その前に・・・
問:熊本地震と東日本大震災の関連を、岐阜の正三角形を用いて実証せよ
を考えてみた件
正直、オカルトチックなテーマですので「ホンマでっか!?TV」的な視野で読んで下さい。
まずは前提となる、旧ブログに書いた内容の復習から。
中部地区の霊山を結ぶと正三角形になり、その正三角形を展開していくと正六角形となりそれを元に六芒星を書くと、それぞれの線が名だたる霊山を通るというもの。
まず基準となるのは伊吹山、そして御嶽山。
伊吹山は滋賀県最高峰の山で、日本百名山の一つです。
古くから霊峰とされ、日本書紀では日本武尊が東征時にこの山の神を倒そうとしたが返り討ちにあったという神話もあります。
この神は大きな白猪とのこと・・・
こんなのかな??
※乙事主(おっことぬし)
次は御嶽山
一昨年、噴火したヤツね。
御嶽山も、古くから信仰の山として知られ、、富士山と並び庶民の信仰を集めた霊山です。
山頂には御嶽神社奥社があり、鎌倉時代から御嶽山一帯は修験者の行場として知られていました。
この2点を結ぶ線を元に南側に正三角形を作ると、愛知県の鳳来寺山になります。
山頂付近には真言宗五智教団の寺院があり、古くから修験道の山として知られています。
ではその三角形を御嶽山-鳳来寺山のラインを軸に反転させると、頂点には身延山があります。身延山には日蓮宗総本山である身延山久遠寺があります。
次にその三角形をもう一回、反転させると、その頂点は浅間山です。
役小角(えん の おづの)が持統天皇に浅間登山したとも言われるので、修験道の山でもあります。ちなみに「あさま」は、火山を示す古語だとのこと。
同様に展開を続けると、御嶽山を中心とする巨大な正六角形ができます。
今度はその正六角形を元に六芒星を描くと、その線上には白山、立山あります。
また、伊吹山-身延山の延長線上には富士山・箱根があるというのも興味深いところです。
こんな大それたお絵かきに歴史上気づいた人がおりまして。
徳川家康
正確にはその家臣でしょうけど。
陰陽道では形には力が宿り、三角形は「攻撃」、四角形は「防御」を表すそうです。
最初の三角形に力を加え、その内部に敵を誘い込み、倒したというのが「関ヶ原の戦い」です。
では、どのように力を加えるのか?
全く分からん!!
まぁ、祈祷とかなんでしょうけど、その辺はよく分かりません。
そういえば、家康公の死後、日光東照宮に奉られるのですが、東照宮は伊吹山-御嶽の延長線上、さらに、鳳来寺山麓及び身延山の南にも東照宮を設けています。
もしかしたら、この六芒星の力、家康公は誰かに使われるのを恐れていたのかもしれません。
さて、ここからは地震の話。
今年発生した熊本地震
まずは伊吹山-御嶽山の線ををず~~~っと、西に伸ばしていくと、佐多岬を過ぎ、湯布院の数キロ南を通り、「ほぼ」阿蘇山へたどり着きます。
仮にどおにかして、このラインに力を集められるとしたら、または偶然力が集まったとしたら、今回の地震も「単なる偶然ではない」ということになります。
そういえば「バリバリ右より」の知人が、「地震は統一教会か韓国の陰謀」とか言ってました。
御嶽噴火の時、御嶽山頂で祈祷してたの「統一教会」やったし、熊本は加藤清正の本拠地で、文禄・慶長の役では「鬼将軍」とか言われてたそうです。
その後、第二次大戦後まで「ぼした祭り」とかやってた地域ですから、まぁ、恨みを買われる所以はあるような気もします(笑)
※詳細は、Wikipediaででも調べてみて下さい。
あと・・・
ちなみになんですけど、同じライン(伊吹-御嶽山)を東にず~~~っと引いてみると、浅間山、日光東照宮を通り、その先は三陸沖 北緯38度6分12秒、東経142度51分36秒 に行き着きますから~~
この地点がなんなのかは、察して下され。
まぁ、
信じるか信じないかは、貴方次第!!
