れないですが、年と関係無く、常に死と隣り合わせにいることも確かです。