旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

512 人生色々(毎週土曜日に更改しています)

2017-03-25 04:41:03 | ブログ
 豊中もすっかり全国的になりました。関東の皆さんは豊中が何処にあるのか分からないと思います。大阪市の北側、その北が箕面、私が住んでいる所です。今一つハッキリしないですが、毎日毎日豊中の森友、私も何処に学校があるのか知らなくても有名になりました。一人でも入れる組合の責任者である豊中市議・木村真さんが訴訟を起こし頑張っています。私も組合員です。

 森友学園に孫の為に寄付金を、私の感覚で、2万か3万かな多くて10万円だと思ったのでした。大違いでした。想像も想定もつかない額でした。幼稚園に在園している孫の為に、1口1千万円、1口でも凄い額なのに、2口寄付金をしたそうです。裏取りしていないので何とも言えませんが、金と言うものはある所にはあるものです。関西人底の知れない所があったのです。そんな中、籠池さんが庶民的な所に住んでいるのに、又、驚きました。

  久々に明るいニュース、介護施設とマンションに住んでいた方が、それぞれ病院を退院されました。二人とも90歳を越えられて、一人はイムジン河を渡り北鮮から戻られた方で、一人は娘さんが入院まで毎日マンションに来られて親孝行な方だと思っていたら、退院を知らせに来た時に、部屋をリホームすると言われたのには素晴らしい事と驚きました。

 そんな素晴らしい事ばかりではありません。人間、長く長ーく生きていると、誰でも色々な死と面して見ています。他人事だと思っていたら、いつの日か自分の周りに、寂しい事です。私は特別に多くなると思いますが、人々の死と言うものに再々出会っている事はこの項でいってきました。今までこれ程迄人の死と関わった事がありません。介護施設では、殆どの、入院そのまま退去の人が当たりまえになっています。その亡くなった人は、どの人も素晴らしい人でした。しかし、余りに多くて直ぐに名前を言えなくなってしまう程です。

  ホワイトデーと同じ日が兄の命日、今年も過ぎ、月日の過ぎるのは早いものです。久々、京都にお参りに、長い間、自宅で病気の為、不自由な体で生活していました。昔、元気な頃、今から40年以上前、兄の友人が透析を受けるようになった時、その透析をするようになったら終わりだと言っていました。そして幾ら医学は進歩しるからと人工透析を勧めても拒否して、その後、全ての延命治療を断りました。介護施設で色々な人を見ていて、兄の判断はある意味、合っている様に思うようになってきました。私も延命治療は断ろうと思っています。


 
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511 英語力(毎週土曜日に更改しています)

2017-03-18 04:17:55 | ブログ
 旅行業界はすごく変わったと実感しました。インターネットから申し込み、担当者が誰だか分からないのに料金を振り込み、そのまま旅行に出かける。それは国内旅行のように簡単に海外旅行もなって来たのかと思いました。業界を離れて現状を知らないですから、多少は実情と違うかも知れないですが、随分変わったものです。
 そんな簡単に海外に行けるのかと思ったら、4世代の女性4人がハワイに行って来ました。帰って來るまで凄く心配していました。帰って来て、今や昔も昔、私が業界で営業していた頃とは変わってしまったんだなと思いました。

 初めて、コンピュータでプリントした写真を見た時は美しい事に驚きましたが、今や家庭でも簡単にできる事となりました。航空営業では一応、読み書き、英語を話せると勘違いしていました。何も知らない怖いもの知らず。書く方は特に営業成績の説明とか、どうにかできていたと思いました。しかし大阪で営業している時は日本人相手で疑問をもたなかった自身の会話力は、成田空港で勤務して見事に打ち砕かれたのでした。そこで働く若い人たちの米会話の発音は素晴らしかったです。

 そもそも私の語学力はロンドンで学んだ事がベースになっています。英国人の話す言葉は、彼らは何と云うかと疑問でした。と言うのも、Queens Englishと言うかBritish English、他の言い方があるのか、彼らは何と言うのか疑問だったのでした。すると「English」と答えられて、アメリカ人の話す言葉は「AMERICAN」で言葉がまるっきり別物であると言われました。
 日本人には英語が合っていると思っています。でも、日本で米語が主流ですが、米語には日本語に無い発音があります。例えば、CAN ですが、キャンと米語では鼻にかけた発音(これが若い人は素晴らしい)をしますが、英語ではカンと日本語に近い発音をするのです。語学力の欠落を英語を話す事で誤魔化していました。難しいのはMarilyn Monroe、AとRとL、これを米語で発音できれば、完璧です。簡単と思われるJAPANも、特にパンが食べるパンとなり本当は難しい言葉です。

 英語で思い出すのが、映画「My fair Lady」、Cockneyコクニーは、ロンドンの労働者階級で話される英語で オードリー・ヘプバーンの話す言葉が最高でした。ヒッチハイクでグラスゴーで朝食をご馳走になった家族、そしてお婆さんの分からないスコットランドの言葉が又、違ったのを思い出しました。
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510 交通事故 (毎週土曜日に更改しています)

