昨晩というか、たまたま深夜にのこのこ起きだして、ネットでニュースのページを開いて、驚愕、呆然とした。最初は、何か質の悪い冗談かと思ったくらいである。しかし、各紙のサイトを数時間に渡って見続けていると、犠牲者の数がどんどん増えていく。1月7日のシャルリ―・エブド襲撃も大きな衝撃であったが、今回の犠牲者は、一桁多い(ヨーロッパ中央時間現在時午後六時の時点で、死者128人)。負傷者の中には深刻な状態の人たちもいるようだから、まだ犠牲者の数は増えるかもしれない。
すべての犠牲者の方たちに心からの哀悼の意をここに表する。それら犠牲者の方々のご家族・親しい方たちにはお悔やみの言葉さえ見つからない。
精確なところはまだよくわからないが、フランス大統領は、ISの犯行と断定した。実行犯たちは、国内外の共謀者たちの協力を得ながら、周到に準備計画した上で同時多発テロを実行したとのことである。
シャルリ―・エブド襲撃との違いは、今回は、完全な無差別テロだということである。その点で、衝撃度は、2001年9月11日のアメリカでの同時多発テロに匹敵する。街中のカンボジア料理店がターゲットになった理由はよくわからないが、多数の観客が観戦し、フランス大統領も観戦中のサッカーの独仏親善試合の最中に自爆テロを実行しているのは、とても偶然のはずはなかろう。アメリカのヘビーメタルバンドのコンサート会場が襲撃対象となったのも、狭い場所に多数の人が詰めかけ、身動きが取りにくく避難しにくい場所というのがその選択の少なくとも一つの大きな理由であろう。犯人の一人は、舞台上に上がって、客席に向かって自動小銃を乱射し、床に身を伏せた人たちにさえ、情け容赦なく銃弾を浴びせたという。
明らかに、無差別的にできるだけ多くの犠牲者を出すことそのことが今回のテロの目的の一つであったと考えられる。犠牲者の中には、犯人たちの同郷人だっているかもしれないのである。何が犯人たちをこのような未曾有の犯行に駆り立てたのか。
犯人たちは、「アッラーフ・アクバル」(アラビア語で「神は偉大なり」)と叫びながら、テロを実行したとの証言がある。本来のイスラム教信仰からは完全に逸脱しているどころか、そう叫んで犯行に及ぶことで、イスラム教そのものを否定している、このような狂信のメカニズムが機能し続ける限り、テロはなくならないだろう。日本についても、過去、そのような狂信のメカニズムはなかった、とは、誰も言えないだろう。
すべての先進諸国はフランスとの連帯を表明し、アメリカを中心としてこれまで以上に徹底したテロリスト殲滅作戦を展開することであろうが、いくら空爆を繰り返してもテロはなくならないだろう。仮に現在生存するすべてのテロリストの抹殺に成功したとしても、狂信のメカニズムとその「潤滑油」となっている他なるものへの憎悪が人間の心に残っているかぎり、またどこかでテロは起るだろう。
国際都市「花の都」パリというヨーロッパ社会の中心の一つが、その周縁に押しやられた人たちの心に深く巣食った憎悪をさらに駆り立てる増幅装置を操る組織によって襲撃されたのである。