4月30日(土)
世はGWだし、天気は良いし、嫁は体調不良で家から出られないし・・・
と言うことで山へ向かいます。
何処に行こうか悩んだのですが、3時には戻らなければならないので、手近なところで、周南市の四熊ヶ岳にします。
周南方面の方なら、夜光ってる観音様」の隣の山といえば、分かりやすいかと・・・
7時前に自宅を出て、国道2号線を東に進みます。
永源山公園の交差点を島地方面に左折ししばらく行くと、「小畑へ」っていう立派な看板がある所を右に入り、ややわかりにくい鋭角カーブを右折すると、たどり着いたのが「金明水」
名水百選にも選ばれた湧き水だそうで、ここの駐車スペースに車を置かせてもらいます。
身支度をして、まずは「金明水」とやらを補給。
山頂でコーヒー沸かそっと
8時1分、出発。
が、しかし、2個目の曲がり角で道を間違え、段々畑の方へ。
5分程で間違いに気づき、畑のあぜ道を通り、リカバリーです。
杉と竹の混在する森の中を25分程進むと、稜線ぽいに建つ鳥居があります。
四熊ヶ岳山頂にある四熊嶽神社の一之鳥居だそうで・・・
少しなだらかになった稜線を進むと、二の鳥居があり道が分かれます。
多分どっちも同じだろうと鳥居側の道を進むと、すぐに道は合流し、側に不動明王像が奉られています。
椿の散る趣のある石段を5分も登れば山頂の神社が見えてきます。
神社境内には「俺がここの主だ」と言わんばかりの「キジ」が出迎えてくれます。
無事の下山をお祈りして、裏手に進むとそこが山頂です。
9時10分登頂。
思ったより時間を食っちまった!
山頂からの展望はありませんが、さらに少し進むと送電線の鉄塔があり、そこから北側、そして東側が見通せます。
さてコーヒータイムにしますか。
今回からちょっとリッチに「MON CAFE」です。
ええっ、コレまでのドリップコーヒー、1年も賞味期限が過ぎてたので・・・
コーヒー飲みながら、行動食の「柿ピー」をポリポリ食べます。
※合わないんだ、これが・・・
9時45分、山頂から下山を始めます。
山頂の石碑(海軍省って書いてあった)に、なぜかプラバットが・・・
鳥居みゆきの「ヒットエンドラ~~~ン」を口ずさみつつ下山です。
途中、コケの生えた石で滑って転けますが、ダメージゼロ。
順調に下っていき、10時19分に駐車場へ到着です。
再び車で山口市まで戻り、散髪を済ませます。
昼食はなぜかトムヤムクンが食べたくなったので、タイ料理の店「KANPANISTA」へ
トムヤムラーメンセット(トムヤムクン味の米粉ラーメンとグリンカレー、ドリンク付き)なかなかのお味で・・・満足です。
近くの阿知須温泉(宇部72アジススパホテル)に入ろうかと思いましたが、約束の時間が迫っているので、今回はパス。
そのまま帰宅です。
問:熊本地震と東日本大震災の関連を、岐阜の正三角形を用いて実証せよ
を考えてみた件
正直、オカルトチックなテーマですので「ホンマでっか!?TV」的な視野で読んで下さい。
まずは前提となる、旧ブログに書いた内容の復習から。
中部地区の霊山を結ぶと正三角形になり、その正三角形を展開していくと正六角形となりそれを元に六芒星を書くと、それぞれの線が名だたる霊山を通るというもの。
まず基準となるのは伊吹山、そして御嶽山。
伊吹山は滋賀県最高峰の山で、日本百名山の一つです。
古くから霊峰とされ、日本書紀では日本武尊が東征時にこの山の神を倒そうとしたが返り討ちにあったという神話もあります。
この神は大きな白猪とのこと・・・
こんなのかな??
※乙事主(おっことぬし)
次は御嶽山
一昨年、噴火したヤツね。
御嶽山も、古くから信仰の山として知られ、、富士山と並び庶民の信仰を集めた霊山です。
山頂には御嶽神社奥社があり、鎌倉時代から御嶽山一帯は修験者の行場として知られていました。
この2点を結ぶ線を元に南側に正三角形を作ると、愛知県の鳳来寺山になります。
山頂付近には真言宗五智教団の寺院があり、古くから修験道の山として知られています。
ではその三角形を御嶽山-鳳来寺山のラインを軸に反転させると、頂点には身延山があります。身延山には日蓮宗総本山である身延山久遠寺があります。
次にその三角形をもう一回、反転させると、その頂点は浅間山です。
役小角(えん の おづの)が持統天皇に浅間登山したとも言われるので、修験道の山でもあります。ちなみに「あさま」は、火山を示す古語だとのこと。
同様に展開を続けると、御嶽山を中心とする巨大な正六角形ができます。
今度はその正六角形を元に六芒星を描くと、その線上には白山、立山あります。
また、伊吹山-身延山の延長線上には富士山・箱根があるというのも興味深いところです。
こんな大それたお絵かきに歴史上気づいた人がおりまして。
徳川家康
正確にはその家臣でしょうけど。
陰陽道では形には力が宿り、三角形は「攻撃」、四角形は「防御」を表すそうです。
最初の三角形に力を加え、その内部に敵を誘い込み、倒したというのが「関ヶ原の戦い」です。
では、どのように力を加えるのか?