2017-03-11 04:47:22 | ブログ
 交通事故事故死が67年ぶりに4,000人を切ったとニュースになっていました。少なくなったなー、いえいえ大違いです、昔は車が少なくて、現在の車の数からいえば4千人どころか現在4万人位、それ以上だと思います。道路状況が素晴らしく良くなったのでしょう。新聞記事を見ていると、昔と同じで少なくなったのだと勘違いしています。67年前(こだわります?)と比べて、その当時の車の数を書くべきだと思います。

 大阪は坂が少なく自転車の普及率が高いです。反対に東京は坂が多くあり、どの坂道もそれなりの名称があります。坂道巡りと言う本もありまして、その本を頼りに成田にいる時に大阪以上に良く歩き廻りました。今は大阪で、自転車は足代わりに欠かせないものになっています。

 恥ずかしい話、その自転車での事故歴は誇れる程、数多くあります。休みに良く自転車にに乗っていますが、先日は猫をひきました。「猫はどうなったの?!」聞かれて、思わず「無事?逃げていった」日本語を間違ってました。「猫がぶつかってきた」、「大丈夫?」聞かれたと思います。後で、単車で走行時速を計るとなん時速40キロを超えていました。

 一番スピードが出た時、後に単車で速度を計ると裕に40キロは出ていましたが、猫が2メートル程横に、急に走り出してブチあったって、そのまま転倒、肩を打ち暫く立てませんでした。広い道で、反対側から「大丈夫ですかー?」の声は有難かったです。その後、度々の事故で持っている貼り薬を貼って今どうにかやっています。事故が多いので保険に入っていますが、その保険を使うのを忘れていました。

 恥ずかしついでに、傘を持って歩道に乗り上げる時に、失敗して転倒。それ以来、傘を持って自転車は止めました。同じように傘を持たずに、2度転倒。一度は顔面強打。懲りないですが、一度はガソリンスタンドから右折する車に当たり、その時の、運転手は真面目な青年で、警察に行き、その後病院に行きました。その後、その父親からお詫びの電話も頂きました。
 細い道路から出て来た車に当たった時も相手が悪かったのですが、転倒しただけで無事でした。右折する車にこすられたけれど、無事。親子3人乗りの自転車に当たって、ぶっ飛び、その時も警察へ行き、病院迄行きました。段々警察慣れしてきました。

 しかし、こんなけ事故にあっても人間って本当に丈夫にできていると思います。しかし皆さんは、このような事故にあわない様、十分注意して下さい。貴方に言われたくない!もっともです。
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509 映画(毎週土曜日に更改しています)

2017-03-04 05:20:25 | ブログ
 小学生の頃が、映画のピーク時であって、テレビの無い時代、ラジオの周りに集まって家族みんなで聞いた思い出があります。ダイマル、ラッケットが、テレビ時代になって、兵隊もので、ミンミンと柱に登り、セミを強要されていたのを面白く演じていたのを思い出します。確か蝶々さんの漫才学校を見に京都南座に何度も行きました。正月、ゴールデンウイークは映画館は人人人で、あふれて画面の前、舞台に上がって見る人もいたほどでした。夏休みには、公園で納涼映画が、それも一杯で、画面の後ろから左右反対で見ているのが自分だったか忘れてしまいました。娯楽と言えば映画、今はそんな事は本当にあったのかと思います。時代を感じますが、本当です。

 映画と言ったら娯楽の大様でした。中村(萬)錦之助、東千代乃介、堺俊二等、東映映画が中心でした。いささかと言うより大分前になりますが、生涯で一番映画を見たのは、ロンドンいた頃でした。そもそもロンドンが大好きな理由に演劇映画があります(もちろん桜も美しいです)。マカロニウェスタンはストーリーが簡単で良く英語が良く分かり、自分の語学力に自信を持ちました(実は、ストリーが簡単)

 驚く程にロングラン、確か映画で確か1年、2年であった事に驚きました。1971-2年ですから古すぎると思いますが、それ以後に行った時はその時から15年後1986年ででした。私のいた時より、一番変わったものが先輩に連れて行ってもらった、コーベントガーデンがモダンになっていた事でした。それと私の贅沢品フィシュアンドチップスが30ペンスから確か2ポンド50ペンス、今や45年経てばロンドンもかなり変わっているに違いないです。
 一番好きだったのは「明日に向かって撃て」(英文名「Butch Cassidy and the Sundance Kid」)です。英文名を知らなくてはいけないと思ったのもこの映画でした。と言うのも、デンマークにいた時に好きな映画をきかれて「Shoot for tomorrow」日本題名をそのまま、それ以後、原題を覚えるようにしています。
 2人のギャングが保安官に何処までも追われて「What are those guys?」最高、西部劇で一番だと思います。メーキングもデンマークで見て、10以上見て、今でも胸がなります。ご飯も抜いて、乗りなれないタクシーを使ってロンドンの何処か忘れた映画館に皆で行きました。
 
 「バベット家の晩餐」は是非機会があれば観て下さい。デンマーク映画ですが、CDにもあると思うのです。本も読みましたが、本より映画が面白いです。「映画って、本当にいいものです。」 
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