退職してから5年10年、そして15年目が直ぐそこに!同年配、年下の著名人も多く亡くなっています。ご心配無く古希を超えても私は元気で働いています!誰も心配してない? 済みません!!しかし生きてきた人生より確実に先が見えて来ました「いつ死んでも有難うさん❢」。増えるのは相変わらずに薬の数。内科、眼科、それと耳鼻科!皮膚科は薬が残っていましたので?どんどん薬は増え最大限に保険証を有効活用🙃年寄りが増え、コロナ予防接種は高齢者に政府の配慮も終わりになると報道。右腹上の方が痛くいつもの医者に行きました。そこは痰だと!いよいよ入院か?大丈夫でした!そんな事は考えず(^_-)その時々しか考えなかった日々を過ごした’71年のデンマークでは...
11月10日 晴れ//朝、ディッテに会う為に、朝食を取りにキッチンに行きました。今まで殆ど朝食など取らなかったので気が引けましたが降りて行きました。
生憎ディッテは来ていませんでした。昨日お別れの品を貰った時は泣きそうになり流石に辛かったでした。。これから彼女の顔を見るのが辛くなりそうでした。今日もみんなのパンを買いに行きました。(そのデッテマーは社会人になってから会いに行きましたが若いのに既に亡くなっていました。) 帰って来るとカステェンが道路を指して氷が張っていると!もう真冬だと心の中で思ったのでした。 ヤンが今日は新しい所へ移れるかどうか電話してくれると言うのでオフィスにいたが、なんら良い返事が無かったのでした。私が折り紙に精通している事も言ってくれて売り込んでくれたのですが、今日の所はなんら進歩ありませんでした。(こんなにも親切にしてもらったとは感激します。)
キッチンに降りてディッテに会ったのですが、顔を見るのも辛くてこれから暫らくこんな風に彼女を見るかと思うと涙が出そうになるのでした。彼女は昼過ぎに帰って行ったのでした。いつもの如く、毎朝、熱い抱擁をするのも後少しとなったのです。
昼は、カステンと話をしたが、実際みんなと別れるとなると辛い事で、明日となるか週末となるかまだ、分からなかったのでした。それが、長くなると多少居づらくなるのも覚悟する必要になるのは確かでした。
昨日約束したアンネッテ達との食事は、私が何の返事もしなかったので彼女等は出て行ったのでした。
実は学校へ行くかどうか悩んだのですが、学校へ行く事にしたのでした。ここで知りあった、アラブとかイタリアとから来ている人と仲良くできて、差別概念を無くした様に思えた様になったのでした。
何処の国は関係なくて、どんな人間かと言う事が問題であると言う事が、大事と言う事が分かっただけでもこの学校に来たかいがあると思いました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます