セネカにとって、哲学の二つの部分 ―「教化」と「教説」― はどちらも不可欠であるが、それは魂を上手に世話するためである。
この観点から、セネカは、前者を無視し、後者だけが哲学の名に値すると主張するいわゆる「哲学者」にも、逆に後者を無益と考え、正しく行動するためには前者だけで十分だとする「道徳家」たちにも、反対する。
この「教化」と「教説」との不可分・不可同の関係は、多くのストア哲学者たちによって共有されていた根本的なテーゼである。アドはその点を特に強調する。
La notion de philosophie couvre donc non seulement le domaine théorique qui comprend toute l’étendue de leur système philosophique, partie qui de notre temps est la seule à être désignée par le terme « philosophie », mais aussi tout un ensemble de méthodes psychagogiques au sens moderne, rassemblées généralement de nos jours sous la notion de « direction spirituelle » (I. Hadot, op. cit., p. 27).
哲学という概念は、ストアの哲学者たちにとっては、彼らの哲学体系の全域を含む理論的領域 ― 今日はそれのみが「哲学」という言葉によって指し示される部分 ― だけをカヴァーするものではなく、「精神的教導」という概念の下に今日では一般的に括られる、現代的な意味での応用心理学的教育法の全体をもカヴァーしている。
ストア派の哲学においては、セネカによれば、現代では互いにまったく切り離されてしまっているこれら二側面が一つの全体を形成しており、その全体こそが哲学なのである。
アドが博士論文のタイトルを、『セネカと魂の指導のギリシア・ローマ的伝統』[Seneca und die griechisch-römische Tradition der Seelenleitung]としたのは、当時の古代哲学研究ではまったく等閑視されていた、古代哲学の本質的側面としての「精神的教導」を強調するためであり、もう一方の側面である思想体系としての哲学を軽視したからではなく、ましてや無視などはまったくしていなかった。アドは、両側面の不可分性・不可同性を主張しているのである。
ところが、それにもかかわらず、当時は、ストア哲学を狭い意味での「精神的教導」と同一視しているという、無理解な非難を受けたり、意図的とも思われる歪曲の被害者ともなったりしたことが一再ならずあったようである。そのような研究上の「災難」[mésaventure] は、後に彼女の夫となるピエール・アドの上にも降りかかった。体系的言説としての哲学に対する「反哲学的な権能剥奪」[destitution antiphilosophique] という、大仰なだけでまったく的外れな非難もあったという。