全く分からん!!
まぁ、祈祷とかなんでしょうけど、その辺はよく分かりません。
そういえば、家康公の死後、日光東照宮に奉られるのですが、東照宮は伊吹山-御嶽の延長線上、さらに、鳳来寺山麓及び身延山の南にも東照宮を設けています。
もしかしたら、この六芒星の力、家康公は誰かに使われるのを恐れていたのかもしれません。
さて、ここからは地震の話。
今年発生した熊本地震
まずは伊吹山-御嶽山の線ををず~~~っと、西に伸ばしていくと、佐多岬を過ぎ、湯布院の数キロ南を通り、「ほぼ」阿蘇山へたどり着きます。
仮にどおにかして、このラインに力を集められるとしたら、または偶然力が集まったとしたら、今回の地震も「単なる偶然ではない」ということになります。
そういえば「バリバリ右より」の知人が、「地震は統一教会か韓国の陰謀」とか言ってました。
御嶽噴火の時、御嶽山頂で祈祷してたの「統一教会」やったし、熊本は加藤清正の本拠地で、文禄・慶長の役では「鬼将軍」とか言われてたそうです。
その後、第二次大戦後まで「ぼした祭り」とかやってた地域ですから、まぁ、恨みを買われる所以はあるような気もします(笑)
※詳細は、Wikipediaででも調べてみて下さい。
あと・・・
ちなみになんですけど、同じライン(伊吹-御嶽山)を東にず~~~っと引いてみると、浅間山、日光東照宮を通り、その先は三陸沖 北緯38度6分12秒、東経142度51分36秒 に行き着きますから~~
この地点がなんなのかは、察して下され。
まぁ、
信じるか信じないかは、貴方次第!!
4月30日(土)
世はGWだし、天気は良いし、嫁は体調不良で家から出られないし・・・
と言うことで山へ向かいます。
何処に行こうか悩んだのですが、3時には戻らなければならないので、手近なところで、周南市の四熊ヶ岳にします。
周南方面の方なら、夜光ってる観音様」の隣の山といえば、分かりやすいかと・・・
7時前に自宅を出て、国道2号線を東に進みます。
永源山公園の交差点を島地方面に左折ししばらく行くと、「小畑へ」っていう立派な看板がある所を右に入り、ややわかりにくい鋭角カーブを右折すると、たどり着いたのが「金明水」
名水百選にも選ばれた湧き水だそうで、ここの駐車スペースに車を置かせてもらいます。
身支度をして、まずは「金明水」とやらを補給。
山頂でコーヒー沸かそっと
8時1分、出発。
が、しかし、2個目の曲がり角で道を間違え、段々畑の方へ。
5分程で間違いに気づき、畑のあぜ道を通り、リカバリーです。
杉と竹の混在する森の中を25分程進むと、稜線ぽいに建つ鳥居があります。
四熊ヶ岳山頂にある四熊嶽神社の一之鳥居だそうで・・・
少しなだらかになった稜線を進むと、二の鳥居があり道が分かれます。
多分どっちも同じだろうと鳥居側の道を進むと、すぐに道は合流し、側に不動明王像が奉られています。
椿の散る趣のある石段を5分も登れば山頂の神社が見えてきます。
神社境内には「俺がここの主だ」と言わんばかりの「キジ」が出迎えてくれます。
無事の下山をお祈りして、裏手に進むとそこが山頂です。
9時10分登頂。
思ったより時間を食っちまった!
山頂からの展望はありませんが、さらに少し進むと送電線の鉄塔があり、そこから北側、そして東側が見通せます。
さてコーヒータイムにしますか。
今回からちょっとリッチに「MON CAFE」です。
ええっ、コレまでのドリップコーヒー、1年も賞味期限が過ぎてたので・・・
コーヒー飲みながら、行動食の「柿ピー」をポリポリ食べます。
※合わないんだ、これが・・・
9時45分、山頂から下山を始めます。
山頂の石碑(海軍省って書いてあった)に、なぜかプラバットが・・・
鳥居みゆきの「ヒットエンドラ~~~ン」を口ずさみつつ下山です。
途中、コケの生えた石で滑って転けますが、ダメージゼロ。
順調に下っていき、10時19分に駐車場へ到着です。
再び車で山口市まで戻り、散髪を済ませます。
昼食はなぜかトムヤムクンが食べたくなったので、タイ料理の店「KANPANISTA」へ
トムヤムラーメンセット(トムヤムクン味の米粉ラーメンとグリンカレー、ドリンク付き)なかなかのお味で・・・満足です。
近くの阿知須温泉(宇部72アジススパホテル)に入ろうかと思いましたが、約束の時間が迫っているので、今回はパス。
そのまま帰宅です。