「ユウは何しに日本へ」でヒッチハイクのユウに付いて!それを見て’71に欧州でスチューデントフライトがキャンセルされ絶望していた事を思い出しました。その時ユースで会った日本人にヒッチハイクを伝授され!それはインターチェンジに近い所でプラカードを手に行先を書き車を待つ!後になって考えれば簡単な事でしたが『地獄で仏』その後ヒッチは主な移動手段となりました。番組の中でスタッフが後部座席から通訳代わりをしましたが、狭い車中で長い沈黙は大変で苦痛でした。その大変さを通訳抜きで一度は映像で見せて欲しかったです。(この時の未使用のチケットを日本に送り払い戻しを簡単に家族に頼んだはずですが、今考えると京都から大阪迄行く必要があったのですが、それをしたか??そんな事迄考える余裕が無かったです)そしてフライトで直接ストックフォルムに直接行く予定がヒッチハイクに変更これが全て良い方向になるとは全く思いもせずデンマークに!
9月17日 晴れ 後 小雨/ 私にとっては初めて全員の職員だけのミーティングに出席!ヤン、ヘニィングさん等、普段 面白可笑しくしている人たちが真面目に討論していて、面白い以外の何物でも無い物でした。ヘニィングさんは、口ひげを生やした紳士然とした人で、時たま面白い事を言う人で、いいおやじさんと言う雰囲気を持った人でした。
途中で小太りの女性カーナがタバコを吸いかけたら、職員トリルが大声で止めろと!一瞬沈黙、後みんなが爆笑になったのです。それ以外にもしばしば、爆笑の渦が起こったのでした。言葉が殆ど分からないのに雰囲気だけですが分かりました。
途中で抜け出して、カッステェンの手伝いを!小遣い稼ぎの為に、ベントの車を午前中に、午後からヤンの車を洗っていたのでした。しかし余りにも働かない彼に、大人げなく殆ど切れかけてしまいました。
今日は施設いる全員に小遣いを与えたので、それぞれ外に出て行ってステファン(若いのに口髭に短髪)、カッステンと私が残ってTVを見る事になりました。
マリアンがチボリ公園に行こうと誘ってくれたけど、それには行かずにTVを見ていた。凄く魅力あるならついていったけれど、仕事をやる上では良い人だけれど2人でデートするほどは興味無かったのでした。(強気で、ビックリします。)
夜に職員のベッツィ、トリルとスウェンドとビールを飲みに行く事となったのでした。ビールを2‐3本のむと、ビアホールが閉まるので、別の場所に変わったのでした。梯子酒で、お陰で気分が悪くなって、もどす事となったのでした。
しかし、みんながおごってくれたので、とても幸せな時間を過ごす事が出来たのでした。その後トリルが車を運転して普通に帰ったのには、その酒気帯び運転に正直恐れ入ったのでした。今日のメンバーの名前をみんな覚えていたとは脅威です。若いって素晴らしいです。